2018年2月23日金曜日

井ノ頭通りの自転車ナビマークと改善案

先日、久しぶりに井ノ頭通りを横切ったら(※横切るだけで走ってはいない)、車道の両端に自転車ナビマークが設置されていて唖然としました。

宮前四丁目交差点(場所

というのも、日本の自転車政策にまつわる過去十余年の経緯から見て、この場所がいろいろと象徴的な意味を持つ環境だからです。



自転車の車道通行推進策の発端となった論文


上の写真を見ると、「自転車道も自転車レーンも整備できてないのに、小さな自転車のマークを点々と描いただけで自転車に車道を走らせるなんて!」と感じられるでしょう。

(「走らせる」と言っても、強制、指導、推奨、容認、放任と意味合いにはグラデーションがありますが、警視庁の公式説明では「自転車が通行すべき部分」という表現が使われているので、「指導」辺りのニュアンスです。「強制」ではないものの、「容認」ほど消極的な姿勢でもないですね。)

この無謀なインフラ整備の原点はおそらく、2007〜2008年に国土交通省道路局と警察庁交通局が開催した「新たな自転車利用環境のあり方を考える懇談会」にあります。

同会の出席者の一人、住信基礎研究所の古倉宗治氏は、自身の2004年の博士論文を下敷きに、自転車にとって「車道と歩道では歩道の方が危ない」と主張し(第1回の議事要旨)、そのリスクは車道の「6.7倍」だという衝撃的な数字を示しました(第2回の参考資料2)。

(厳密には、これが古倉氏本人の発言かどうかは不明です。議事要旨にも配布資料にも発言者名、資料作成者名が書かれていないからです。しかしその内容は古倉氏の博論をほぼそのまま引き写したものです。)


暴かれた詭弁、変わらない流れ


しかし大元の博論を精査すれば分かるように、古倉氏の主張は持論に都合の良いデータだけを切り取ってきたり、そうでないものは強引な解釈を施すことで成り立っている議論で、「6.7倍」という数字も非常に不正確な推測です。

懇談会の配布資料がどのようなテクニックで読者を欺いていたのかは、2014年に個人ブログの記事で詳細に検証され、「車道の方が安全」という前提事実そのものが崩れました(私もその後、国の自転車政策に影響した諸論文の問題点を指摘しています)。

(私は、チェリーピッキングや誤った推論といったグレーな行為でも、それが意図的であるなら、捏造や改竄、盗用と同じく不正 (scientific misconduct) の範疇に含まれ得ると思っています


しかし国交省・警察庁が2014〜2016年に開催した委員会は、車道通行の危険性をパブリックコメント(p.3)で指摘されたにも関わらず、安全性について新たな客観的根拠を示せないまま、とにかく自転車は車道を走らせるべきなんだという提言をまとめ、それが自転車インフラ整備の改定版ガイドラインにそのまま反映されました。

井ノ頭通りに自転車ナビマークが設置されるに至った背景には、このような大きな流れがあります。


車道通行推進論の火付け役すら危険視していた井ノ頭通り


実は古倉氏は、自転車に車道を走らせるには危険な道路もあると博論の終盤で指摘しています。「自転車には車道を走らせるべき」という持論を日本で実際に政策として展開できるかどうかを、東京のいくつかの道路を題材に考察している節で、ここに井ノ頭通りが出てきます(博論のpp.258–259):
井の頭通りは、4車線部分の幅員を測定すると路肩も入れて、2. 6 メートルしかない。これは道路構造令に照らすと、未整備な部分であると思われる。このような幅員では、むしろ自転車の通行は禁止して、裏通りを迂回して通行させるか、歩道で徐行を命じて通行させるべきであると思われる。/* 中略 */ 今後の道路構造令に基づく整備があれば、その際に自転車通行部分を整備すべきである。
しかし国の自転車政策は、「自転車は車道を走った方が安全」という古倉氏やその他の専門家らの主張を根拠に、安全性についての客観的根拠を失っても立ち止まることなく突き進み、ついには提唱者が危険視していた井ノ頭通りの車道にまでピクトグラムが設置されてしまいました。何とも皮肉で象徴的な光景です。

(井ノ頭通り以前にも、環七や第一京浜、武蔵村山の新青梅街道など、危険性を度外視したナビマーク設置事例が続々と現れていましたが。)


ガイドライン違反のナビマーク設置


先に触れた自転車インフラ整備の改定版ガイドラインですが、その性格を端的に表すと、

自転車を危険な車道に誘導するな?
うるさいうるさいうるさい!
安全じゃなくても安全の為を思ってやるんだから良いんだ!

という、希望的観測と客観的事実を混同して開き直るというメチャクチャな内容なんですが、それでも一応、交通の激しい幹線道路において自転車と車の混在通行を整備形態とすることには幾つか制限を設けています。

(諸外国の設計指針と比べれば要件が緩いですし、「自転車インフラ」と呼ぶに値しませんが。)

井ノ頭通りの自転車ナビマーク設置は、実はこの基準に違反しています。


国土交通省 道路局, 警察庁 交通局 (2016)「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン」pdf p.30

上図はガイドラインが示している、どの形態のインフラを整備するかを交通条件に基づいて判断するフローチャートです。なお、ガイドラインが定義する「速度」は規制速度(p.I-11, pdf p.24)、「自動車交通量」は1日当たりの台数(出典は同上)です。

(本来の目的に照らせば、速度には実勢速度の95パーセンタイル値などを用いるべきです。)


2018年3月6日追記{
何をインフラ整備の目的に設定するか、その目的の為にどの指標を採用するのが適切か、という点ではNACTO(*)の考え方が参考になります。

(* 北米の主要62都市の交通局が参加している協会。交通政策に関するアイディアや事例を交換している。)

NACTO (2017) ‘Designing for All Ages and Abilities—Contextual Guidance for High-Comfort Bicycle Facilities’. NACTO. Available at: https://nacto.org/wp-content/uploads/2017/12/NACTO_Designing-for-All-Ages-Abilities.pdf (Accessed: 8 February 2018).
While posted or 85th percentile motor vehicle speed are commonly used design speed targets, 95th percentile speed captures high-end speeding, which causes greater stress to bicyclists and more frequent passing events. Setting target speed based on this threshold results in a higher level of bicycling comfort for the full range of riders.

規制速度や車の85パーセンタイル速度は設計速度の目標としてよく使われているが、95パーセンタイル値が捉える著しい速度違反は、自転車利用者にとって大きなストレスとなるものであり、追い越し回数の多さにも繋がる。この閾値に基づいて目標速度を定めることで、あらゆる利用者層にとって快適な、質の高い自転車利用環境が実現する。



井ノ頭通りの交通量(東京都建設局の2015年の調査。上図は表3-2-4のp.306, pdf p.14から)

井ノ頭通りの規制速度は40km/h、交通量は昼間12時間だけでも上下線合計で10,688台なので、国交省のガイドラインのフローチャートではBに区分されます。

Bから下へ線を辿ると、「自転車専用通行帯(1.5m以上)の採用」で{YES / NO}となりますが、ここでNOを選ぶにはチャート下部に小さく書かれた条件を満たす必要があります:
自転車専用通行帯に転用可能な1.5m以上の幅員を外側線の外側に確保することを原則とし、やむを得ない場合(交差点部の右折車線設置箇所など、区間の一部において空間的制約から1.5mを確保することが困難な場合)には、整備区間の一部で最小1.0m以上とすることができるものとする。

但し、道路空間再配分等を行っても、外側線の外側に1.5m(やむを得ない場合1.0m)以上確保することが当面困難であり、かつ車道を通行する自転車の安全性を速やかに向上させなければならない場合には、この限りではない。
(出典は上図と同じ。改行とマーカー強調は引用者)


ここに書かれている条件は、
「空間再配分が当面困難であり、……」
ではありません。
「空間再配分を行っても、1.5m以上確保することが当面困難であり、……」
です。

井ノ頭通りは(歩道に手を付けずとも)車道内の空間配分を変更するだけで1.5m幅の自転車レーンが捻出できるにも関わらず、それが為されていません。国が決めた最低限の基準すら守られていないのです。

そういう意味で井ノ頭通りの自転車ナビマークは、現場の判断に国のコントロールが効いていない危うい状況の象徴と言えます。

(余談ですが、フローチャートの条件の後半にある「車道を通行する自転車の安全性を速やかに向上させなければならない場合」というのも結構あやふやです。(歩道も迂回路もない田舎の道路を別にすれば)危険防止の為にその区間で自転車の車道通行を当面のあいだ禁止したり、並行する別路線に誘導するという選択肢もあるからです。それらの手段を採らず、自転車が車道通行することを前提に考えざるを得ない場合とは、一体どんな状況なのでしょうか?)


井ノ頭通りに並行する五日市街道は車線幅に余裕があり、自動車交通量、大型車混入率も低い(出典は井ノ頭通りの交通量の図と同じ)。


改善イメージ


道路空間の再配分をするとどうなるか、GIMPで想像図を作りました。

現況

車線幅が狭く、乗用車でもギリギリ。中型トラックではミラーが車線からはみ出るそうです。




自転車レーンを設け、自動車の車線も無理のない幅に。

現行のガイドラインはこれを完成形態として認めていますが、これでも高齢者や女性や子供連れなどの自転車利用者には少し不安感が残るでしょう。視覚的な分離だけでは、何かの拍子に車が入ってくるかもしれないという懸念を払拭しきれないからです。

(例えば右折待ちの車がセンターラインに寄せて停止すると、後続車はその左をバンバンすり抜けていきます。この時に車が自転車レーンに侵入することは、船堀街道の自転車レーンの実態から既に分かっています。そのような空間を、自分の自転車に乗り始めたばかりの幼児と一緒に走れるでしょうか。)


老若男女の誰もが安心して自転車に乗れる環境の実現を目指してアメリカのNACTOが2017年にまとめたDesigning for All Ages and Abilities—Contextual Guidance for High-Comfort Bicycle Facilitiesでは、井ノ頭通りが該当する交通条件(下記)では、何らかの分離工作物で保護された自転車レーン(protected bike lane)が推奨されています。
  • 実勢速度の95パーセンタイル値が25 mph(40.23 km/h)以下
  • 自動車の平均交通量/日(両方向合計)が6000台超
  • 車線数が1車線×2方向(または1車線×1方向)
  • 乗降や荷降ろしが少ない
  • 渋滞が少ない
これに比べると日本の現行のガイドラインは、スポーツ自転車の愛好家団体がその策定に強い影響を及ぼしてきたという経緯もあり、一般的な自転車利用者の不安心理を軽視しすぎています。

安心感というのは、非常に重要な設計上の要件なのです。



長期的には歩道も含めて空間を再配分し、自転車道などを整備するのが望ましい。

歩道とは別に自転車インフラを整備するそもそもの目的の一つは、歩道上で長年続いてきた歩行者と自転車の混在状態を解消することです。そのためには、ロードバイク乗りなどのコアユーザーだけでなく、誰もが気楽に走れる敷居の低さが必要です。

自転車道はスポーツ自転車乗りからは嫌われがちですが、それは過去に整備されてきた自転車道の多くが狭すぎるものだったのが一因です。

上のイメージでは自転車道の物理的な路面幅が2.5mとの設定で描写しています。左右の縁石の圧迫感、ペダルがぶつかる恐怖感で心理的な有効幅員は狭まりますが、それでも1.9m程度の広さには感じられるはずです。これだけあれば、自転車同士の間に0.8mほどの側方間隔を保って追い越すことができます。

この他、車道の両側ではなく片側に自転車道を集約して幅員を広めに取るという選択肢もあります。