東京都 (2018) 都政モニターアンケート結果 自転車の安全で適正な利用, 東京都. Available at: http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/09/11/01.html (Accessed: 11 September 2018).
同調査には研究倫理の観点から見過ごせない問題が幾つかあったので指摘しておきます。
前提
アンケート調査の目的は事実を正確に把握することであって、調査実施主体が望む答えを回答者に言わせることではありません。
もし調査で特定の回答に誘導するような設問をしているなら、調査結果そのものの価値が損なわれます。
また、誘導によって歪められた調査結果は、その調査結果に基づいて立案される将来の政策をも狂わせる恐れがあります。
ですからアンケート調査ではこうした誘導行為はご法度です。「調査を通して啓発できるなら良いと思った」などという言い訳は通用しません。そういうことは広報活動で行うべきです。
東京都が実施したアンケートの問題
以下、問題のある設問を一つずつ見ていきます(回答を歪める要因には様々な種類がありますが、本記事では設問文の誘導的な文言に焦点を当てました)。
設問文の出典は調査結果ページに掲載されている下記のPDFです。
東京都「平成30年度 第1回インターネット都政モニター「自転車の安全で適正な利用」調 査 結 果」
ただし、この報告書に掲載されている設問は、どこまでが実際の調査で回答者に提示されたものなのかの説明がなく不明です(*)。そこで本記事では、実際の設問に含まれていたと思われる部分のみを引用しました。
* 実際の調査で使用した回答フォームの画面をそのまま再掲するのが理想です。
ヘルメットの着用状況
Q4 自転車利用者の方にお聞きします。昨年、自転車事故による死亡者の約 8 割が頭部損傷を主因として亡くなられました。東京都自転車の安全で適正な利用の促進に関する条例(以下、「自転車条例」という。)では、自転車利用者にヘルメットの着用の努力規定を設けています。マーカー強調は引用者が誘導的だと判断した箇所です(以下同)。参考までに、このような誘導を含まない問2は次のような文章です。
あなたは自転車乗用中にヘルメットを着用していますか。
Q2 あなたは、どのくらいの頻度で自転車を利用しますか。
ただ、問4は将来の意向ではなく現在の行動を尋ねているので、誘導設問は基本的には回答に影響しないと考えられます(回答依頼を受けてから提出までに間が空き、そのあいだに行動が変化した場合を除けば)。
自転車の点検整備
Q5 自転車利用者の方にお聞きします。自転車条例では、自転車利用者は、利用する自転車を日常的に点検し、また年に 1 回程度は、自転車店を活用するなどして点検整備することを努力義務としています。あなたは自転車の点検整備をしていますか。条例の義務を示して回答者に圧力を掛けています。
(参考)点検対象
ブレーキ、タイヤ、ハンドル、前照灯、後部反射器材、側面反射器材、ペダル反射器材、サドル、チェーン、スタンド、泥よけ、積載装置、警音器 等
賠償責任保険の加入状況
Q6 自転車利用者の方にお聞きします。自転車条例では、自転車利用者に対して、自転車の利用によって生じた他人の生命、身体又は財産に生じた損害を賠償することができるよう保険又は共済に加入することが努力義務として定められています。上と同じ問題。
あなたの、自転車に関する賠償責任保険の加入状況は、次のどれにあたりますか。
自転車で走行するのは車道か歩道か
Q7 自転車利用者の方にお聞きします。道路交通法上、①道路標識・標示で指定されているとき、②13 歳未満の子供や 70 歳以上の高齢者、身体の不自由な人が自転車を運転しているとき又は③自転車の通行の安全を確保するためやむを得ないと認められるときを除いて、自転車は歩道でなく、車道の左端を走行することとされています。この設問は「していますか」ではなく「しますか」という表現を使っています。これは東京方言では今後の意向を尋ねているとも取れるので、誘導質問の影響が出そうですね。
あなたは、Q3で選択した目的のために、車道と歩道の区別のある道路で自転車を運転する場合、どの部分を主に走行しますか。
それから誘導による歪曲とは別に、この設問にはもう一つ注意すべき点があります。
設問の最後に「車道と歩道の区別のある道路」とありますが、一口に道路と言っても閑静な生活道路から交通の激しい幹線道路まで多種多様な環境があります。自転車利用者が車道を選ぶか歩道を選ぶかは、そうした環境の違いに影響されます。
例えば、千葉県東葛地域の調査(*)では幹線道路(国道6号と国道16号)の車道通行率が5%、それ以外の道路(県道8号・船橋我孫子線、県道261号・松戸柏線など26路線)が16%と差が付いています(表-8を元に引用者が計算)。
* 横関 俊也・萩田 賢司・森 健二・矢野 伸裕(2015)「自転車の事故率比による通行位置別の危険性の分析―昼夜での比較―」『土木計画学研究発表会』51
東京都の調査はそれを全く区別していないので、回答者が実際にどんな路線の車道/歩道を走っているのかは一切不明です。例えば「主に車道」と答えた人は普段の移動で車の少ない路線を選んで走っているかもしれませんし、「主に歩道」と答えた人は幹線道路の広い歩道を走っているのかもしれません。
個人的には、このような漠然とした調査に意義があるのか疑問です。過去の施策を評価するにも、将来の施策の根拠にするにも、数字が語ることが大雑把過ぎて使えないと思うんですが……。
それに通行実態を知りたいのであれば路上で数えた方が、回答者の自己申告より客観的で信頼できますし、どの場所で調査した結果なのかも分かります。そのような調査は警視庁が毎年行なっています(*)。
* 各年の交通量統計表・資料編の「環七通り内側スクリーンラインの車道通行自転車と歩道通行自転車の割合」※平成28年版は該当ページがテキストデータではなく画像データなのでPDFをファイル内検索しても見付からないので注意。
参考にそれぞれの調査結果を比べてみましょう。
東京都(2018)「第1回インターネット都政モニター」
場所を限定せず漠然と尋ねた東京都の調査では「歩道」は17.3%だけですが……
警視庁(2017)「交通量統計表」
※ただし右側通行の自転車は除外されている。歩道は車道よりも右側通行する自転車の比率が高い(横関ら, 2015)と考えられるので、歩道通行の自転車交通量は実態よりも大幅に少なく数えられている可能性がある。
幹線道路同士の交差点で調査した警視庁の統計では77.9%と圧倒的多数です。都の調査結果のみに依拠して何かを論じようとすれば、それがとんでもない見当違いになる危険があることが分かるでしょう。
自転車ナビマーク・ライン
Q8 自転車利用者の方にお聞きします。近年、自転車の安全な通行を促すため、主に車道の左側端に「自転車ナビマーク」が、交差点に「自転車ナビライン」の設置が増えています。「自転車ナビマーク」「自転車ナビライン」に対するあなたの考えに近いものを選んでください。用意された選択肢は、「ナビマーク等があれば車道を走る」や「ナビマーク等があってもなくても車道を走る」などです。上の設問と同じく「している」形ではなく「する」形ですね。
交通量の水準や路上駐車の発生状況といった条件を示さないまま漠然と質問しているという点も上の設問と同じです。
誘導部分を見てみると、「自転車の安全な通行を促すため」と書かれています。こう書かれると、「ナビマーク、ナビラインが自転車の安全性を高める」かのように聞こえますが、実はその科学的な証拠はほとんどありません。今までの社会実験などで調査されてきた項目は、自転車が
- どれだけ歩道から車道に移ったか
- 逆走をしなくなったか
台数当たりではない単純な事故件数であれば、ナビライン整備後に減少したとの報告が何件かありますが、事故の集計期間を恣意的にズラすことで事故が減ったように見せかけただけのもの(*)もあり、科学的どころか詐欺的です。
* ランキング日記(2015)「千石交差点 不可解な自転車事故の減少」
もちろん、自転車利用者がどれだけリスクを被ろうと、彼らが歩道から車道に移れば歩道上の歩行者にとっては安全になるわけですが、歩行者とて常に歩道上にいるわけではなく、車道を横断する場面があります。そこに信号無視した自転車が(歩道通行時よりも)高速で突っ込んでくる可能性があることも押さえておくべきでしょう。
子供のヘルメット着用状況
Q11 道路交通法では、保護者の方は、13 歳未満の子供にヘルメットをかぶらせるよう努めなければならないとされています。
あなたは、お子様の自転車乗用中にヘルメットを着用させていますか。
ヘルメットの着用率向上
Q12 ヘルメットは、事故や転倒の際、頭部の保護に大変有効ですが、自転車利用者のヘルメット着用は普及しているとはいえない状況にあります。あなたはヘルメット着用率向上に必要なものは何だと思いますか。次の中からいくつでも選んでください。ヘルメットが頭部保護に有効なのは事実(*)ですが、だからといって回答の誘導に使って良いわけではありません。なぜならヘルメット着用が唯一の対策という訳ではないからです(車の速度抑制や、転倒の原因になる危険な縁石の交換など)。
* 交通事故総合分析センター(2012)ITARDA INFORMATION, No.97
質問文の本体、「ヘルメット着用率向上に必要なものは何だと思いますか」も強烈なバイアスになってますね。着用率向上が既定路線で、「ヘルメット着用率向上は必要ない」、「他の安全策を優先すべきだ」という意見が排除される設計になっています。
子供に対する安全利用対策
Q13 自転車条例では、保護者が、子供(18 歳未満)に対して、自転車を安全で適正に利用できるように助言・指導等を行い、反射材の利用やヘルメット着用等の安全利用対策に努めなければならないとされています。あなたは、どの程度、自転車の安全利用に関する助言等や対策を行っていますか。
高齢者に対する安全利用対策
Q14 自転車条例では、高齢者(65 歳以上)と同居している方や親族に対して、自転車を安全で適正に利用できるよう、反射材の利用やヘルメット着用等の助言に努めなければならないとされています。あなたは、どの程度、自転車の安全利用に関する助言を行っていますか。
賠償責任保険の義務付け
Q16 平成 29 年中の都内での自転車対自転車の交通人身事故は 952 件、自転車側に主な原因がある自転車対歩行者の交通人身事故は 798 件に上っています。また、自転車事故により 1 億円近い賠償金の支払いを命じられた裁判例もあります。しかし、道路交通法では自転車には自動車のような賠償責任保険の加入は義務付けられておらず、自転車条例では加入が努力義務となっています。あなたは、自転車にも賠償責任保険への加入を義務付けるべきだと思いますか。これは言い逃れできない真っ黒な誘導質問ですね。説得情報を重ねた上で、意見を尋ねています。
話は脱線しますが、自転車保険(損害賠償保険)は約款で、被保険者の重大な過失によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないと定めているのが普通です。
無茶な運転をして他者に怪我をさせるような自転車利用者には、保険に加入しても救済の手が差し伸べられない場合があるのではと想像されますが、上の設問のように、「対歩行者の交通事故の大部分は自転車側に主な原因がある」ことを保険加入の説得材料にするのってどうなんでしょう?
「(本当はあなたにはこの薬は効かないけど)買った方が良いですよ」と言っているように見えるんですが……。
放置自転車対策
Q17 都内における駅前の放置自転車台数は、自転車等駐車場の新設や地域における取組等により、5 年前に比べて 1 万台以上減少し 28,956 台(平成 29 年度調査)でした。しかし、減少したとはいえ放置自転車は存在し、歩行者等の通行の妨げとなるとともに、その撤去・保管等に多大なコストが生じています。駐輪場の新設が最も有効であると感じさせる誘導文です。実際そうなのかもしれませんが、これを例えば「違法駐輪の監視強化により」と置き換えた場合でも回答は変わらないでしょうか?
あなたは放置自転車を減少させるためにどのような取組が有効だと思いますか。次の中からいくつでも選んでください。
なお、この設問は捉え方によっては他の部分も誘導的と言えるかもしれません。