2009年12月26日土曜日

クリスマスが明けるといつもの日本が戻って来る

柿半分、雀半分


駅のホーム

2009年12月25日金曜日

飛行機と鳥



ジャンボジェット機で揚力を発生させているのは主翼で、
胴体は唯それにくっ付いているだけだから、
強度不足でボキッと折れはしまいかと心配になるが、
燃料を翼の中に入れて重石代わりにしているので
揚力と重力のバランスが取れるのだそうだ。
(満タンの燃料だけで機体重量に匹敵する重さになるとか)

では、鳥は?
胴体ばかりが重いと肩関節の負担になるが、
かといって翼を重くすれば羽ばたくのが大変だ。
結局全身を軽くするしかないが、そうなると消化器も
小さくして頻繁に食事しなければならなくなる。

食べ過ぎても食べなくても飛べない。
綿密な計算の上で空を翔けているのだとしたら
どうも鳥という生き物も余り自由ではない。

道を急いでいて鳩や雀を驚かしてしまう事が有るが、
それで一々鳥達に飛行エネルギーを消耗させて
しまうのも、そう考えると申し訳無い気がする。

空気が澄む




2009年12月19日土曜日

2009年12月10日木曜日

砂の器

方言がトリックに使われていると聞いて、
松本清張の『砂の器』(新潮文庫版)を手に取った。

東京からは丸っきり正反対の方角、
夜行列車に一昼夜も乗るような距離の二地方が
偶然そっくりなアクセントを持っている
という事実が確かに織り込まれている。
さぞ、新聞連載当時の読者を驚かした事だろう。

ところで同作の刊行は昭和36年。もう50年近くも前だ。
社会インフラも価値観も今とは懸け離れていて、
犯人を追う刑事の捜査も信じられないくらい
人力な方法が多く、当時の読者よりも現代の読者の方が
その努力・忍耐に驚嘆するのではないかと、
読みながら余計な事を考えてしまう。

(直前に読んだ小説が西尾維新の
『りすか』シリーズだったので余計に。)

他にも随所に時代色が感じられる描写:
――国電、公共の場で喫煙、亭主関白、部屋着は着物、
引越しの荷物が行李、30代の登場人物が戦前生まれ…。
言葉遣いにも古めかしさが残り、推理の鍵である
方言よりも寧ろ共通語の過去の姿に注意が向く。
読みながら用例を採取してしまった。

折角なので、採取した用例が死語と化したか、
それとも依然、命を永らえているのか、
大雑把だが、google で検索してみた。

2009年12月8日火曜日

海外の日本語

上海土産の月餅の箱に入っていた日本語の注意書き。



一頃の様な、形の怪しい平仮名などは見られない。
中国人が書いているとしたら驚異的なレベルだ。

が。


2009年11月13日金曜日

龍笛塗装 (4)

内部の小豆色も差して、塗装完了。


ガイアノーツのクリヤーブラックは粘度が高くて筆ムラに
悩まされましたが、retarder を大量に混ぜて何とか許容範囲に。
エアーブラシが有れば良かったのですが。

並べてみると、

ああ、自分のがオモチャに見える…。
音楽も広義の「遊び」だから「オモチャ」でも良いんですが。

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遊びと言えば、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』、
本当に、なんで音楽に言及しないのか不思議です。

序章辺りでは演奏 (jouer de la musique) を遊びの例に
挙げておきながら、競争・運命・真似・スリルの四分類を示す
段になると完全無視。都合の悪い例は切ったんでしょうか。

確かに音楽はカイヨワの四分類のどれにも当て嵌まらなそう:
  • 競争は速弾きとか超絶技巧、コンクールにオーディションがそうですが、ただ仲良く合奏してても音楽。
  • 運命はジョン・ケージの 4'33" を出すまでも無く、モーツァルトの「音楽のさいころ遊び」という古典作品が有りますが、やっぱり本質とは言えない。
  • 真似は例えばメシアンの鳥シリーズ。いや、鳥に限らず、saxophone の「泣き」の入れ方が人の声の真似だと言えるかもしれません。でも一方には自然の対極を追求した様なシンセ音楽も有るし。あ、歌手になりきるカラオケという文化が有ったか。コピーバンドも同じ快感が有りますね。じゃあ即興でひたむきに何かを追求している様なジャズやインド音楽の player は何かを真似してるんでしょうか。
  • スリル、ホラー映画のBGMとか突然の爆音を仕組んだ曲とか。誰だったか、「くるみ割り人形とねずみの王様の戦い」に本物の大砲の音入れた指揮者がいました。聴いててゾクゾクするけど、そんな大規模な戦闘だったか。心意気は好きでしたが。
にも関らず、英語 (play) 、フランス語 (jouer) 、
さらには日本語でも「御遊」と言うように、
音楽を遊びに数える文化圏が有る。

遊びを文化変容の原動力として論じるなら
音楽も書き漏らせない一大テーマだと思うんですが、
まあ良いや。

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以上、龍笛塗装の次第。

2009年11月11日水曜日

龍笛塗装 (3)

クリヤーオレンジで下塗りした段階。


元の塗料(黒)が比較的残っている頭部は深い色合いになりました。

塗っている最中、地の塗料が溶ける -_-;
耐久性が低過ぎます。今製造している分は
改善されているんでしょうか。

足部の方はプラスチックの地が出ていたので、
黄金色に発色しました。これはこれでアリかも。

ただ、クリヤーオレンジだと思ってみると矢張り安っぽい。
上からクリヤーブラックを重ねる事にします。

試し塗りを自分の篳篥でしてみました。中々良い風合い。

2009年11月9日月曜日

龍笛塗装 (2) 漆の色

龍笛の塗装にと買った塗料。

左は鮮やかな朱色で、遠目にも良く目立ちます。
右は深みのある赤で、上品さが感じられます。

2009年11月8日日曜日

龍笛塗装 (1)

同好会の人から、塗料が剥げた龍笛を預かって
再塗装する事になりました。(写真上)


武蔵野楽器製のプラ管。黒く塗ってあった部分は
ほぼ完全に地色が出ています。


歌口の朱も剥離が目立ちますね。
そう簡単には落ちない塗料を使っているはずなんですが。


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作業開始

埃や皮脂などが表面に付いていると
塗料の乗りが悪くなる(剥がれ易くなる)ので、
塗装前に中性洗剤で油分を完全に除去します。

細かい溝の間は歯ブラシで念入りに。この他、写真には
写っていませんが、管の内部も同様に掃除する為に
ガーゼを巻いた掃除棒(リコーダー用)も使います。

で、驚いた事にこの段階で更に塗料が落ちて
洗剤の白い泡が灰色に染まるんですね。
中性洗剤如きで塗料が落ちるようでは、ちょっと……。

仕方無いので、ここで落とせる塗料は全部落とします。
(落としておかないと上に重ねる塗料ごと剥離する。)

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洗浄が終わった管の表面は、ちょうど、渋い物を食べた時の
舌の様にキシキシとした触り心地になります。
これが塗料を載せるのに最適な状態。

油分と同様、水分も塗料を浮かせ、弾いてしまうので、
乾燥も充分行ないます。管の内部は先程と同様に
掃除棒に巻いたガーゼを使います。
(ちなみに、ガーゼより晒し木綿の方が吸水力は高いようです。)

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つづく


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他の記事の宣伝


篳篥の蘆舌をレビューしてみました。

2009年11月7日土曜日

塗装二回目

篳篥の塗り、二回目。
前回の塗り上がりが貧相だったので、重ね塗りする事にしました。

写真は乾燥中の篳篥。小さい楽器なので
保持用に鉛筆を缶に貼り付けた道具を使っています。

鼈甲の様な色を目指したんですが、元々の塗料の剥げが
酷い箇所は誤魔化しきれてませんね。

成型ラインも管の上下で揃っていないのが気になる……。
でも木製の管を買うくらいなら別の楽器に手を出したい。

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和綴じの材料を買いにデパートに行ったらこんな文字が。

mode は女性名詞じゃなかったかなと思って調べたら、
両方有ってそれぞれ意味が違うんですね。

mode (f) 流行、ファッション(業界)
mode (m) 方式、様式、(動詞の)叙法、音階、旋法

同系列で comme ça men, comme ça ism
など複数のブランドを展開しているようなので、
comme ça がシリーズ名、du mode とか ism が下位分類?
だったら単に comme ça mode で良さそうな気もしますが。

公式の読みが「コムサモード」になってるのも不可解。
du と書くなら [dy] (デュ)と発音するはずなんですが。

なんて書いてたら、4年も前に他の blog で franponais
として取り上げてたんですね。

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そういえば、今読んでるロジェ・カイヨワの『遊びと人間』も
(講談社の文庫に入っている日本語訳)、
財源と書いて「ルスルス」と読み仮名を振ってます。
(元は ressources [ʁəsuχs] だろうと思いますが)

確かに仮名文字転写したらそうなるけど、
これは酷い。ルビ振る必要がどこに有るのか。

ルスルス、字面だけ見たら寧ろ
北アフリカの小麦料理かと思います。

2009年11月6日金曜日

2009年11月3日火曜日

鷲宮神社で

原宿駅から

異宗教共存、海外で出版するのは難しいかもしれませんが…
と思ったら既に一部のファンが翻訳してるんですね。
("saint oniisan" で検索すると色々出てきます。)

日本文化に息づく仏教・キリスト教の影響を聖人の目を通して
コメディタッチで描くのが面白い、というような評価みたいです。

英語圏でも「涅槃(nirvana)」は一般常識に入るんでしょうか。
第一巻読んだ時わからなくてちょっと悔しかったんですが。

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鷲宮神社

一昨日と今日、七五三のお祭りに篳篥で参加してきました。

お煎餅。神社の方に頂きました。

昔ながらの製法で丁寧に焼き上げた品。
関東平野のほぼ中央、米作りも盛んな土地らしい銘菓ですね。

らきすたの人形も置いてありました。

古くは明治天皇も休憩に立ち寄ったという神社。
日本文化の懐の広さと言うか、何と言うか…。

一方では軽々と変化を受け入れ、一方では頑なに伝統を守り…。
どこからこの二面性が出てくるのか、本当、不思議な国です。

2009年10月31日土曜日

秋の雅楽

篳篥の塗装が剥げてきたので塗り直してみました。

単に黒では芸が無いので、今回はクリヤーオレンジで。
地の色と上手く混ざって漆っぽく見えますね。(遠目には。)
明日はこれで、ら……、鷲宮神社で吹いてきます。

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今日は明治神宮の舞楽奉納を見てきました。
左方の曲は春と同じ万歳楽でしたが、やはり平調、
秋の空気にピッタリで、千年前から日本人の感性が
変わってない事を実感します。

春と同じく沢山の人出で、まあ色んな人がいました:

演奏中、大太鼓の台座(漆塗り)に子供を座らせてる母親。
現代社会のモラル意識の二極化を露骨に語る現象だなと
思いながら演奏を聴いていましたが、曲に集中できない……。
日本の学校教育、もう少し統制色強めても良いんじゃないかな。

外国人観光客は、殆どの人は然程常識外れな事はしませんが、
(ビデオカメラ構えながら自分でナレーション入れてる人いました。
YouTube とかに載せるんですかね。それは別に良いんですが、
but it was a bit annoying when he pointed his camera at me -_-;)

演奏中に太鼓の皮を触ろうとしていた人には驚きました。
これはもう宗教とか日本文化とか以前の問題です。
どれほど演奏者の神経を逆撫でする行為か、
他の文化圏でも常識になってるものだと信じていたのに。

と嘆く自分も信仰心ゼロなのであまり人の事は言えませんが。

2009年10月28日水曜日

繊維が沈殿しますので

ジュースのラベルから。

「繊維が沈殿しますので、よく振ってお飲みください。」

理由を表す「ので」です。でも、

「繊維が沈殿しますので、よく振ってお飲みください。」
「お釣りが出ますので、返却ボタンを押してください。」

同じ?
理由は理由でも何かが違うような。変形してみます。

「よく振ると繊維が沈殿します。」
「ボタンを押すとお釣りが出ます。」

どんな繊維だ。


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同じジュースのラベルから。

「酸味料のクエン酸原材料のとうもろこしは
遺伝子組み換えでないものを分別」

「分別」って…。

「分別して遺伝子組み換えの方だけを入れました」
とも解釈できてしまう。普通に「使用」と言えば良いものを。

ところで、「クエン酸」って外来語っぽいですが、
本来は「枸櫞酸」と書く漢語だそうです。


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更にもう一つ、同じジュースのラベルから。

「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
飲みやすいように30%配合した果汁飲料にしました。」

ん?何か引っ掛かる。もう一度。

「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
飲みやすいように30%配合した果汁飲料にしました。」

気持ち悪い。文末に近付くほど気持ち悪い。

一体どうなっているのか。

述語の項構造を解析するソフトに読んでもらいました。



凄い!「なつみかん」が三重に Accusative を引き受けてる。
分解すれば何も不思議な事は無いんですが。

「なつみかん果汁を飲みやすいようにしました。」
「なつみかん果汁を30%配合しました。」
「なつみかん果汁を飲料にしました。」

一読した時に引っ掛かる原因はこの辺に有りそうですね。

製造元は多分こういう事を言いたかったんだと思います。

「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
30%配合した、飲みやすい果汁飲料です。」

2009年10月27日火曜日

○○さんへ

「先輩に寄せ書きを贈る」とか
「先生に花束を渡す」とか、
受け渡しの動詞では「誰々に」と言いますね。
「誰々へ」はそんなに聞かない気がします。

Google でちょっと検索してみると、例えば

 「に渡す」 約 1450000件
 「へ渡す」 約 72800件

とか

 「に贈った」 約 54700000件
 「へ贈った」 約 540000件

と、結構差が付いてます。
こんなのはどうでしょうか。どっちが自然か。

 「万引き犯を捕まえた生徒ら3人に感謝状を贈った」
 「万引き犯を捕まえた生徒ら3人へ感謝状を贈った」

まあ、こういう問題は考えている内に
どっちでも良くなってくるんですが。

ところが、花束に添えるカードとなると、これは間違いなく

 「先生へ」

です。小学生の女の子なんかはこんな風に書いてましたね。



いったい何処からこういう装飾法が出てきたのか、
自分自身が小学生だった時から疑問で、
同級生を謎の生き物を見る様な目で見ていたような記憶が有ります。
(だってこれじゃ「べ」だし。)

そういえば、もう少し年代が上がると

『文章読本さん江』

みたいな凝った表記が…

ではなくて、こういうカードで「先生に」とは
書かないのは何故か。

1. 「先生に」だと、後ろに「(あげる)」とか「(贈る)」が
省略されているように感じられますが、「先生へ」だと
それだけでも文が完結するような感じがします。

どういう事か。

2. 「先生への」は言える; 「先生にの」は言えない。

この前の文法学会で柴谷先生がこんな事を発表していました:
「私の」は後ろに名詞が続こうが、「が」が続こうが、
準体言として機能していると考えられるそうです。

「先生へ」も似た様な機能が有るから言い切った形が自然になる?
ちょっとまだ分かりませんねえ。

2009年10月18日日曜日

東京ももう秋ですね。


次世代の成田エクスプレスが出ましたが、こっちの方が親しみやすい顔だったと思います。


ピングーにこんな話が有ったような。うろ覚えで描いたけど、もっと怖い場面だったはず。

今年に入ってから鉛筆で人物画を何点か描いてるんですが、肖像権もあってブログには載せられないのが残念です。かといって、人物以外の対象は今の所興味が無いし…。

2009年10月10日土曜日

建物写真

深海に蠢く謎の発光体。


表参道の新しいビル。台風通過直後で、真っ青な空が一瞬見えたり隠れたり。


東京大学にも行ってきました。工学部2号館。古い建物に覆い被さる大胆なデザイン。


その内側。


建築業界ではガラスの色を基調に据える傾向はまだ暫く続きそうですね。


建築物ではないんですが、気になって気になって。