篳篥の塗装が剥げてきたので塗り直してみました。
単に黒では芸が無いので、今回はクリヤーオレンジで。
地の色と上手く混ざって漆っぽく見えますね。(遠目には。)
明日はこれで、ら……、鷲宮神社で吹いてきます。
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今日は明治神宮の舞楽奉納を見てきました。
左方の曲は春と同じ万歳楽でしたが、やはり平調、
秋の空気にピッタリで、千年前から日本人の感性が
変わってない事を実感します。
春と同じく沢山の人出で、まあ色んな人がいました:
演奏中、大太鼓の台座(漆塗り)に子供を座らせてる母親。
現代社会のモラル意識の二極化を露骨に語る現象だなと
思いながら演奏を聴いていましたが、曲に集中できない……。
日本の学校教育、もう少し統制色強めても良いんじゃないかな。
外国人観光客は、殆どの人は然程常識外れな事はしませんが、
(ビデオカメラ構えながら自分でナレーション入れてる人いました。
YouTube とかに載せるんですかね。それは別に良いんですが、
but it was a bit annoying when he pointed his camera at me -_-;)
演奏中に太鼓の皮を触ろうとしていた人には驚きました。
これはもう宗教とか日本文化とか以前の問題です。
どれほど演奏者の神経を逆撫でする行為か、
他の文化圏でも常識になってるものだと信じていたのに。
と嘆く自分も信仰心ゼロなのであまり人の事は言えませんが。
2009年10月28日水曜日
繊維が沈殿しますので
ジュースのラベルから。
「繊維が沈殿しますので、よく振ってお飲みください。」
理由を表す「ので」です。でも、
「繊維が沈殿しますので、よく振ってお飲みください。」
「お釣りが出ますので、返却ボタンを押してください。」
同じ?
理由は理由でも何かが違うような。変形してみます。
「よく振ると繊維が沈殿します。」
「ボタンを押すとお釣りが出ます。」
どんな繊維だ。
-----
同じジュースのラベルから。
「酸味料のクエン酸原材料のとうもろこしは
遺伝子組み換えでないものを分別」
「分別」って…。
「分別して遺伝子組み換えの方だけを入れました」
とも解釈できてしまう。普通に「使用」と言えば良いものを。
ところで、「クエン酸」って外来語っぽいですが、
本来は「枸櫞酸」と書く漢語だそうです。
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更にもう一つ、同じジュースのラベルから。
「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
飲みやすいように30%配合した果汁飲料にしました。」
ん?何か引っ掛かる。もう一度。
「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
飲みやすいように30%配合した果汁飲料にしました。」
気持ち悪い。文末に近付くほど気持ち悪い。
一体どうなっているのか。
述語の項構造を解析するソフトに読んでもらいました。
凄い!「なつみかん」が三重に Accusative を引き受けてる。
分解すれば何も不思議な事は無いんですが。
「なつみかん果汁を飲みやすいようにしました。」
「なつみかん果汁を30%配合しました。」
「なつみかん果汁を飲料にしました。」
一読した時に引っ掛かる原因はこの辺に有りそうですね。
製造元は多分こういう事を言いたかったんだと思います。
「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
30%配合した、飲みやすい果汁飲料です。」
「繊維が沈殿しますので、よく振ってお飲みください。」
理由を表す「ので」です。でも、
「繊維が沈殿しますので、よく振ってお飲みください。」
「お釣りが出ますので、返却ボタンを押してください。」
同じ?
理由は理由でも何かが違うような。変形してみます。
「よく振ると繊維が沈殿します。」
「ボタンを押すとお釣りが出ます。」
どんな繊維だ。
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同じジュースのラベルから。
「酸味料のクエン酸原材料のとうもろこしは
遺伝子組み換えでないものを分別」
「分別」って…。
「分別して遺伝子組み換えの方だけを入れました」
とも解釈できてしまう。普通に「使用」と言えば良いものを。
ところで、「クエン酸」って外来語っぽいですが、
本来は「枸櫞酸」と書く漢語だそうです。
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更にもう一つ、同じジュースのラベルから。
「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
飲みやすいように30%配合した果汁飲料にしました。」
ん?何か引っ掛かる。もう一度。
「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
飲みやすいように30%配合した果汁飲料にしました。」
気持ち悪い。文末に近付くほど気持ち悪い。
一体どうなっているのか。
述語の項構造を解析するソフトに読んでもらいました。
凄い!「なつみかん」が三重に Accusative を引き受けてる。
分解すれば何も不思議な事は無いんですが。
「なつみかん果汁を飲みやすいようにしました。」
「なつみかん果汁を30%配合しました。」
「なつみかん果汁を飲料にしました。」
一読した時に引っ掛かる原因はこの辺に有りそうですね。
製造元は多分こういう事を言いたかったんだと思います。
「国産の生食規格外のなつみかん果汁を
30%配合した、飲みやすい果汁飲料です。」
2009年10月27日火曜日
○○さんへ
「先輩に寄せ書きを贈る」とか
「先生に花束を渡す」とか、
受け渡しの動詞では「誰々に」と言いますね。
「誰々へ」はそんなに聞かない気がします。
Google でちょっと検索してみると、例えば
「に渡す」 約 1450000件
「へ渡す」 約 72800件
とか
「に贈った」 約 54700000件
「へ贈った」 約 540000件
と、結構差が付いてます。
こんなのはどうでしょうか。どっちが自然か。
「万引き犯を捕まえた生徒ら3人に感謝状を贈った」
「万引き犯を捕まえた生徒ら3人へ感謝状を贈った」
まあ、こういう問題は考えている内に
どっちでも良くなってくるんですが。
ところが、花束に添えるカードとなると、これは間違いなく
「先生へ」
です。小学生の女の子なんかはこんな風に書いてましたね。
いったい何処からこういう装飾法が出てきたのか、
自分自身が小学生だった時から疑問で、
同級生を謎の生き物を見る様な目で見ていたような記憶が有ります。
(だってこれじゃ「べ」だし。)
そういえば、もう少し年代が上がると
『文章読本さん江』
みたいな凝った表記が…
ではなくて、こういうカードで「先生に」とは
書かないのは何故か。
1. 「先生に」だと、後ろに「(あげる)」とか「(贈る)」が
省略されているように感じられますが、「先生へ」だと
それだけでも文が完結するような感じがします。
どういう事か。
2. 「先生への」は言える; 「先生にの」は言えない。
この前の文法学会で柴谷先生がこんな事を発表していました:
「私の」は後ろに名詞が続こうが、「が」が続こうが、
準体言として機能していると考えられるそうです。
「先生へ」も似た様な機能が有るから言い切った形が自然になる?
ちょっとまだ分かりませんねえ。
「先生に花束を渡す」とか、
受け渡しの動詞では「誰々に」と言いますね。
「誰々へ」はそんなに聞かない気がします。
Google でちょっと検索してみると、例えば
「に渡す」 約 1450000件
「へ渡す」 約 72800件
とか
「に贈った」 約 54700000件
「へ贈った」 約 540000件
と、結構差が付いてます。
こんなのはどうでしょうか。どっちが自然か。
「万引き犯を捕まえた生徒ら3人に感謝状を贈った」
「万引き犯を捕まえた生徒ら3人へ感謝状を贈った」
まあ、こういう問題は考えている内に
どっちでも良くなってくるんですが。
ところが、花束に添えるカードとなると、これは間違いなく
「先生へ」
です。小学生の女の子なんかはこんな風に書いてましたね。
いったい何処からこういう装飾法が出てきたのか、
自分自身が小学生だった時から疑問で、
同級生を謎の生き物を見る様な目で見ていたような記憶が有ります。
(だってこれじゃ「べ」だし。)
そういえば、もう少し年代が上がると
『文章読本さん江』
みたいな凝った表記が…
ではなくて、こういうカードで「先生に」とは
書かないのは何故か。
1. 「先生に」だと、後ろに「(あげる)」とか「(贈る)」が
省略されているように感じられますが、「先生へ」だと
それだけでも文が完結するような感じがします。
どういう事か。
2. 「先生への」は言える; 「先生にの」は言えない。
この前の文法学会で柴谷先生がこんな事を発表していました:
「私の」は後ろに名詞が続こうが、「が」が続こうが、
準体言として機能していると考えられるそうです。
「先生へ」も似た様な機能が有るから言い切った形が自然になる?
ちょっとまだ分かりませんねえ。
2009年10月18日日曜日
2009年10月10日土曜日
重版出来
よく新聞などで見かける新刊の広告、「忽ち増刷」なんて見慣れない用語が並んでますが、「重版出来」、これは「じゅうはんでき」だろうとずっと思っていたら、或る広告で「出来」に「しゅったい」と読みが振ってあって甚く驚きました。確かに「出来」を「でき」と読んだら「上出来」の様な使い方と微妙にずれてて一寸引っ掛かるなあとは感じていましたが…。
辞書を引くと「しゅつらい」の変化だそうです。「しゅつらい」が「しゅったい」とは、これまた珍しい音変化ですね。「出」の元々の中国音は /-t/ で終わる「入声(にっしょう)」なので、[tɕʰut lai] と子音が連続する事になります。日本語なら単に母音を補って [ɕɯtsɯlai] としてしまえば簡単な筈なんですが、敢えて子音連続した時の特殊ルールを使うあたり、高度です。
普通、子音が連続した時は後ろの子音の特徴が前に影響する事が多いです。例えばフランス語の単語、absolument の b は後ろの s に影響されて [p] になります。「しゅつらい」と同じ t + l の場合はちょっと変則的で、atlas [atˡlas] と、側面解放という技を使ってますね。英語も [ætˡləs] かな?
ところが日本語では側面解放をしない。かといって、イタリア語の様に [rː] や [lː] とも調音できない。(「っら」が入ってる単語は日本語には無い筈です。)さあ、どうするか。というわけで出てきた解決策が [ɕɯt̚tai] という奇妙な形。こんなのが現在まで生き続けているとは。
いやこれは、現代人にとっては「三位(さんみ)一体」と同じくらい不可解ですね。「三」は元々 -m 終わりだったらしいですから、後ろに母音が来れば sam + i で、「さんみ」に成る、と説明されれば、まあ分かりますが。
あ、でも「三位(さんい)」と発音できる現代日本人は逆に器用なのかも知れませんね。「新青森」、「新今宮」、「新鵜沼」、「新江古田」、「新大阪」なんて、慣れてないアメリカ人が発音したら、きっと、「しなおもーり」、「しにまみーや」、「しぬぬーま」、「しねこーだ」、「しのさーか」ですよ。
音の繋がりと言えば、フランス語のリエゾン (liaison) 現象なんてのが有りますが、巷では英語の音連結もリエゾンと称しているようですね。an apple が「アナポー」とか take it easy が「テイキリージー」とか。でもこれ、liaison じゃなくて enchaînement です。なんで誤用が広まってるんだろう…。
liaison というのは、発音されない語末子音が、後ろに母音始まりの語が来た時に復活する――大雑把に言えばそういう規則です。例えば、定冠詞の les は s の音が落ちて [le] になりますが、母音で始まる、例えば「肩」 épaules が後ろに続くと les épaules [le ze pol] と、[z] となって復活します。(フランス語版の Wikipedia は「肩」の項目に粋な写真載せてますね。ああいう遊び心、好きです。)
対して enchaînement は元々発音されていた子音と次の語の母音がくっ付くだけ。"J'en ai un.(それなら一つ持ってる)" [ʒɑ̃ ne œ̃] とかですね。少なからぬ英語人が「リエゾン、リエゾン」言っているのもこれです。何の変哲も無い現象なんですが、英語話者やフランス語話者は余りに無意識に enchaînent してしまうので、日本語の「子音終わり + 母音始まり」を繋げない発音は、意識しないと難しいみたいです。(上の駅名の例)
「出来」に戻ります。「元祖の中国はどうなんだろう」と辞書を引くと、現代の普通話だと「出」は chu(1) になってました。語末の -t は潔く切り落とす。日本語が母音を付加して /t/ を保存してるのとは対照的ですね。それが歌にも反映されてるのかもしれません。中国語は音節構造が割と一様なので、英語よりは単調に感じられる。日本語ほどでは有りませんが。あ、でも1音節当りの情報密度は英語以上か…。
辞書を引くと「しゅつらい」の変化だそうです。「しゅつらい」が「しゅったい」とは、これまた珍しい音変化ですね。「出」の元々の中国音は /-t/ で終わる「入声(にっしょう)」なので、[tɕʰut lai] と子音が連続する事になります。日本語なら単に母音を補って [ɕɯtsɯlai] としてしまえば簡単な筈なんですが、敢えて子音連続した時の特殊ルールを使うあたり、高度です。
普通、子音が連続した時は後ろの子音の特徴が前に影響する事が多いです。例えばフランス語の単語、absolument の b は後ろの s に影響されて [p] になります。「しゅつらい」と同じ t + l の場合はちょっと変則的で、atlas [atˡlas] と、側面解放という技を使ってますね。英語も [ætˡləs] かな?
ところが日本語では側面解放をしない。かといって、イタリア語の様に [rː] や [lː] とも調音できない。(「っら」が入ってる単語は日本語には無い筈です。)さあ、どうするか。というわけで出てきた解決策が [ɕɯt̚tai] という奇妙な形。こんなのが現在まで生き続けているとは。
いやこれは、現代人にとっては「三位(さんみ)一体」と同じくらい不可解ですね。「三」は元々 -m 終わりだったらしいですから、後ろに母音が来れば sam + i で、「さんみ」に成る、と説明されれば、まあ分かりますが。
あ、でも「三位(さんい)」と発音できる現代日本人は逆に器用なのかも知れませんね。「新青森」、「新今宮」、「新鵜沼」、「新江古田」、「新大阪」なんて、慣れてないアメリカ人が発音したら、きっと、「しなおもーり」、「しにまみーや」、「しぬぬーま」、「しねこーだ」、「しのさーか」ですよ。
音の繋がりと言えば、フランス語のリエゾン (liaison) 現象なんてのが有りますが、巷では英語の音連結もリエゾンと称しているようですね。an apple が「アナポー」とか take it easy が「テイキリージー」とか。でもこれ、liaison じゃなくて enchaînement です。なんで誤用が広まってるんだろう…。
liaison というのは、発音されない語末子音が、後ろに母音始まりの語が来た時に復活する――大雑把に言えばそういう規則です。例えば、定冠詞の les は s の音が落ちて [le] になりますが、母音で始まる、例えば「肩」 épaules が後ろに続くと les épaules [le ze pol] と、[z] となって復活します。(フランス語版の Wikipedia は「肩」の項目に粋な写真載せてますね。ああいう遊び心、好きです。)
対して enchaînement は元々発音されていた子音と次の語の母音がくっ付くだけ。"J'en ai un.(それなら一つ持ってる)" [ʒɑ̃ ne œ̃] とかですね。少なからぬ英語人が「リエゾン、リエゾン」言っているのもこれです。何の変哲も無い現象なんですが、英語話者やフランス語話者は余りに無意識に enchaînent してしまうので、日本語の「子音終わり + 母音始まり」を繋げない発音は、意識しないと難しいみたいです。(上の駅名の例)
「出来」に戻ります。「元祖の中国はどうなんだろう」と辞書を引くと、現代の普通話だと「出」は chu(1) になってました。語末の -t は潔く切り落とす。日本語が母音を付加して /t/ を保存してるのとは対照的ですね。それが歌にも反映されてるのかもしれません。中国語は音節構造が割と一様なので、英語よりは単調に感じられる。日本語ほどでは有りませんが。あ、でも1音節当りの情報密度は英語以上か…。
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