2013年4月28日日曜日

給食アレルギー事故の背景

学校給食の場で、アレルギーを持つ児童に
誤ってアレルゲンを摂取させてしまう事故が
頻発しているようです。

ただ、事故の背景として日本の食文化の性格を
疑う議論はあまり出てきません。




例えば、2013年2月21日放送のNHKクローズアップ現代では、

  • アレルギーに対する担任の認識が不足していた
  • 調味料の変更時に原材料を確認しなかった
  • 担任以外の教職員にアレルギーの情報が共有されていなかった

事などを指摘していますが、それらを単純に
ヒューマン・エラーとして扱ってしまっても良いのでしょうか。

私にはどうも、エラー発生の深層が
見逃されているような気がします。



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日本は、例えば猛毒のフグを敢えて食べるなど、
食の探求に異常なほど情熱を燃やす国ですが、

その反面、文化的な食の禁忌はほとんど無く、
出されたものは何でも食べるのが美徳やマナーになっています。

このような文化の中で生まれ育った日本人は、

食べ物に厳格なカテゴリを設け、
それを峻別する事ができない

のではないかと私は疑っています。

典型的な例が、進出先のインドネシアで
イスラームの禁忌を甘く見て
やらかしてしまった味の素ですね。



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食物アレルギーではありませんが、私は菜食主義を実践しているので、
一般的な日本人が食べ物に対して持っている認識カテゴリが
どれほど未分化で曖昧なものか、目の当たりにする事がよく有ります。

「菜食主義なので肉や魚は食べられない」

と念を押しても、料理にカツオ削り節やらカマボコやらが混入しますし、
調味料やスープの出汁、揚げ油などは完全に意識の外です。

「【野菜】コロッケ」や「【野菜】カレー」という名称には何度も騙されました。

寺の精進料理でさえ五葷が使われていたりします。

こんな状況ですから、信頼できるのは
国際線の機内特別食くらいなものです。



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自身や、一緒に生活している家族が
アレルギーや食の禁忌を持っていない人々。

彼らと私たちでは恐らく
世界の見え方や認識の枠組みが全く違います。

学校給食にガイドラインを作ったり情報共有を徹底したりしても、
食品カテゴリを厳格に弁別する認識の土台が無ければ、
容易に意識から滑り落ちてしまうのではないでしょうか。

これが、アレルギー事故発生の背景に
有るのではないかと、私は思います。



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そう考えると、生死に関わるアレルギーを持った児童に
学校給食を食べさせるのは、随分と危険な賭けに見えます。

それでも、どうしても学校給食を食べさせたいなら、
条件の一つとして、教職員の意識改革が必要なのではないでしょうか。

例えば、「牛」、「卵」、「小麦粉」などの食材を任意で一つ選び、
それを禁忌として、丸一年間、徹底的に避けてみる。

牛であれば、牛肉だけでなく、その脂やスープ、香料、ゼラチンまで。
自宅での調理だけでなく、外食や弁当、惣菜、加工食品まで。

こうして意識の中に新たなカテゴリを強固に形成すれば、
牛以外のカテゴリー、つまり児童が持つアレルゲンにも
自然と注意が向くようになるかもしれません。

これを、大学の教職課程や研修に組み込む事が考えられます。



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とは言いましたが、まあ実行は無理でしょうね。

この方策は単なる「意識改革」ではなく、
「文化の書き換え」と言えるほど根本的なものですが、

日本社会、特に教育関係者の世界に、
そんな多文化策を容認できるほどの度量が有るかどうか。