方言がトリックに使われていると聞いて、
松本清張の『砂の器』(新潮文庫版)を手に取った。
東京からは丸っきり正反対の方角、
夜行列車に一昼夜も乗るような距離の二地方が
偶然そっくりなアクセントを持っている
という事実が確かに織り込まれている。
さぞ、新聞連載当時の読者を驚かした事だろう。
ところで同作の刊行は昭和36年。もう50年近くも前だ。
社会インフラも価値観も今とは懸け離れていて、
犯人を追う刑事の捜査も信じられないくらい
人力な方法が多く、当時の読者よりも現代の読者の方が
その努力・忍耐に驚嘆するのではないかと、
読みながら余計な事を考えてしまう。
(直前に読んだ小説が西尾維新の
『りすか』シリーズだったので余計に。)
他にも随所に時代色が感じられる描写:
――国電、公共の場で喫煙、亭主関白、部屋着は着物、
引越しの荷物が行李、30代の登場人物が戦前生まれ…。
言葉遣いにも古めかしさが残り、推理の鍵である
方言よりも寧ろ共通語の過去の姿に注意が向く。
読みながら用例を採取してしまった。
折角なので、採取した用例が死語と化したか、
それとも依然、命を永らえているのか、
大雑把だが、google で検索してみた。