新解さんと言えば、独断と偏見が滲み出る語釈と、
辞書としては禁じ手の勝手な造語で有名だが、
他にも目立たない処に不思議なものが潜んでいる。
再び第四版から「可能性」の項。先ずは語釈だけ。
かのう(0)【可能】-な -に
そうすることが出来ること。「実行―」
【━━性(0)】
(一)
その事が可能である・こと(か どうか)。
(二)
何らかの形を取って顕現することが期待される能力。
〔多く、予測出来ない能力について言う〕
(三)
そういう・事態になる(事情である)場合や、
そういう事が多分に考えられること。また、その度合い。
これらに対して以下の例文が添えられている。
それぞれどの語義の例文か分かるだろうか。
1. 子供の―〔=潜在的能力〕を啓く教育
2. 思惟と表現の―〔=どこまで到達し得るかの限界〕を模索する
3. 月世界旅行の―を予言する
4. 動物にも心的体験が存在し得る―〔=か どうか〕について
5. 人間というのは、いろんな―を持っている
6. 無限の―〔=将来性〕を秘めたまま夭逝した天才
7. 予見の―が有った〔=危険が起こることを予測出来た はずであった〕
新解さんの答えはこうだ。
語義(一) 3, 4, 2, 7
語義(二) 5, 1, 6
語義(三) なし
本当にこれで良いのか?
例文2は語義(二)、例文4は語義(三)では?
どうも新解さんの論理は腑に落ちない。
ところで、「なし」回答だった語義(三)には
例文の代わりにコロケーションが列挙してある。
「―・が(も)有る」
「―が・十分だ(出てくる・否定出来ない)」
「―が・大きい(高い・強い・多い・濃い)」
「―が・少ない(小さい・薄い)」
「―を・はらむ(秘める・持つ)」
「―を・占う(捨て切れない・奪われる・生かす・
もたらす・与える・探る・開く・示す・討議する)」
「―が・残っている(生まれてくる)」
なぜ語義(三)だけコロケーションなのかはさて置き、
仔細に見るとこれも引っ掛かる。
大きい・高い・強い・多い・濃い
少ない・小さい・薄い
「可能性が【低い】」って言いません?
発行当時(1989年)は言わなかったのだろうか。
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などと批判を重ねてきたが、
新明解が悪書だと訴えたいのではない。
寧ろ
型破りな語釈で辞書への過信を戒め、
錯綜した用例で論理への感度を養う
新明解は優れた教師なのだ
……と思いたいけど
普通に意味を調べたい時は
他の辞書使ってる。