2016年7月19日火曜日

自転車と歩行者の事故は本当に自転車の歩道通行が原因?

自転車に車道を走らせる根拠として用いられる、「車との事故リスクは車道上より歩道上の方が高い」という主張が疑わしい事は既に指摘されていますが(*)、ではもう一つの根拠、自転車と歩行者の事故リスクについてはどうでしょうか。

* あしたのプラットホーム(2016年03月02日)「警察庁科警研:自転車の歩道走行と車道走行の危険性比較
* ランキング日記(2014年06月08日)「自転車は本当に車道のほうが安全なのか?


「自転車は歩道から出ていくべきだ」という主張には、「自転車と歩行者の事故は歩道上で起こるもの」との暗黙の前提が感じられますが、事故統計を見ると実態はそうとも限らないようです。



國行 浩史(2012)「自転車と歩行者の交通事故の実態」『ITARDA 第15回 交通事故・調査分析研究発表会

(國行, 2012, p.9)

國行氏の発表資料に掲載されている、ITARDAの交通事故統合データの集計結果です。集計期間最後の2011年は秋に警察庁が自転車の車道通行原則を打ち出した年ですが(**)、集計期間の大部分は基本的に自転車の歩道通行が当たり前だったと考えられます。

** 警察庁交通局長(2011年10月25日)「良好な自転車交通秩序の実現のための総合対策の推進について


集計結果の「歩車道区分あり」を見ると、
  • 歩道等での事故: 歩道の5624件+路側帯の563件=6187件
  • 車道での事故: 車道の2245件+交差点の2705件=4950件
比率で言えば56:44と、意外と近い水準です。「自転車と歩行者の事故」という字面から何となくイメージする歩道上での事故が圧倒的に多いわけではないんですね。

尤も、これは単なる件数で事故率ではありませんから、「車道を走る自転車は台数が少ない割にこんなにたくさん事故を起こしている」というような事は言えません。通行量まで考慮してのリスク比較研究は今後数年以内に出てくるんじゃないかなあ(もう発表されてるかも)。

次は事故様態を見てみます。

(國行, 2012, p.10)

全年齢・全時間帯合計を見ると、
  • 歩行者・自転車が共に歩道通行中だった事故: 2863件
  • 車道通行自転車と横断歩行者の事故: 横断歩道外の2736件+横断歩道の992件=3728件
で、特に横断歩道以外の場所で車道を渡ろうとした歩行者との事故が多い点が印象的です。これ、法的には自転車の方が過失が重かったとしても、交通心理学的には回避が難しい事故だった可能性も有りますね。

何にせよ、これほど車道上で事故が起こっているという実態を見ると、「自転車に車道を通行させるのは歩行者の安全の為だ」という主張には首を傾げざるを得ません。



横断歩道を渡ろうとしたら車道を走って来た自転車に危うく撥ねられそうになったという体験は、車道を走る自転車が増えてきた昨今、誰もが一度や二度はしているでしょう。私自身もそうですし、身近な人からも聞きます。

歩行者用信号の有る横断歩道では、車道通行自転車の94.6%が信号無視をしていたとの調査結果も有ります:

元田良孝、宇佐美誠史、熊谷秋絵(2010)「通行方向・赤信号に関する自転車の交通違反の原因に関する研究」『交通工学研究発表会論文集』Vol.30, pdf p.2

余談ですが、このグラフを見るだけでも、
自転車がルール違反をするのは長年の歩道通行で気持ちが弛んでいるからだ。車道通行を強制すれば恐怖と緊張で自然とルールを守るようになる。
という尤もらしい言説が、実は単なる希望的観測に過ぎず、現実に全く即していない事が丸分かりです。騙されている人は多いようですが。



車道通行する自転車のこうした危険性に対して、教育や取り締まりが足りないのだ、車道通行自体は正しいのだという反論が考えられますが、現実問題として、
  • 学生や労働者の生活に交通安全教育を差し込む余地がどれだけ有るのか
  • 自転車の交通違反取り締まりに振り分けられる警察官がどれだけいるのか
  • 仮に自転車利用者に広く交通ルールが浸透しても、個々の交通状況に際して、ルールを守る事に合理性を見出せないのであれば、やはりルール違反は無くならないのではないか
等々含めても、果たしてそう言えるのでしょうか?



私自身は、「自転車は歩道を走るべき」とか「車道を走るべき」という考え方はしません。「自転車がどこを走れば全ての道路利用者にとって最適か」と考えます。その答えは個々の道路構造や交通状況に依って変わります。

また、自転車通行空間が整備される場所が法律上「歩道」に分類される空間か、「車道」に分類される空間かという形式的な問題にも拘りません。車道と歩道の中間の高さに通行空間を整備したら、そこは一体どちらに分類されるというのでしょう? 元々車道だった部分を自転車通行空間に転換するのではなく、新設道路に最初から設ける場合、そこは一体どちらに分類されるというのでしょう? そんな瑣末な事はどうでも良いです。

それよりも、
  • 交通参加者が互いを認識しやすいよう、認知負荷が集中しないように配慮したり、視距を充分確保しているか
  • 交差箇所では非優先側の利用者が自然と徐行や一時停止するよう促す構造か
  • 利用者がエラーを起こしても事故に直結しないよう、構造に寛容さを持たせてあるか
  • 通行時、強い緊張や恐怖、不快さを伴わないか
  • 不必要な屈曲や凸凹、急勾配などが無く、誰でも快適に通行できるか
  • (特に交差点周辺で)通行動線や待機場所が直感的に把握できるか
  • 同一空間に駐車と通行など複数の機能を重複して割り当て、利用者間のコンフリクトを引き起こしていないか
  • 大規模な工事を伴わずに短期間で安価に整備できるか
  • 路面清掃や除雪などの作業を機械化できるか
などの機能面の条件を満たしているかどうかが重要だと考えています。当然、車道上の自転車レーンという選択肢も、これらの条件を満たすなら充分アリですし、自転車の車道走行に拘る人たちが忌み嫌う、歩道上の自転車通行指定部分(と法的に分類される)空間も、機能面の配慮が為されているならアリです。



しかし日本では今、こうした機能主義ではなく、「自転車は法の原則に従って車道を走るべきだ」という形式主義に基づいて、安全上の充分な配慮をしないまま自転車を車道に放り出す動きが各地で見られます。

都道414号・千駄ヶ谷駅付近

過去の関連記事
自転車レーン上の路上駐車の写真

これは自転車と車の関係だけでなく、自転車と歩行者の関係でも同じです。その歪みを端的に伝えるのが、今年5月に注目を集めたこのツイートですね:

交通施策は「自転車の車道通行原則」という信念、教義を実現する為のものではありません。この原則は飽くまで手段の一つであり、本来の目的は安全で円滑な交通です。





さて、今回の記事の中心はITARDAの研究発表資料でしたが、これはもう4年も前のもので、取り立てて目新しい情報ではありません。なので、

「何を今さらそんな資料を持ち出して。前から知ってたよ」

と思われた事でしょう。そうであって欲しいのですが、もし、以前から自転車政策に関心が有って疋田氏や古倉氏など有識者の著作を読んだり講演を聴いたりしていたにも関わらず今初めて知ったというのであれば、それは日本での自転車政策の議論が、自らの主張に都合の良い資料だけを取り上げ、それ以外の不都合な情報については口を噤むという、確証バイアスに深く染まったものであるとの傍証かもしれないねっていうのが今回のオチ。