2016年12月24日土曜日

交差点内の路面表示を巡る自転車ガイドライン検討委員会での議論

国土交通省と警察省が2012年に発表した『安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン』(現在は2016年の改定版が最新)の策定に先立って開催されていた検討委員会で、交差点内の設計について有識者らと事務局が交わしていた議論があまりに低レベルだったので、海外の論文2本で補いました。



2012年2月22日に開催された第3回委員会では、車道左端に自転車レーンなどの通行空間を設ける事を前提にした交差点設計例「参考資料2-3 交差点部の設計」が配布されました。



この図の交差点内の部分について、委員の一人(議事録に発言者名が記載されていないので誰かは不明)が、
・自転車事故の大半が起こっている交差点の内部について、自転車の通行位置を指定し走行空間の整序と自動車からの通行位置の予測可能性を高める意味でも、法定外の矢羽を専用通行帯に変えることはできないのか。これは、自転車横断帯についてやっていた実績がある。
と指摘しました(出典:「第3回 安全で快適な自転車利用環境の創出に向けた検討委員会 議事概要」p.4)。

これに対して委員会の事務局(って具体的にどの組織の誰なんでしょうね?)は、
交差点内まで自転車レーンを設置するべきではないかという意見については、基本的に、交差点内ではレーン規制は行っていない。交差点は、いろいろな方向に通行する車両が交錯する場所であるので、特定の方向の車両だけをことさらに優先されるかのような誤解を生じるレーン規制を交差点内ですることは必ずしも望ましくないというような考え方で、数十年来そのような規制を行ってこなかったと考えている。よって、レーンを表示すると、そこが自転車の走行空間であるということがより明示的になるという効果があるが、それ以上に、双方が注意して通行していただくことが極めて重要であり、そういう意味で、法定外表示としての矢羽というのは、必要なことでもあろうと思うが、レーンを表示することは必ずしも望ましいことではないと考えている。この例のように、自転車専用信号の設置により別の信号制御を行うということを前提にした場合にこういった運用形態というのはあってもいいだろうとは思うが、その場合であっても、交差点内までレーンを引くというのは、ほんとうに特殊なケースで、原則として行ってきていない。1つ目の絵柄は、直進する自転車と左折する自動車が交錯してとても危険であるため、上の枠で囲ったところに「自転車専用信号の設置により」と書いているが、やはり自転車専用信号を設置できるような場合でないと、危ないと思う。
と、異例の長文で反論しています(出典:「議事概要」p.5)。

普段は委員らの議論を横で黙って聞いているだけで、発言するにしても2〜3行程度の分量で済ませる事務局が、ここまで執拗に反論してくるのを見ると、委員が触れたのは、旧来の車中心の価値観に染まった事務局側の人間が譲れない一線だったのかなと勘繰ってしまいますね。



さて、では議論を一つずつ追っていきましょう。

まず委員は交差点内の路面のペイントを、法定外の矢羽から「専用通行帯」にできないかと問題提起しています。自転車横断帯を前例として挙げている事から、おそらく委員の真意は「断続的な矢羽型のペイントではなく、より明確な、連続した帯状のペイントにできないか」程度のものだったのでしょうが、幾らその外観が自転車横断帯に似ていても、法的には自転車横断帯と異なり、交差点内での車両間の優先関係には効力が有りません。事務局側の反論の冒頭もこの点を捉えたものでしょう。

しかし事務局の反論はそれだけでは止まりませんでした。自転車の通行空間の明確化よりも(自転車利用者とドライバーの)双方が注意して通行する事の方が重要であると断言しています。それを支える客観的な根拠は何一つ示さずに。

これを受ける形で委員が再び意見を出していますが(出典:「議事概要」p.5)、
・交差点部にも自転車の専用帯ができた場合、交差点部はもう信号で制御されているということを前提に考えると、交差点部ほど、自転車が通るところを車から認識されることが必要だと思う。自転車が通る位置に自転車横断帯が引かれていれば、かえって車からも認識されるし、自転車もそこをはみ出てまで通ろうとはしなくなるのでは。
今度は「専用通行帯」ではなく「自転車横断帯」という表現を使っています。有識者とはいえ専門職ではないが故の表現の揺らぎなのか、それとも別の発言者だからなのかは分かりませんが、とにかく先ほどとは命題が別物になっています。

ところが事務局は委員の発言意図を無視し、自転車横断帯ではなく専用通行帯であると問題をすり替えて再度同じ反論をしています(出典:「議事概要」p.5)。
例えばこの図の1つ目で、ずっと青いラインを続けてしまったとした場合、左折する自動車と直進する自転車との関係が実は道路交通法上明確でなければ、一般の交通する人にとっても明確でない。よって、ずっと青いラインがつながっていると、いかにも自転車優先のように見えるのは、多分、ドライバーを含めて交通者全般の受け入れるところではないだろうというふうに思っている。したがって、交差点そのものを自転車専用通行帯でつなげるのであれば、専用信号機で自動車と自転車の分流をしないと安全は確保できないだろうと思っている。
特に、
いかにも自転車優先のように見えるのは、多分、ドライバーを含めて交通者全般の受け入れるところではないだろう
の部分には、ついに馬脚を露わしたな、という印象を受けますね。「を含めて交通者全般」と付け足していますが、各交通参加者がそれぞれ利己的に判断するなら、自転車優先を受け入れたがらないのはドライバーだけでしょう。自転車のために車を待たせるなど論外という価値観が透けて見えます。

しかし、委員が提起している車道左端の延長線上の自転車横断帯は、数こそ少ないですが既に存在しており、

大森の桜新道(撮影場所URL
歩行者に歩道橋を渡らせている関係からか、交差点とその直近だけ車道上に自転車通行空間が設けられている。台東区の国道4号・三ノ輪交差点も同じ。この他、ひたちなか市の勝田駅前から延びる道路の交差点(例えばここ)では自転車道の延長線上に自転車横断帯が設けられている。こうした事例が珍しいのは、事務局が言うような優先関係の誤解防止が理由ではなく、単に車道端に自転車道を整備してこなかったからでは?

道路交通法では、自転車横断帯を通行する自転車が優先、横切る側が劣後と定められています。
第三十八条  車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。
これを否定しようというのであれば、自転車側を劣後に変更する事の合理性を支持する客観的な根拠を示さなければなりません。でなければ、事務局の人間の身勝手な価値観がそのまま国政に反映されてしまいます。ところが委員らはこれ以上反論せず、両者ともに「〜と思う」以上の根拠を示さないまま会議が終わってしまっています。



さて、日本国外では自転車横断帯の安全面への影響について事故統計から評価した研究が、デンマークとオランダから発表されています。

デンマークの1996年の研究
Søren Underlien Jensen, Michael Aakjer Nielsen. (1996). "Cykelfelter - Sikkerhedsmæssig effekt i signalregulerede kryds". Rapport nr. 51
は、車道端の延長線上に自転車横断帯(cykelfelter)を整備した信号交差点(3叉路と4叉路)について、整備後に自転車関連事故の総数および死亡・重症事故が「期待事故件数(forventede uheldstal)」よりも有意に少なかった(=安全になった)事や、帯状ペイントではなく破線を引いただけの横断帯では有意な減少が見られなかった事などを報告しています。委員側の主張の補強に使えそうな結果ですね。

S.U. Jensen et al. (1996, p.10) のモノクロ図と同じ図のカラー版

研究デザインは以下の通り。全国の事故発生状況を元に、もし自転車横断帯を整備していなかったらこれくらい事故が起こっていただろうという件数を基準に増減を判定しています。

S.U. Jensen et al. (1996, p.8)
Det forventede uheldstal beregnes som uheldstallet, fra perioden før cykelfelterne blev anlagt, ganget med en korrektionsfaktor. Korrektionsfaktoren for cykel- og knallertuheld er beregnet på baggrund af uheldsudviklingen på landsplan - måned for må- ned - for henholdsvis cykel- og knallertuheld i henholdsvis 3- og 4-benede signalre- gulerede kryds. Tallene på landsplan er altså kontrolgruppe i undersøgelsen. Korrek- tionsfaktoren for øvrige uheld er beregnet på baggrund af alle krydsuheld i henholds- vis 3- og 4-benede signalregulerede kryds. Korrektionsfaktoren er forholdet mellem antallet af uheld i efterperioden på landsplan og antallet af uheld i førperioden på landsplan. På grund af utilstrækkelige oplysninger om trafikmængderne i krydsene indgår trafikudviklingen ikke i beregningen af korrektionsfaktoren.

(引用者訳)
期待事故件数は、自転車横断帯の設置前の事故件数に補正係数を掛けて求めたものである。自転車とモペッドの事故の補正係数は、全国の3枝および4枝の交差点に於ける月ごとの自転車とモペッドそれぞれの事故発生状況を元に算出している。従って全国の交通事故発生状況が本研究での対照群である。その他の事故の補正係数は3枝と4枝それぞれについて全ての交差点事故を元に算出した。補正係数は、自転車横断帯の整備前と後の全国の事故件数の比である。個別の交差点での交通量については充分な情報が得られなかった為、補正係数の算出過程でtrafikudviklingenを考慮している。


対して、オランダの2011年の研究
J.P. Schepers, P.A. Kroeze, W. Sweers, J.C. Wüst. (2011). "Road factors and bicycle–motor vehicle crashes at unsignalized priority intersections". Accident Analysis and Prevention. 43(3), pp.853-861
は市街地の無信号交差点(幹線道路と細街路の接続点で、幹線道路側(自転車道なども含む)に優先通行権が有るもの)について、種々の構造上の特徴が事故件数にどう影響しているのかを、自転車と車の交通量も含めて回帰モデルで分析したもので、
  • 優先道路(幹線道路)を通行する自転車と細街路に出入りする車の事故(Type I crash)
  • 優先道路を通行する車と、そこを(交差点、または単路の自転車横断帯で)横断する自転車の事故(Type II crash)
のそれぞれについて報告しています。Type I crashについては、横断部分の赤系ペイントや強調表示が事故の多さに正に働く因子という分析結果になっていて、デンマークの研究とは逆に、事務局側の主張を裏付けていますね。



ちなみに私自身は、


検討委員会で提案されていたこの交差点構造や、その見本になったと思われるデンマークの交差点構造よりも、



オランダの交差点構造や、


Protected Intersections For Bicyclists from Nick Falbo on Vimeo.

それに範を取ったアメリカのprotected intersectionの方が安全性でも利便性でも優れていると思っています(「思っている」というのは、オランダでもアメリカでもこの交差点構造の安全性についての調査報告がまだ出ていないからです)。



外部サイトの関連記事

https://bicycledutch.wordpress.com/2011/04/07/state-of-the-art-bikeway-design-or-is-it/
アメリカの交差点設計を大転換させるきっかけになった、オランダ人設計技師によるブログ記事。2011年にアメリカの当局が発表した自転車インフラ設計指針を批判し、同じ空間リソースの中で実現可能なより良い代替案を示している。

https://bicycledutch.wordpress.com/2011/05/05/state-of-the-art-bikeway-design-a-further-look/
上の続編

https://bicycledutch.wordpress.com/2014/02/23/junction-design-in-the-netherlands/
さらにその続編。設計上の要点を実際の通行風景の映像を交えて分かりやすく説明している。

http://www.protectedintersection.com
上記のオランダのブログに着想を受けてアメリカの道路コンサルが作成したprotected intersectionのアイディア紹介ページ。アメリカ国内ではその提案を受けて2015年に3都市、計4箇所の交差点が実際に改修され、供用開始されている。