2023年10月19日木曜日

カナダ連邦警察による交通安全動画の炎上事例

警察による交通安全の啓発活動は交通弱者への責任転嫁と表裏一体であることが多く、これまでも世界各国で炎上してきました。今月も新たな事例がカナダで発生しています。発端は王立カナダ騎馬警察リッチモンド支部の投稿でした。

動画の内容

イヤホンを掛け、フードを目深に被って横断歩道を渡る女性。

近づく車を運転する男性はスマホに気を取られて前を見ていない。

衝突寸前に男性が気づいて急ブレーキを掛け、驚く二人。

男性は気まずそうにスマホを置き、女性は恐怖の残る表情でイヤホンを外す。

暗転して "Pedestrian safety is a two-way street."(歩行者の安全は双方の協力で)の文字。

批判

この投稿に対しては、動画の中で違法行為をしているのは車の運転手だけ、交通弱者に責任転嫁している、道路の再設計(例えば減速を強いる構造の横断帯)こそ必要、など批判的な意見が殺到しています。

元の動画に字幕を追加してリミックスする人もいました。

字幕の抄訳

[…]

歩道を歩きなさい

横断歩道を渡りなさい

信号が変わるのを待ちなさい

[…]

私たちは子供に何でも「正しく」するよう求める

運転する大人がどれだけ間違えても良いように。

道は両方向かもしれないが責任は違う。

道路での暴力行為は防げる。

私たちがその選択を避け続けているだけ。

さらにブリティッシュ・コロンビア州のDavid Eby首相も

"I do think that the video …(法を守って横断する歩行者とスマホを見ている運転者が同等であるかのように描いたという点でこの動画は失敗作だ)

コメントしています

啓発活動の副作用

交通弱者の側にも等しく注意を呼びかけるこうした警察のキャンペーンは、事故防止の観点だけで言えば有効でしょう。

しかしそれは、大重量機械を高速で動かす(死傷リスクを発生させる)側の人と、その危険に一方的に晒される側の人が半々で責任を分け合うのがさも当然であるかのような価値観を社会に刷り込み、その倫理観を蝕んでいく危険を孕んでいます。

そしてそれは長期的に、社会を交通強者にとって都合が良く、弱者にとって厳しいものへと変質させていき、車という鎧を纏わなければ安心して外出できない環境の発生・放置に繋がりかねません(日本の場合、警察は「夜間は反射材を」に留まらず「明るくなってから外出するように」とまで言うようになっています)。

この環境に適応して強者が多数派になれば、弱者への配慮、関心、資源配分がますます小さく、遅く、的外れになるでしょう。

炎上後の声明

今回の炎上についてリッチモンド警察は、

"The purpose of the video is …(動画の目的は被害を減らし、命を守り、意識を高めることだ。何が何より正しいかではない。)

"It is not laying blame on …(どちらか一方に責任をなすりつけているのではない。実際に起こり得る状況を見せているだけだ。)

と、動画の意図を正当化するばかりで、動画がもたらし得る悪影響についての反省は(少なくとも報道では)見られません。

とにかく事故を減らすことだけが目的になっていて、どんな社会を目指すべきかの展望を持ち合わせていない組織なのかな?という印象を受けます。

警察に求める姿勢

警察は、その語り方如何で次の世代の環境を変え得る立場にあります。「事故が減らせるなら」と見境なく何でもやって良いわけではありません。自らの力を自覚した慎重さ、視野の広さが必要です。

各交通参加者に注意を呼び掛けるにしても、それぞれの責任の重さが決して対等ではないことを明示的に伝え、表現に失敗したらそれを認めて改めるべきだと思います。