よく新聞などで見かける新刊の広告、「忽ち増刷」なんて見慣れない用語が並んでますが、「重版出来」、これは「じゅうはんでき」だろうとずっと思っていたら、或る広告で「出来」に「しゅったい」と読みが振ってあって甚く驚きました。確かに「出来」を「でき」と読んだら「上出来」の様な使い方と微妙にずれてて一寸引っ掛かるなあとは感じていましたが…。
辞書を引くと「しゅつらい」の変化だそうです。「しゅつらい」が「しゅったい」とは、これまた珍しい音変化ですね。「出」の元々の中国音は /-t/ で終わる「入声(にっしょう)」なので、[tɕʰut lai] と子音が連続する事になります。日本語なら単に母音を補って [ɕɯtsɯlai] としてしまえば簡単な筈なんですが、敢えて子音連続した時の特殊ルールを使うあたり、高度です。
普通、子音が連続した時は後ろの子音の特徴が前に影響する事が多いです。例えばフランス語の単語、absolument の b は後ろの s に影響されて [p] になります。「しゅつらい」と同じ t + l の場合はちょっと変則的で、atlas [atˡlas] と、側面解放という技を使ってますね。英語も [ætˡləs] かな?
ところが日本語では側面解放をしない。かといって、イタリア語の様に [rː] や [lː] とも調音できない。(「っら」が入ってる単語は日本語には無い筈です。)さあ、どうするか。というわけで出てきた解決策が [ɕɯt̚tai] という奇妙な形。こんなのが現在まで生き続けているとは。
いやこれは、現代人にとっては「三位(さんみ)一体」と同じくらい不可解ですね。「三」は元々 -m 終わりだったらしいですから、後ろに母音が来れば sam + i で、「さんみ」に成る、と説明されれば、まあ分かりますが。
あ、でも「三位(さんい)」と発音できる現代日本人は逆に器用なのかも知れませんね。「新青森」、「新今宮」、「新鵜沼」、「新江古田」、「新大阪」なんて、慣れてないアメリカ人が発音したら、きっと、「しなおもーり」、「しにまみーや」、「しぬぬーま」、「しねこーだ」、「しのさーか」ですよ。
音の繋がりと言えば、フランス語のリエゾン (liaison) 現象なんてのが有りますが、巷では英語の音連結もリエゾンと称しているようですね。an apple が「アナポー」とか take it easy が「テイキリージー」とか。でもこれ、liaison じゃなくて enchaînement です。なんで誤用が広まってるんだろう…。
liaison というのは、発音されない語末子音が、後ろに母音始まりの語が来た時に復活する――大雑把に言えばそういう規則です。例えば、定冠詞の les は s の音が落ちて [le] になりますが、母音で始まる、例えば「肩」 épaules が後ろに続くと les épaules [le ze pol] と、[z] となって復活します。(フランス語版の Wikipedia は「肩」の項目に粋な写真載せてますね。ああいう遊び心、好きです。)
対して enchaînement は元々発音されていた子音と次の語の母音がくっ付くだけ。"J'en ai un.(それなら一つ持ってる)" [ʒɑ̃ ne œ̃] とかですね。少なからぬ英語人が「リエゾン、リエゾン」言っているのもこれです。何の変哲も無い現象なんですが、英語話者やフランス語話者は余りに無意識に enchaînent してしまうので、日本語の「子音終わり + 母音始まり」を繋げない発音は、意識しないと難しいみたいです。(上の駅名の例)
「出来」に戻ります。「元祖の中国はどうなんだろう」と辞書を引くと、現代の普通話だと「出」は chu(1) になってました。語末の -t は潔く切り落とす。日本語が母音を付加して /t/ を保存してるのとは対照的ですね。それが歌にも反映されてるのかもしれません。中国語は音節構造が割と一様なので、英語よりは単調に感じられる。日本語ほどでは有りませんが。あ、でも1音節当りの情報密度は英語以上か…。