2016年6月17日金曜日

矢羽根型路面表示についての国総研のレポートの感想

自転車ナビライン
(国道17号、さいたま市の上落合交差点の北(地図URL))

自転車ナビライン(矢羽根)は道路空間の再配分や拡幅をせずとも整備でき、自転車インフラの書類上の整備延長を手っ取り早く増やせる形態として重宝されているようで、近年、各地で見る機会が増えてきました。



この路面表示は、

国土交通省・警察庁(2012)「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン」pdf p. 45
道路状況や交通状況により自転車専用通行帯が設置できない道路において、自転車と自動車の一定の整序化を図りたい場合等に用いることを想定
したもので、要は、正式な自転車道や自転車レーンを整備しようにも道路が狭すぎるし、かといって車の通行量を大胆に抑制する事もできないという環境で、自転車に何とか車道左端を走らせようと苦し紛れに用意された選択肢です。

(しかし、そのような不充分な通行環境しか用意できない環境で自転車に車道を走らせる事が本当に安全に繋がるかどうかは疑わしいです。なぜなら、
  • 「ドライバーの視界に入っている事」と「ドライバーから認知される事」は別であり、車道では歩道と違って、ドライバーの認知エラーで追突される危険が有る、そして追突事故は自転車事故の諸形態の中で致死率が際立って高い
  • 幹線道路と細街路の無信号交差点では、狭い歩道を走る自転車は細街路から出てくる車との出会い頭衝突リスクが高いが、生活道路の通過交通を遮断すれば、或いは歩道が広ければ、その事故リスクは抑えられる;
  • 幹線道路同士の信号交差点では、自転車に車との混在通行を強いると自転車が不規則な挙動をするので却って危険になる
からです。考案者・設置者の意図が何であれ、私が自転車ナビラインという整備形態から読み取る暗黙のメッセージは、「車道を走りたいなら自己責任で走れば良い。ただ、車線の真ん中に出て来たり逆走したりして車に迷惑を掛けるなよ」という無責任なものです。単純に、「自転車は車道を走る権利が有るというお墨付きを貰えた」と歓迎する人もいるかもしれませんが。)



そんな自転車ナビラインですが、国交省ガイドラインには寸法基準が書かれておらず、それが現場の負担になっていたのか、今回紹介する国総研のレポートがガイドラインを補うように実験を行なって「望ましい寸法・設置間隔」を提示しています:

木村 泰・今田 勝昭・河本 直志・上野 朋弥・高宮 進(2016)「車道上の自転車通行位置を示す矢羽根型路面表示の検討」『国総研レポート2016』

実験は研究所の構内道路に各種サイズ、設置間隔で矢羽根を描き、自転車と車を走らせ、挙動や心理的評価を調べるというものです。

2016年6月20日追記{
国総研レポート所載のものは概要版のようですね。もう少し詳しいものが次の講演集に掲載されているようです:

木村泰・小林寛・鬼塚大輔・今田勝昭・上野朋弥(2015年6月)「走行実験を通じた矢羽根型路面表示の寸法・設置間隔に関する一考察」『土木計画学研究・講演集(CD-ROM)』 Vol.51, p.ROMBUNNO.37


例によって、「何が書かれているか」よりも「何が書かれていないか」に注目して読みました。以下、気付いた点をランダムに列挙。



木村 et al. (2016)

本文に説明が無く写真も不鮮明なのでハッキリとは分かりませんが、どうも実験走路には縁石(歩道の有る道路で見掛ける、高さが20cm程度のもの)が無さそうです。

日本の道路構造令では自転車道・自転車歩行者道の建築限界について高さと幅のみという大雑把な規定(12条)しか有りませんが(しかも路上施設による侵食は容認。建築限界とは一体……)、

国土交通省・警察庁(2012)pdf p.164

通行空間の横が(ペダルにぶつかり得る)縁石か、平面で続いているかで利用者の感覚は大違いです。同様に、ボラードやガードレール、街路樹の幹・枝、金網、ブロック塀、コンクリート壁などの有無も心理的な狭さに影響します。横がひらけた空間(ゆるい条件)での実験結果をそのまま実際の道路に応用すれば寸法が不適切になる場合も有るでしょう。

2016年6月28日追記{
なんで縁石と矢羽根の間に0.2m間隔を空けたんだろうと思っていたんですが、『土木計画学研究』所載の方では、片側2.75m幅の車道にも設置する事を想定したからとの説明が載っていました。2.75m幅の道路だったら、それはそれでまた自転車と車の挙動が変わると思いますけど。



木村 et al. (2016)
走行実験は、各パターンの実験走路について自転車や自動車の被験者に単独走行や混在走行(自転車を自動車が追抜き)してもらうことにより実施した。
ここで一番重要なのは実験中に対向車を走らせたのかどうかです。実際の道路でドライバーが側方間隔を充分取って自転車を追い越すかどうかは、対向車との遭遇頻度に強く依存しているからです。

2016年6月28日追記{
『土木計画学研究』所載の方を読んでみましたが、対向車については書かれていませんでした。やはり自転車と追い越す車の二者だけで実験したようですね。そうなると、この実験結果が活かせる現実の道路は超閑散路線だけです。例えば八王子市の大沢川桑の葉通りの高尾の森わくわくビレッジ入口交差点から八王子川町郵便局までの区間みたいな。


対向車が滅多に来ない路線では大抵のドライバーは対向車線に入ってゆったりと大きく追い越して行きますが、対向車が中々途切れない路線では、よほど慎重で我慢強い人でない限り、危険な状況でも追い越しに踏み切りがちです。

矢羽根の設置が車の少ない路線に厳しく限定されているならともかく、現実には自転車道・自転車レーンの代用品として安易に(幹線道路でさえ)使われているので、この点は曖昧にしてはいけません。

それから、実験参加者の中に、危険予測が甘く他者への配慮ができないタイプのドライバーが含まれていたかどうかや、「n秒後までに目標地点を通過する事」などの或る種のストレス条件を課していたかどうかも気になりますね。仕事の遅れを危険運転で取り戻そうという行動は、単に実験コースを走らせるだけでは観察できないでしょうから。

2016年6月28日追記{
『土木計画学研究』所載の方でも実験参加者の運転者としての性格(過去の違反歴など)は書かれていませんでした。参加者の募集方法も説明なしです。ストレス条件についても言及が無く、40km/h制限の道路として普通に走るよう指示しただけのようです。



木村 et al. (2016)
混在走行時の自転車の不安感や自動車の走行性の観点からも、矢羽根の幅が80cmや100cmの場合に比較的評価が高かった。
「比較的」と暈して書いていますが、これ、混在通行時は矢羽根の幅がどうであれ、安心と言える水準に届いていなかったのでは?

2016年6月28日追記{
『土木計画学研究』所載の方には不安感の評点のグラフが掲載されており、40cm幅の矢羽根を除けばそれほど不安は大きくなかった事が分かります。



木村 et al. (2016)
自転車は単独走行時、矢羽根の幅が40cmや60cmの場合には矢羽根よりも車道中央側へはみ出す挙動が見られた。なお、この場合でも自動車が自転車を追抜く際には、自動車は自転車から一定の距離を保っており、安全な追い越しがなされているようであった。
ここでも「一定の距離」と曖昧な表現で濁しています。レポートの著者がどう思ったかではなく、実験参加者がどう感じたかが重要なはずです。

2016年6月28日追記{
『土木計画学研究』所載の方では、車にカメラを取り付け、単独走行時と追い越し時それぞれの縁石からの距離を測定した事が説明されていました。追い越し時の縁石からの距離は矢羽根の幅にはあまり影響されていないので、これを指して「一定の」と表現したんですね。「或る程度の」という意味ではなく、「変動の少ない」という意味で。

ただ、グラフを見ると、矢羽根の幅が広がる程、自転車追い越し時の車の通行位置が僅かながら対向車線の方に離れていっているように見えました。主観ですが。



木村 et al. (2016)
矢羽根の幅が100cmの場合、自動車被験者から車道の幅に対して圧迫感があるなどの意見があった。

/* 中略 */

以上より、矢羽根型路面表示の寸法・設置間隔としては、視認性や自転車の不安感および自動車の走行性を考慮すると、矢羽根の幅は80cm程度、設置間隔は5mまたは10m程度とすることが考えられた。
ここが木村 et al. (2016) の価値観のおかしい点です。ドライバーに対する圧迫感は、そこが自転車との混在通行が求められる環境である事を考えれば、慎重な運転を促す要因として肯定的に評価すべきで、「ドライバーが駄目と言ったから駄目」というのは全く転倒した論理です。

2016年6月28日追記{
『土木計画学研究』所載の方では、ドライバーだけでなく自転車利用者からも広すぎると却って良くないとの指摘が有ったと説明されていました。

自転車の通行位置のグラフを見ると、矢羽根の幅が広がるにつれて縁石から離れる一方、追い越される時は矢羽根の幅とは関係なく縁石ギリギリに寄っています。矢羽根に誘われて車道中央寄りに出たは良いが、車に驚いてサッと引っ込んだ、といった感じでしょうか。

確かに車からのプレッシャーを受けたくないという気持ちは分かりますが、萎縮して車道の端に張り付いていると、見通しの悪い場所や対向車が来ている危険なタイミングでも車が自転車をガンガン追い越そうとするので、ちょっと考えものですね。

それと圧迫感について面白かったのが、2tトラックの場合、矢羽根の幅が広まるにつれて、単独走行時の通行位置が却って縁石に寄ったという結果です。著者はこの結果を、矢羽根の幅が狭い場合はドライバーは何とかそれを避けようとするが、広い矢羽根の場合は対向車線にはみ出すのを厭い、開き直って矢羽根を踏むからだろうと解釈しています。


それでもドライバーが圧迫感を覚えるのが好ましくないと判断するのであれば、それは、そもそも矢羽根の設置環境として相応しくない路線に無理やり矢羽根を設置しようとしているからです。

矢羽根の設置を交通量の低い路線に限定するならば、矢羽根は車道を視覚的に狭めて車の速度を抑制する施策と捉える事ができます。生活道路での「中央線の抹消+路側帯の拡大」に似ていますね。(というか、この意味ではもう矢羽根型にする利点は無く、普通に帯状の空間を用意すべきですが。断続的なペイントは路面を凹凸にして乗り心地を無駄に悪くするので。)

2016年6月28日追記{
『土木計画学研究』所載の方では、矢羽根には一般の道路で用いられるような耐摩耗性の高い(分厚い)ペイントではなく、簡単に剥がせるステッカーを用いたと書かれていました。これだと乗り心地の評価は実際とは全く別物になるでしょうね。



そこで参考になるのがオランダの市街化地域(buiten de bebouwde kom)の非幹線道路で用いられるfietssuggestiestrook(bicycle suggestion lane; 法的効力の無い単なる目安の自転車レーン)です。

http://www.verkeersknooppunt.nl/edities/nummer-189/uitspraak-na-aanrijding-fietser-geeft-stof-tot-nad
の写真や、

http://thecyclingdutchman.blogspot.jp/2014/02/cycle-paths-cycle-lanes-what-about.html
の解説("The faster the motorised traffic is allowed to go, the wider Dutch cycle lanes are."から始まる節)からその機能の仕方が窺えます。