2019年2月3日日曜日

国土交通省・警察庁の自転車ガイドライン編集過程の痕跡

国土交通省と警察庁が2016年に改定した「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン」には、その編集過程が分かる痕跡が残っています。

本来なら自転車道(構造的分離)や自転車レーン(視覚的分離)を整備すべき危険な道路環境ながら、整備の迅速さを優先して安全性には目を瞑る (*) という趣旨の「暫定形態」について説明している箇所です。

* 提言やガイドラインでは暫定形態により「安全性の向上を図る」という表現が使われていますが、暫定形態によって安全性が上がるとの客観的根拠はなく、希望的観測に過ぎません。だから「向上させる」ではなく「向上を図る」なのでしょう。

ガイドライン中の問題の箇所(国土交通省・警察庁, 2016, p.II-23)

空白行で区切られた2つのブロックの内容はほぼ同じ趣旨で、上の1段落は有識者委員会が3月に取りまとめていた提言と一致、下の2段落はそれに修正・変更が加えられたものです。どちらかのブロックを消し忘れたまま発表してしまったのでしょう。提言をコピペしてガイドラインの草稿として使うという編集過程が透けて見えるようなエラーですね。

せっかく気付いたので、変更内容を詳しく見たり考察したりしてみました。


差分比較

委員会提言

安全で快適な自転車利用環境創出の促進に関する検討委員会 (2016) 「自転車ネットワーク計画策定の早期進展」と「安全な自転車通行空間の早期確保」に向けた提言, pp.12–13. Available at: http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf5/proposal.pdf (Internet Archive).
暫定形態として車道混在を整備する場合は、原則として、完成形態としての自転車専用通行帯の幅員を確保すること。但し、道路空間再配分等を行っても、自転車専用通行帯に転用可能な幅員を確保することが当面困難であり、かつ車道を通行する自転車の安全性を速やかに向上させなければならない場合にはこの限りではない。なお、幅員は確保できるものの、暫定形態として車道混在による整備とするのは、自転車ネットワーク形成初期段階のため、若しくは交通環境その他の要因のため、自転車専用通行帯の規制を行うことが困難である場合に限るものとする。
凡例: 移動削除

改定ガイドライン

国土交通省道路局・警察庁交通局 (2016) 安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン, p.II-23 (p.61). Available at: http://www.mlit.go.jp/road/road/bicycle/pdf/guideline.pdf (Internet Archive).
また、暫定形態として車道混在を採用する場合は、自転車専用通行帯に転用可能な1.5m 以上の幅員を外側線の外側に確保すること原則とし、やむを得ない場合(交差点部の右折車線設置箇所など、区間の一部において空間的制約から1.5m を確保することが困難な場合)においても整備区間の一部で最小1.0m 以上を確保するものとする
但し、自転車ネットワーク形成初期段階や区間概成段階において、道路空間再配分等を行っても、外側線の外側に1.5m(やむを得ない場合1.0m)以上確保することが当面困難であり、かつ車道を通行する自転車の安全性を速やかに向上させなければならない場合にはこの限りではない。
凡例: 移動追加

変更点の考察

自転車レーン相当の空間の確保位置の明確化

委員会提言の「自転車専用通行帯の幅員を確保すること」は、その幅員をどこに確保すれば条件を満たすのか曖昧です。これでは既存の車線と重複する位置でも良いことになってしまうので、ロンドンのCycle Superhighway 2の当初のような形態を排除できません。

整備当初のCS2。青い帯は自転車レーンに似ているが、法的効力の無い単なるガイドであり、既存の車線と重複している。のちに市民からの強い批判で自転車道に改修された。Google Maps (2014, @51.5146076,-0.0737837)

過去の関連記事「未分離区間の残るCycle Superhighway 2

ガイドラインでは「外側線の外側に」との条件が明記され、この曖昧さが解消されました。この補足は委員会提言にあった整備形態の選択フローチャート案から引っ張ってきたものですね。

安全で快適な自転車利用環境創出の促進に関する検討委員会 (2016, p.23)

自転車レーンと同等の通行空間を「車道混在」と呼ぶ謎

もう一つの大きな変更点は、提言の後段(自転車レーンを整備できる空間がある場合でも混在通行を選択肢に入れる理由の説明)が丸ごとカットされたことですが、ガイドラインの他のページ(p.I-16)にも提言が無加工のまま掲載されている箇所があるので、ガイドラインが有識者委員会の意向を否定したという訳ではないでしょう。

そもそも混在通行と言っても、自転車レーン相当の幅員を確保した混在通行とは下図のようなデザインで、物理的な実態は自転車レーンとほとんど同じです。違いと言えば、そこをモーターバイクが走行することが法的に黒かグレーかくらいでしょう (*)。

* 周知や取り締まりが伴っていない現在は自転車レーンを違法通行するモーターバイクが後を絶たないので、実効上は違いがない。

委員会提言とガイドラインが共通して示すデザイン例
国土交通省道路局・警察庁交通局 (2016, p.II-24 (p.62))

部分拡大
国土交通省道路局・警察庁交通局 (2016, p.II-24 (p.62))

「視覚的に区分された混在」という謎の分類をわざわざ設ける意図は一体なんなのでしょうか。委員会提言はその理由(採用条件)を、
自転車ネットワーク形成が初期段階のため、若しくは交通環境その他の要因のため、自転車専用通行帯の規制を行うことが困難である場合
と説明していましたが、前段の「初期段階だから」は単体では合理的根拠にならず説明不足です。後段は漠然としていて要領を得ません。

正式な自転車レーンの方が整備費用が高いからでしょうか? しかし提言はペイント面積を極限まで減らしたデザインの自転車レーンも例示しています。塗料の使用量はほとんど変わらないでしょう。専用通行帯の標識も数箇所に立てるだけです。

路上駐停車が大量発生しているからでしょうか? しかし現行の道路交通法は駐(停)車禁止の一律適用対象に自転車専用通行帯を含めていない (*) ので、「正式な自転車レーンだと駐停車問題を解決しておかなければならないから暫定形態」というロジックは成立しません。実際、路駐需要が旺盛な区間であっても自転車レーンを整備してしまい、機能不全に陥っている例は数多あります。逆に、暫定形態なら路上駐車でみっしり塞がっていてもOKという訳でもないでしょう。

* 44条と45条。なおオランダの交通法 (RVV 1990, Artikel 23, 1b) は停車禁止場所に自転車レーンを含めています。

他に考えられるのは、自転車レーン相当の幅員確保を原則として掲げる (*) ことで、「我々は安全に配慮している」とのポーズを示し、「危険な幹線道路での正真正銘の混在通行は本当に止むを得ない場合だけの応急策」との印象を与えるため——そう考えれば、明らかに分離された形態を「混在」と称する錯乱ぶりも多少は理解できます。

* 視覚的に分離された「混在」通行空間という選択肢の初出は、改定ガイドライン策定前の有識者委員会(2014〜2016年開催)ではなく、初版ガイドライン策定前の有識者委員会(2011〜2012年開催)。