2020年2月16日日曜日

五輪事業としての自転車インフラ整備でロンドンの轍を踏む東京

名ばかりの「自転車推奨ルート」(2020年2月撮影)

まともに使えない渋谷区道865号の自転車レーン。オリンピックという切り口から見ると、また別の問題が顔を覗かせます。

最終更新 2020年2月19日

目次



「自転車推奨ルート」事業

渋谷区道865号はオリンピック開催時の自転車移動を安全にすることを目的とする東京都の「自転車推奨ルート」でもあります。

東京都 (2015) 「自転車推奨ルート」の整備について
東京都は、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会会場や主要な観光地の周辺において、自転車がより安全に回遊できるよう、国道、都道、区市道等の自転車が走行しやすい空間を連続させ、ネットワーク化を図る自転車推奨ルートを設定し、国や区市等と整備に取り組んでいくこととしましたので、お知らせします。
これまで東京都は、都道や臨港道路における自転車走行空間の整備を進めてきましたが、この取組に加え、2020年大会開催までに自転車推奨ルートを整備することにより、約400キロメートルの自転車が走行しやすい空間を確保し、歩行者、自転車、自動車がともに安全で安心して通行できる道路空間を創出していきます。

区道865号を引用者が強調表示(出典

その実態が「安全・安心」とは程遠いものであることは以前の記事で詳しく見ました。


過去の五輪開催都市の経験

実は今の東京と同じく、過去のオリンピックでも開催都市がレガシーとして自転車インフラを整備してきました。中でも特に参考(というか教訓)になるのは2012年大会のロンドンの経験です。


急ごしらえの簡易自転車レーンで死亡事故が続発

前々回の2012年大会を前にロンドンは、市中心部から放射状に伸びるサイクル・スーパーハイウェイ (Cycle Superhighway, CS) 12路線を計画し、ジョンソン市長(1期目)時代に入ってから2、3、7、8号線が整備されました(2010〜2011年)。

しかし「スーパーハイウェイ」とは名ばかりで、特に2号線 (CS2) では自転車の専用空間としての効力がない単なる青いペイントが濫用され、交差点設計のまずさも相まって整備路線上で自転車ユーザーの死亡事故が続発しました

当初のCS2
出典:Wikimedia Commons撮影地


インフラの改善を求める圧力の高まり

市民からは強い抗議と改善要望が繰り返されます。2012年の市長選ではネーデルラントのような自転車環境の実現を求める署名が4万筆も集まり、主要な候補者5人がそれを約束しました。

死亡事故が起こるたびに大規模なデモ走行や、犠牲者を模して大勢が路上に横たわる抗議集会(die-in)も行なわれ、市に圧力を掛け続けてきました。

ロンドン市交通局の本部前で行なわれたdie-inデモ(出典:Wikimedia Commons


方針転換

2期目の当選を果たしたジョンソン市長は、質を度外視して整備延長を追求する手法を反省し、五輪開催の翌年の2013年3月、自転車政策の方針を大転換します。この時、テムズ川に沿ってロンドン中心部を東西に貫くEast-West Cycle Superhighwayの構想も発表されています。

新たな方針の元でインフラの改善プロジェクトが動き出していた中、ロンドンでは同年11月、わずか2週間で6人もの自転車ユーザーが事故で命を落としました。うち3件はCSのルート上またはその近傍で発生しており、単なる青いペイントへの批判と、より安全な通行環境の要求に改めて火を付けました。

CSでの死亡事故を調査した検死官も市長宛ての報告書で、法的効力のない単なる青いペイントが自転車ユーザーに誤った安心感を与えており、さらなる死亡事故が起こりかねないとして、インフラなどの抜本的改善が必要との見解を示しました。


続々と増える高品質な自転車道

こうした経緯からロンドンでは、車道から縁石で分離・保護され、誰もが安心して使える通行空間が急速に整備されてきました。

2013年にはCS2の延伸区間(BowからStratfordまで)が最初から縁石で分離された構造で供用開始、2016年にはペイントだけだった既存区間(AldgateからBowまで)も縁石で分離した構造に作り直された他、目玉施策であるEast-WestとNorth-Southの両CSも一挙に供用開始されました。

現在のCS2(2013年の延伸区間は最初からこの形態で整備)


ボリス市長時代の目玉政策であるEast-West Cycle Superhighway


ロンドンの轍を踏む東京

ロンドンが自転車政策の失敗を踏まえて方針を大転換したのは2013年
2020年五輪の開催都市が東京に決まったのも2013年

にも関わらず、東京は今更になって過去のロンドンと似た失敗を繰り返しています。

その一因と考えられるのが、事業実施手順の問題です。


PDCAサイクルの構造的欠陥

五輪関連事業に限らず、近年の日本では、路上駐車に塞がれてしまう自転車レーンや、専用通行空間ですらない矢羽型路面表示などの整備が乱発しており、ユーザーにとっての実質的・体感的な自転車走行環境がなかなか改善しない状況が続いています。

根本的な原因の一つは国土交通省・警察庁が2012年に発出し、2016年に改定した自転車インフラ整備のガイドラインに技術的欠陥があることですが、ガイドラインを受け取る自治体も自治体で、内容を批判的に吟味することなく機械的に従ってしまうため、「親亀こけたら皆こける」式に全国で一斉に同じ失敗が繰り返されます。

ガイドライン (2016, p.I-1〜I-3) は自転車ネットワークについて、計画、実施、評価、見直しという手順 (PDCA) で進めるよう求めていますが、最初の計画段階で根拠となるガイドライン自体に問題があるため、最初から失敗が運命づけられているようなものです。

論文の構成のように、第1ステップでは既存の問題を把握すべきでしょう。
  1. 国内外の先行事例を調査し、それらの問題点を整理する
  2. 問題点を踏まえて新たな解決策を計画する
  3. その解決策を試行する
  4. 試行結果を考察して課題を洗い出す(次のサイクルへ)


活かされなかった国内の経験

渋谷区では2008年頃、自転車インフラ整備の全国モデル事業の一つとして笹塚・幡ヶ谷の都道431号に自転車レーンが整備されましたが、区道865号と同様、路上駐停車に塞がれてしまっています。

路駐需要がある場所に自転車レーンという整備形態が適さないことは区も分かっていたはずです。ならば今回は、その経験を踏まえて異なる手法を検討すべきでした(以前の記事ではその代替案も示しています)。

都道431号の自転車レーン(2014年撮影)

都道431号の自転車レーン(2014年撮影)


海外の自転車政策の今

ロンドンに限らず、いま世界各地の都市は
  • 人を中心とした安全で健康的な都市
  • 渋滞や気候変動で行き詰まらない都市
を目指して自転車の利用促進(ユーザーを増やすこと)に本気で取り組むようになっています。

ネーデルラント、デンマーク以外の自転車「新興」都市として特に動き出すのが早かったのはニューヨークで、車道から構造的に分離された自転車通行空間、protected biek laneを2007年に試験導入して以降、そのネットワークを加速度的に充実させてきました。

車道から物理的に保護された自転車レーンの整備延長 (mile)(出典


Parking-protected bike lane(駐車帯で保護された自転車レーン)の整備例(出典


「安心感」の重要性

自転車ユーザーを増やすことを目標とするなら、インフラがあろうとなかろうと自転車に乗る少数の顕在ユーザーを相手にしていても仕方がなく、自転車移動に興味はあっても「危なそう」と敬遠していた大多数の潜在ユーザーを惹きつける必要がある。これが2010年代以降、世界各都市に広まっている考え方です。

(東京の文脈に置き換えれば、自転車レーンなどの整備以前から車道を走っていた少数のユーザーに迎合していてはダメで、今まで不安から歩道を選んでいたユーザーの心理に寄り添った施策が必要ということです。)

ニューヨーク市が単に “bike lane” ではなく “protected bike lane” と限定して整備実績をまとめているのは、老若男女問わず幅広い層に受け入れられる安心感の高さが重要だと認識しているからです。

ロンドンやパリも同じ認識で、中心市街地の幹線道路の車線を丸ごと1本潰し、車道から縁石で保護された自転車道に転換するような意欲的な整備を着々と進めています。


明後日の方向に進む東京

同じ自転車インフラの整備でも、東京では自転車に車道左側通行ルールを守らせることが目的化してしまっている節があります。それは教育策であって、環境改善策ではありません。

果たして東京は、オリンピック開会までに世界との方向性の違いに気付いて、少しでも軌道修正できるのか。自転車推奨ルートをめぐる今後の動きが注目されます。