2015年7月26日日曜日

スネ毛剃り実験の拡散過程に見る情報の劣化


話の発端は去年2014年7月1日にSpecializedが公開した臑毛剃り実験の動画。
Mark Cote and Chris Yu



自転車のタイムトライアルを念頭にスペシャライズドが自社の設備で風洞実験した結果、臑毛を剃る事で得られる時間短縮効果が予想を大きく上回るものだった、という内容です。(ちなみにこの動画は剃毛3部作の一本で、他には腕毛顎鬚が有ります。)

但し、スペシャライズド自身からの発表はこの簡単な概要動画だけのようで、文書などの形での詳しい発表は見付かりませんでした。また、動画の最後(3分35秒辺り)で

Cote and Yu (2014)
Facebookかtwitterでハッシュタグ #AeroisEverything を付けて質問を送ってください。
と言っていますが、どちらのメディアを探しても質疑は見付けられませんでした(というか、これは視聴者から次回の動画のネタを募集するという趣旨みたいですね。そうでないとしても、情報が散逸しやすいこれらのメディアは体系的な議論には向きませんが)。



そこで実質的な一次資料となるのが、動画の説明不足を補った各メディアの記事です。(以降、引用元ページの最終閲覧日は全て2015年7月26日)

AC Shilton(2014年7月11日)
"Cyclists: Shaving Makes You Faster" Outside
オリジナルの動画でパソコンの画面に映っていたグラフを掲載
The Specialized researchers set up a scale (called the Chewbacca Scale, naturally) to rate the general hairiness of each of the six subjects they tested.
スペシャライズドの研究者たちは試験を実施した6人の被験者それぞれの体毛の濃さを大まかに表わす為、新たな尺度を設け、チューバッカ /* スターウォーズに出てくるモジャモジャのキャラクターの名前 */ 指数と名付けた。

/* 中略 */

says Thomas. “We start up and Mark does 60-second tests—we usually do two—and he just keeps running one then another then another then another.
Thomas /* 実験で自転車を漕いだトライアスリート */:「私たちは実験に取り掛かり、Mark /* 実験をモニターした研究開発部の職員 */ が60秒間の測定をした。(普段 /* ヘルメットやホイールなどの機材テストの場合か? */ はこのセットを2回行なう。)Markはこの試行を何度も /* 両条件の合計で4回? */ 繰り返した。

/* 中略 */

Cote was seeing a difference in efficiency translating to 79 seconds saved over 40 kilometers—twice what any equipment change had given Thomas during the entire day's worth of testing. That translates to roughly a quarter-of-a-mile-per-hour faster.
Coteは、/* 両条件のパワー */ 効率の差が、40 kmを走った場合の79秒短縮に相当するとの結果を目の当たりにしていた。これは、Thomasが過去に試験してきた機材で最も効果的だったものよりも2倍も大きな数字だった。時速に換算すれば、約 1/4マイル時 /* 約 0.40 km/h */ 速い事になる。

両条件の速度差が0.4 km/hで時間差が79秒だとすると、実験の想定速度は27 km/h前後という事になります(私の計算が間違っているかもしれないので数字に強い人の検証を期待します)。

タイムトライアルというよりは気楽なサイクリングの速度ですね。エアロ効果が問題になるもっと高い速度帯域では同じエネルギー削減分でも僅かな速度向上にしか繋がらないはずなので、実験結果のインパクトは薄まります。

また、40 kmを27 km/hで走ると約1時間29分掛かるので、結局、60秒間の生データ(のペアに現われた僅かな差)を約89倍に拡大している事になります。

2015年7月27日追記 恐らく記事の時速換算値が間違いで、正しくは約1/4 mphではなく約1/2 mphのはずです。

記事の続きを見ていきます。

Shilton(2014年7月11日)
“We’d spent three hours in the tunnel and I knew he was consistent,” says Cote, meaning that Thomas was capable of replicating the same form during each test to make sure results weren’t skewed. “We have cameras to double check that, and we checked everything afterwards—none of us believed it.”
我々は風洞実験を3時間も行なったが、その間彼 /* の姿勢 */ は変化しなかった」とCoteは言う。つまり、Thomasは結果が歪まないように各試行で同一の姿勢を再現できたという事だ。「我々はそれを二重にチェックする為に複数台のカメラを使っているし、実験後にあらゆる項目を確認した。それでも誰一人として結果を信じられなかった。」
ここで言う「同一」がどの程度の精度なのかが気になりますね。毛を剃った事で速くなって欲しいという無意識の影響で姿勢が僅かに変わった可能性が有るからです。カメラを使ったと言っても、数ミリの違いなら見ただけでは分からないでしょう。もちろん、記事は最後に次のように断っています。

Shilton(2014年7月11日)
Cote will be the first to admit that the sample size is small and that it isn’t the kind of thing that’s going to end up in a peer-reviewed journal.
Coteは、今回は被験者の人数が少ない事や、この実験が査読付き論文雑誌に載るような種類のものではない事を認めている。



もう一つの記事では効率化の程度を他の機材と比較しています。

Alex Hutchinson(2014年9月7日公開)
"The curious case of the cyclist’s unshaven legs" The Globe and Mail
The tests showed that shaving his legs reduced Thomas’s drag by about 7 per cent, allowing him to exert 15 watts less power and still go at the same speed. In theory, that translates to a 79-second advantage over a 40-kilometre time trial that takes about one hour.
実験では、臑毛を剃ったThomasの空気抵抗が7パーセント減少した事が示された。これは、15ワット少ない力で同じ速度を維持できる事になる。理論的には、およそ1時間掛かる40kmのタイムトライアルでの79秒の先行に相当する。

In comparison, the other fancy components and techniques that Thomas had flown to California to test seemed relatively minor. A new helmet saved him 2 or 3 watts, his unorthodox “praying mantis” arm position saved 5 watts, and a new long-sleeved racing suit saved another 8 watts.
これに比べると、過去にThomasが /* スペシャライズド本拠地の */ カリフォルニアで試してきた機材や技術は、相対的には効果が小さく見える。新型ヘルメットでは2から3ワット、彼独自の「祈るカマキリ」の腕ポジションで5ワット、新しい長袖レーシング・スーツで8ワットの削減だ。
この記事では「およそ1時間掛かる40kmのタイムトライアルで」と表現していますが、実際に40km/h相当の風速やケイデンスで計測したかどうかは不明です。

また、2つ目の段落では今回の実験条件が過去の実験と厳密に揃えられていたかが書かれていないので、本当に剃毛の効果が飛び抜けて大きいのかどうかは分かりません。

2015年7月27日追記

有限会社エレクトリックシープのウェブサイトで提供されている巡航出力計算で計算してみたところ、(速度以外の欄は初期値のままで)40 km/hと39.14 km/h(40 km の所要時間で79秒差が付く組み合わせ)の平均出力がそれぞれ269 Wと254 Wになり、記事通り15 Wの差が付きました。



スペシャライズドが動画を発表してから約1年後に当たる数日前、上に引用した2つ目の記事、Hutchinson(2014)が日本国内のブログで紹介されました。

FJT(2015年7月24日公開)
すね毛剃った → 空気抵抗7%削減へ! 風洞実験で判明」IT技術者ロードバイク日記
実験の内容は以下のサイトを参照して欲しい。以前話題になった記事である。Vengeの発表で40kmTT5分短縮の話を聞いて改めてすね毛の抵抗の大きさに驚いた。
The curious case of the cyclist’s unshaven legs – The Globe and Mail(2014/7/7)

この実験結果をまとめると次のようになる。
  • エアロスーツ:8%削減
  • すね毛処理:7%削減 ←NEW!
  • ポジションを最適化:5%削減
  • エアロヘルメット:3%削減
元の記事と見比べると、この記述はワットとパーセントを取り違えた誤訳である事が分かります(が、元の記事が間違っている可能性も有るので、これらの数字自体が間違いかどうかは分かりません)。



そして今日の朝、疋田さんが自身のメールマガジンでこのブログ記事を紹介していました。

疋田智(2015年7月26日配信)
スネ毛剃りに格段のメリット!? の624号」『週刊 自転車ツーキニスト』
最近の研究結果、風洞実験で、スネ毛剃りが驚くべき効果をもたらすことが分かってきたという。次のサイトをごらんあれ。

【IT技術者 ロードバイク日記】
http://rbs.ta36.com/?p=26352

信じられるか、スネ毛剃りは「空気抵抗が7%も削減できる!」効果をもたらすらしいのだ。
記事から引用すると、風洞実験の結果、空気抵抗削減に効果があった順番は、次の通りとなった。

●エアロスーツ:8%削減
●すね毛処理:7%削減
●ポジションを最適化:5%削減
●エアロヘルメット:3%削減

これは驚くべき結果かもしれない。ポジションの最適化より、エアロヘルメットを被るよりも「すね毛を剃る」という伝統的な行為がコレほどまでにエアロダイナミクスに貢献しているのだ。サイクリストが空気抵抗を減らそうと躍起になっている中でまさに灯台下暗しといえる結果だろう(“IT技術者 ロードバイク日記”より)。

私も驚いた。スネ毛剃り、すごいじゃないか。

Hutchinson(2014)を起点に考えると孫引きに当たる引用で、学術論文では避けるべき行為とされていますが、図らずもこのメールマガジンで、なぜ孫引きがいけないのかが見事に実演されています。

(疋田さんは更に、引用範囲の明示と、引用内容の同一性保持という2点でも学術論文のルールに違反しています。メルマガは論文ではないので別に良いんですが、こうした作法の違いが、一般社会で根拠の無い情報が拡散する原因だと考えられます。)



メールマガジンの続きにはさらに気になる記述が有りました。

疋田(2015)
しかも、この結果に出てくる「エアロスーツ」は、手首から足首まで覆ってしまうフルエアロレーシングスーツであるそうな。つまり、効果の中には「スネのエアロ効果」、つまるところ「スネ毛剃り効果」をも内包していることになる。
ということは、多少乱暴に言うとエアロスーツの効果8%の中、スネがらみが7%、それ以外は1%しかないということではないのか。
「手首から足首まで」という記述について疋田さんは「であるそうな」と引用元の明示を避けています(これもルール違反です)が、エアロスーツの詳細については元の記事のHutchinson(2014)には記述が有りません。

そこでFJT(2015)を見ると、
なお、他の条件との検証において、手首から足首まで覆うフルエアロレーシングスーツで「8%」とあるのですね毛の抵抗の大きさが分かる。
と、引用元の記事には無い情報を付加している事が分かります。私はタイム・トライアル機材に詳しくないので、そういう製品が有るのかどうかは知りませんが、

スペシャライズド公式サイトの商品ページのスクリーンショット

少なくとも公式サイトを見る限り、腕、脚ともに10分丈のスキンスーツは見付かりませんでした。FJT(2015)が引用しているHutchinson(2014)には"long-sleeved"という記述が有りますが、これは恐らく「10分丈の長袖」ではなく、「通常の半袖よりは長い袖」の意味でしょう。



以上、さまざまな情報劣化の過程を見てきましたが、結局のところ、大元のスペシャライズドが正確な情報を発表をしていない為、誰が間違っているのか/正しいのかは分かりませんでした。

私から言えるのは、適切な議論が為されるように、
  • 原典を引用する(孫引きをしない)
  • 引用元を明示する
  • 引用範囲を明示する
  • 引用内容の同一性を保つ(改変しない)
という基本ルールを守ろうという事くらいですね。