以前、日本遺伝学会が「色覚異常」に代わる新しい用語として「色覚多様性」を提唱して色覚異常の当事者も含めた一般人から悪評を買っていましたが、その用語が普通の新聞記事で使われるようになってしまいました。
記事では
「赤色が黒く見える」「紫と青が区別できない」――。そんな色覚多様性の人たちにも分かりやすい表示にしようと「色覚バリアフリー」の考え方が広まってきた。
色覚多様性の約70人の協力者に4000種類ほどの色の組み合わせを見てもらい、
自身が赤を識別できない色覚多様性という東京大学の伊藤啓准教授はなどの用例が見られます。
日本語として論理的に破綻しているのに、日本遺伝学会の会員も日経新聞の記者も校閲者も疑問に感じないのでしょうか。
これが例えば、「人類には色覚多様性がある」とか、「地球に生息する生物群には色覚多様性がある」であれば言えます。2色覚だったり3色覚だったり紫外線を知覚できたり、という多様性がそこにはあるからです。
しかし単一の生物個体について「色覚多様性がある」とは言えません。或る一個体が有している色覚は(例えば1型2色覚など)一つです。それ単体では「多様」ではありません。多様性は群(個体間)のレベルで初めて意味を持つ概念です。
本来は群にしか使えない「多様性」という語を個に対して使っているから、日本遺伝学会の改訂用語は気持ち悪いのです。
これは、「個々人の多様な形質を社会的にどう捉えるべきか」といった思想的な問題とは無関係の、純粋に言語上の誤りです。従って、用語として不適切であることに議論の余地はありません。「あまり良くない」とか「いまいち」というレベルではなく、はっきりと間違っているのです。
おかしな用語が生まれた経緯
なぜこんな用語が出てきたのか。日本遺伝学会が先の用語改訂で同時に発表した他の用語を見ると、その事情が窺えます。
日本遺伝学会(2017年9月11日)「遺伝学用語改訂について」http://gsj3.jp/revisionterm.html
ページ中の用語解説 4, 5, 7をまとめると、
- mutation はこれまで「突然変異」と訳してきたが、原義に無い「突然」の部分が混乱を招いていたので「変異」に変更した。
- variation はこれまで「(彷徨)変異」と訳してきたが、mutation の新たな訳語と競合するので「多様性」に変更した。
- 色覚異常については日本語、英語ともに用語を刷新し、英語は color vision variation とした。日本語は英語の variation に当たる部分に上記の「多様性」を当て嵌めて「色覚多様性」とした。
このうち、英語の新たな用語、color vision variation は論理的には一応正しい表現です。英語の variation は「(ある程度限られた範囲内の)変化、違い」という意味だからです。例えば『きらきら星変奏曲』の「変奏曲」は英語で variations です。「(原曲と共通の要素を持ちつつ)変化したもの、違うもの」ですね。
しかし日本遺伝学会はこれに「多様性」の訳語を当ててしまいました。従来の用語「変異(variation)」と新たな用語「多様性(diversity)」では語本来の意味が全く異なります。前者は「変化したタイプ一つ一つ」に着目しているのに対し、後者は全体を捉えて「複数のタイプがある状態」を意味するからです。
一人の相手を指して「あなたは多様性(diversity)ですね」とは言えない。
ではなんと言えば良いのか
「色覚多様性」という語を選択した背景には、色覚異常は「異常」というほど稀ではなく、ありふれた形質であると社会に意識変化を求める意図もあるようですが、
日本遺伝学会(2017年9月11日)
しかし、一般集団 中にごくありふれていて(日本人男性の5%、西欧では9%の地域も)日常生活にとくに不便さがない遺伝形質に対して、「異常」と呼称することに違和感をもつ人は多い。だからと言って、言葉の論理性を蔑ろにして良い訳ではありません。
また、「正常ではない」という意味が好ましくないなら、単に「特殊色覚」などと呼べば良かったのです。色覚異常ではない人が91〜95%を占めている以上、色覚異常が「特殊」で、その他が「普通、一般的」であるという客観的な事実は否定しようがありません。
遺伝学会は人権の平等を追求するあまり、「少数であること」を含意する語に神経質になりすぎていたのではないでしょうか。
専門家の麻痺した言語感覚
日本遺伝学会(2017年9月11日)は variation を「多様性」と訳した事について、
「多様性」は生物学全体、あるいは生態学では diversity の訳 に用いられているが、意味は[variationと]類似しており、混乱は大きくはない。と弁解していますが([ ]は引用者注)、これは上図で示した diversity と variation の根本的な意味の違いを無視したもので、とても乱暴な主張です。その結果が、新しい用語に対する学会外の一般人からの拒否反応です。
「色覚多様性」という用語は、難しい専門用語だから拒絶されたのではありません。どの分野の専門用語だろうと関係なく求められる、日本語としての共通の論理性を破壊したから批判されているのです。
医学に限らず法学などもそうですが、専門分野にどっぷり浸っている人たちは言語感覚が麻痺しがちで、自分たちが使っている用語のおかしさに気付きにくいものです。用語を新しく作ったり改めたりする時は、言語の専門家や、あるいは全くの専門外の一般人に意見を求めた方が良いのではと思います。
また新聞は新聞で、専門家集団が決めた用語だからと安易に受け入れるのは考えものです。新聞の役割には広く一般の人々に分かりやすく事実を伝える事もあるのだから、数ある学会の一つにすぎない日本遺伝学会の奇異な用語をわざわざ採用するのは不合理です。
2018年8月12日追記{
色覚多様性? | 川本眼科(名古屋市南区) (2017). Available at: http://www.kawamotoganka.com/blog/2997/ (Accessed: 11 August 2018).
ある眼科医のブログにも「色覚多様性」について批判的な意見が書かれていました。冒頭部分を引用します:
本日の日本経済新聞によると、日本遺伝学会はやはり用語の改訂は遺伝学会の独自行動で、それを日経が拡大解釈して誤報を飛ばしたという事のようです。
「色覚異常」を「色覚多様性」と言い換えることを決めたそうだ。
新聞記事を読むまで、そんなことは知らなかった。
そして、記事では「色覚異常」は過去の名称だと断定している。
これは、事実に反する。
私の知る限り、日本眼科学会、日本小児眼科学会などはそういう決定をしていない。
今でも「色覚異常」が眼科用語集に載っている公式用語である。
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