2017年8月1日火曜日

疋田さんのメルマガ730号の感想(4)「自転車は車両という意識」

疋田さんのメルマガ、『週刊 自転車ツーキニスト』730号(2017-07-17)の感想です。
4回目は、「欧米先進都市の『自転車は車両』という意識に学ぶべき」について。


隔離は勘弁


疋田(2017-07-17)
インフラを作る人々に言いたいんだけど、もうね「車道のチャリは邪魔!」「チャリは構造分離した自転車道に隔離しろ!」みたいな発想だけはご勘弁願いたいわけだ。
ここでも疋田さんは議論の範囲を曖昧にしたままですが、
  • 車の通行が疎らでセンターラインも引かれていないような生活道路と
  • 大量の車が流れ、大型トラックも多い多車線道路
では話が別です。後者では、「構造分離した自転車道に隔離」こそが工学的に妥当な判断で、オランダやデンマークが数十年前から、ニューヨークやロンドンが数年前から、それぞれ整備を進めている形態です。

「邪魔だから隔離」ではなく、「危険だから保護」なのです

それらの幹線道路の交通量を、例えば5〜6万台/日から0.5万台/日程度に減らし、実勢速度も50〜60km/hから30km/h程度に引き下げられるなら、自転車レーンでも構わないでしょう。何が適切なインフラかは環境に応じて変わります。

しかし、そうなっていない以上、玉川通りや環七通り、日光街道や甲州街道、第一京浜や新青梅街道では(そしてもちろん京葉道路でも)、疋田さんのような「車道を走らせろ」「構造分離するな」という発想は勘弁願いたいわけです。

なぜなら、このような発想はマイノリティーのエゴに過ぎず、他の大多数の利用者の利益に資さないからです。


意識の象徴


疋田(2017-07-17)
そういう発想しかできないから、例の虎ノ門や亀戸のような最悪自転車道などは生まれたんであって、ああいうのは、いわば「チャリなんて歩行者に毛の生えたようなもんだろ」という意識の象徴に過ぎない。
自転車を車両として意識していないから最悪自転車道が生まれた、これは一見尤もらしい主張ですが、では、自転車を車両として意識した自転車レーンの構造は素晴らしいものと言えるでしょうか?
  • 狭すぎるレーン幅は?
  • 交差点手前での断絶は?
  • 「自転車専用」の文字の不快な凸凹は?
意識がどうであれ、自転車とその乗り手の物理的、心理的特性について深い知識が無ければ適切なインフラは作れません。これは意識ではなく知識の問題です。

また、自転車をどのような存在として位置付けるかという意識以前に、そもそも土木技術者としての意識、意欲が低すぎるという問題も組織によってはあるでしょう。全国の自治体、国道事務所の誰もが中央省庁のエリートのように熱意に溢れているわけではありません。(意欲があっても、業務の中で雑事が多すぎて調査に充てられる時間が無い場合もあるでしょう。)

であれば、そうしたムラのある組織であっても一定の水準でインフラが整備できるように、具体的で質の高い設計指針を提供する必要があるでしょう。そうすれば、別に意識がどうであろうと、基準に従って機械的に作業するだけでそれなりのインフラができるはずです。

しかし、疋田さんと同じ自転車活用推進研究会の小林さんは、国のガイドラインの内容に直接注文を付けられる検討委員会のメンバーという立場にありながら、「自転車は車道」という信念に頑迷に拘って海外諸国の最新のノウハウを無視し、危険である事が分かっている基準を策定させました。

意識に問題があるのは一体どちらなのかという話です。


自転車先進国の「自転車は車両という意識」は本当か


疋田(2017-07-17)
欧州先進都市に学ぶべきは「まずは自転車は車両」という意識、その上で、車両たる自転車をさらにクルマから分離し、ワンランク上の安全を図ること
法律上、自転車を車両に分類しているという意味であれば、確かに「自転車は車両」ですが、

RVV 1990, Artikel 1(オランダの交通規則・道路標識法の定義部)
voertuigen: fietsen, bromfietsen, gehandicaptenvoertuigen, motorvoertuigen, trams en wagens;

// 引用者訳
車両: 自転車、モペッド、障害者車両、原動機車両、トラム、及びトレーラー;
道路行政の現場でも自転車と車を一括りに車両と見做し、その観念に基づいて実際の計画・整備をしているかどうかは、ちょっと怪しいですね。また、車からの構造的な分離が、さも贅沢なオプションであるかのように述べられている点にも違和感があります。疋田さんの言葉から想像される整備方針や整備実態が、現実のそれとは大きくズレているからです。

オランダでは自転車道が幹線道路の標準的なインフラで、決して例外的なオプションではない事はシリーズ1回目の記事で説明しました。

またインフラ整備方針の上でも、自転車を車と一緒くたに扱うような雑な考え方は、オランダでは採用されていません。

BICYCLE DUTCH. (2016-01-26). “Crowded cycleways lead to new urban design approach
The Dutch have so far classified traffic in three types, motor traffic, cycling and walking, and they design space for all three in most of their streets (although some ‘unravelling’ of routes is also taking place).

// 引用者訳
オランダはこれまで交通参加者を自動車、自転車、歩行者の3種類に分類し、ほとんどの表通りでは3種それぞれに空間を用意してきた(路線レベルで「分離」する例もあるが)。
「車両と歩行者」の2カテゴリではなく「自動車と自転車と歩行者」の3カテゴリが道路行政での枠組みなのです。これを基本に、
などと交通状況に応じた運用をしています。


自転車に限らない道路交通全体について安全5原則を定めた Sustainable Safety (Duurzaam Veilig) でも、質量、速度、方向の大きく異なる道路利用者の分離が謳われています。

BICYCLE DUTCH. (2012-01-02). “Sustainable Safety
2. Homogeneity of mass, speed and direction of road users

Large differences in speed and mass of different road users in the same space must be eliminated as much as possible. Road users can best be forced to travel at lower speeds by road design. This works better than with signs. If crashes occur at lower speed differences they cause a lot less damage to the most vulnerable road user. Where speed differences cannot be eliminated types of traffic must be separated. On roads with higher speeds road users travelling in opposite directions should be separated by a division as well, to further eliminate conflicts. Cycle paths and pedestrians are always separated from these through roads, following the principle of homogeneity of mass as well as speed. Because of this principle the Dutch will never implement a combined bus/cycle lane as is common in some other countries.

// 引用者訳 [ ]内は訳注
速度と質量に大きな差がある道路利用者が同一の空間を通行するという状況は可能な限り排除しなければならない。道路利用者[主に車]の速度は道路のデザインによって強制的に落とさせるのが最も有効で、標識を立てるだけより効果が高い。もし衝突しても速度差が小さければ、脆弱な道路利用者[歩行者や自転車]に及ぶ損害は遥かに軽くなる。速度差を解消できない場合は交通モードで分離しなければならない。速度が高い道路では更に、反対方向に進行する道路利用者を分離帯で分け、衝突を防ぐべきである。このようなトラフィック機能重視の幹線道路では、質量と速度の同一性の原則に従い、自転車と歩行者は必ず車道から分離されている。また、同じ原則に因り、オランダではバス自転車共用レーンは他国ほど一般的ではない。[乗客なども含めたバスの総重量は14トン前後になる事もあり、自転車との差は100〜200倍にも達する]
自転車と車を同じ通行空間にまとめて良いとされるのは速度差、質量差が小さい場合だけです。決して「自転車は車両」原則に妄信的に従って道路を作っているのではなく、混合できるなら車道、分ける必要があるなら自転車道、と場合に応じて判断しています。


疋田さんが拘る「自転車は車両」はむしろ後進国の思想


疋田さんが「先進都市」のものだと思っている「自転車は車両」意識は、むしろ自転車文化を絶滅の淵に追いやってしまったイギリス、アメリカ、オーストラリアなどの後進国に特徴的なものです。

それを端的に示す記事を以下に引用しましたが、元サイトの写真を見た方が分かりやすいので、リンクから読みにいく事をお勧めします。

Bicycle Perth. (2014-06-13). “Australia, start counting to three
Basically, the Australian road space has two parts: a carriageway for motor traffic, and a path on the side for pedestrians. People on bicycles are expected to either share with motor traffic or share with pedestrians. The conflict problems are obvious.

Mixing people on foot and on bicycles is not ideal but can function OK if the area is not crowded and speeds are slow. However, it is bizarre that during a period of significant safety advancement in Australia, people sitting on a skeletal combination of steel and rubber are expected to share the part where there are moving motor vehicles. A bicycle is not a protective shield, it‘s just somewhere to sit.

While Australia (and the UK and North America) continued with this problematic two-mode network, the Netherlands adopted a three-mode network. It’s simple really. Instead of leaving bikes behind, they took them on the same safety journey.

// 引用者訳 [ ]内は訳注
オーストラリアの道路は基本的に2つの部分で出来ている。車のための車道と、歩行者のための歩道だ。自転車は車に混ざるか歩行者に混ざるものと考えられているが、これでは対立が起こるのは自明だ。

歩行者と自転車を混ぜるのは理想的とは言えないが、歩道が混んでおらず、自転車がゆっくりであれば、まあまあ上手く機能する。しかし、オーストラリアで[歩行中と車に乗車中の]安全性が大きく改善してきた一方で、鉄とゴムの華奢な線に跨がっているだけの人が、車の走る部分を[車と]共有するものとされているのはおかしい。自転車は[乗り手を]保護する盾ではない。単に跨がるものなのだ。

オーストラリアが(そしてイギリスと北米が)この問題含みの2モードの道路網に拘り続けてきた一方で、オランダは[車道、自転車道、歩道の]3モードの道路網を選んだ。単純な事だ。[これのお陰で]オランダでは、[オーストラリアのように自転車は子供が休日に近所の公園で遊ぶ時に乗る程度で、普段の街中の移動は危険すぎて]自転車を家に置いて行かなければならないという事はなく、[オーストラリアでドライバーが日常的に享受しているのと同じ]安全な移動ができている。


最後に


疋田さんは以前、メルマガでこんな事を書いていました。

「週刊 自転車ツーキニスト」729号
 前回、前々回と「リボは損だよ〜ん」と言ってきた当メルマガではありますが、ますます反響があって、その中に複数名、こんなのがあった。
「でも、リボ払い、使いようによってはオトクですぜ。

// 中略

……でも、私はやらないな。
なぜなら、そういう「デフォルト・リボ」なんてやるカード会社は、どっかの時点で、こっそり設定額を20万円から2万円あたりに変えかねないからさ。

// 中略

でもね、いちおう、フェアネスを期して「こういう意見もありました」ということで。
公正さのために異論も紹介する。素晴らしい姿勢です。今回のシリーズで見てきた730号のメルマガでも、「欧米では自転車は車道じゃない」という異論を紹介しています。

ただ、

疋田さんが取り上げる反論は持論の根幹を傷付けないようなものだけなんですよね。それ以外の重要な反論についてはだんまりを決め込んだり、反論の内容をすり替えたりして、正面からの議論を避けています。これが公正だと言うなら何とも楽な公正ですが、そうではないという事を、今後のメルマガや著作で示してくれる事に期待したいですね。




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