2012年5月18日金曜日

クトゥルー神話の改訳

最近になって初めてクトゥルー神話を読んだ。



小説に触れる以前から「名状しがたい」とか「冒瀆的な」
という言い回しがネタ扱いされているのを見知っていたので、
今更読んでも新鮮な恐怖は味わえないだろうと思っていたが、
意外にも読んだ翌朝には久々に本格的な悪夢を見た。満足。

それはそうとして、何なんだ、この読みにくさは。
読んでいてあまりにも引っ掛かる点が多いので、
訳文の問題点をメモしながらの読書になってしまった。

以下、問題を感じた箇所と、その改訳案。
読みにくさの原因が原著者に在ろうが訳者に在ろうが
区別せずにガシガシ直していく。

底本としたのは以下の版。

--------------------------------
『暗黒神話大系シリーズ クトゥルー 1』
大瀧啓裕(編)
1988年12月25日 初版
青心社

pp.7-60
The Call of Cthulhu, by H. P. Lovecraft
「クトゥルーの呼び声」 大瀧啓裕(訳)
--------------------------------

原文はGoogleBookを参照した。


p.9
底本
わたしが思うに、この世でもっとも慈悲深いことは、
人間が脳裡にあるものすべてを関連づけられずにいることだろう。
  • 第一文から難読文が来た。
    「関連づけられず」の「られ」は受動か自発か能力か。
    二、三度読み返してしまったじゃないか。

  • 「慈悲」って神様からの? 日本文化では
    創造主とか唯一神の存在が頭に刷り込まれていないので
    「慈悲」の主体が省略されると違和感を覚える。

  • 慈悲の比較範囲が「この世」って広過ぎだろ。
    せいぜい「人類」。(原文は the world)

  • 漢字で書ける語は漢字で書いた方が読みやすい。(機能語は除く)
改訳案
人は自分の脳裡に在るもの全てを関連付ける事ができない。
これは神が人類に与えた最大の慈悲ではないかと私は思う。
p.10
底本
しかしわたしが思いをめぐらしただけでも震えあがり、
夢を見ただけでも狂いそうになる、禁断の太古の実相を
瞥見するようになったのは、神智学者たちの教説によるものではない。
  • 読点の位置が間違っている。読点は一般に、
    或る語が直後の語(句)と結び付かない
    事を示す為に用いる。(結び付かない事が自明な場合は除く。)
    息継ぎ記号として使ってはならない。(息継ぎの位置が
    文の論理的な切れ目と一致するとは限らないから。 )

    底本の読点位置では、前から読んでいった時に
    {(主語)わたしが + (述語)震え上がり、狂いそうになる}
    と読めてしまうが、続きを読むと実は
    {(主語)わたしが + (述語)瞥見するようになった}
    だったと分かる。

  • あと、修飾部が長過ぎ。

  • 「夢見た」ではなく「(それを)夢見た」。
    この節を of which 節と解釈して「(それの)夢見た」なら
    間違いじゃないんだけど、主節との繋がりが弱い。
改訳案
思いを巡らしただけでも震えあがり、夢に見ただけでも狂いそうになる
禁断の太古の実相――わたしがこの実相を瞥見するようになったのは、
しかし、神智学者たちの教説によるものではない。
p.11
底本
その箱には鍵がかけられており、その鍵が見つけだせなかったが、
それも教授がいつもポケットにいれてもち歩いていた、
個人用の鍵束を調べるのを思いつくまでのことだった。
  • その箱/その鍵」。「その」の連続が気持ち悪い。

  • 読点が間違っている。「もち歩いていた」と「個人用の鍵束」は
    修飾関係にあるので、読点で分割してはならない。

  • 「それも……までのことだった」の間が長過ぎ。
    読んでる途中、「それも」の立ち位置が定まらない。
改訳案
箱には鍵が掛けられており、その鍵が見付け出せなかったが、
教授がいつもポケットに入れて持ち歩いていた個人用の鍵束を
調べれば良いのだと思い至った。
p.12
底本
厚さは一インチにみたず、縦と横は五インチに六インチほどの大きさで、
  • えー? インチで言われても見当が付かないなー。
    しかもこの時代(1926年執筆)だと度量衡の定義が今と違うかもしれない。
    (というかさっさとメートル法に移行してよね、アメリカ。)
改訳案
厚さは二センチメートルほど、表面は十二×十五センチメートルほどで、
p.12
底本
…どう記憶をふりしぼっても、この特殊な碑文を同定することはおろか、
ごくかすかな類似をほのめかすものをつきとめることすらできなかった。
  • 平仮名が多過ぎ。昔のゲーム機じゃあるまいし。

  • identifyを「同定する」と訳しているが、そんな専門用語っぽい響き?

  • 「ごくかすかな…つきとめる」は迂言過ぎ。もっと簡単な言い方が有るでしょ。
改訳案
…どう記憶を振り絞っても、この特殊な碑文が何なのか思い当たらず、
どういう分野の物なのかさえ見当が付かなかった。
p.12
底本
…明らかに絵画的にあらわす意図をもつ画像があったが、
印象主義の技法が用いられているために、
それがなにをあらわすつもりのものなのか、
その本質をつかむのはかなわなかった。
  • 「画像」って彫刻に対しても使う?
    インターネット時代だからか、二次元平面に限定される言葉だと思う。

  • 「それがなにを…かなわなかった」。 また平仮名だらけだ。

  • 彫刻を見ただけでクトゥルーの「本質」を掴むのは無理でしょ。
    原文の nature は「(生き物の)種類」的な意味では?
改訳案 
明らかに何かを描いた図像が有ったが、
印象主義的な技法で造形されている為、
何の図像なのかはハッキリと判断できなかった。
p.14
底本
耽美主義者のささやかな集りに知られるだけになっていた。
  • ここだけ送り仮名の規則が古い。まさか「集(たか)り」?
改訳案
耽美主義者のささやかな集まりに知られるだけになっていた。
p.15
底本
それに対する若いウィルコックスの返答は、記憶に焼きついたものを
逐語的に記録させるほど大叔父に強い印象をあたえたのだが、
この若者の会話全般を特徴づけるにちがいない、
空想たくましい詩的な色どりをおびたもので、
はたしてわたしは後に、これがウィルコックスの特徴を
顕著にあらわしていることを知った。
  • え? え? 意味が分からない。修飾部が長過ぎる。

  • 「返答は……印象をあたえたのだが」で、一区切り付いて
    次の文ではトピックが変わるのかと思ったら変わってなかった。

  • 「会話全般」? 口を開けば毎回こういう喋り方なのか?
    そうじゃなくて「今回の会話の最初から最後まで」じゃないの?

  • 「知った」のは、このあと本人に会いに行った時の事ではなく、
    教授の草稿を読んでいる今この時っぽい。
改訳案
それに対する若いウィルコックスの返答に
大叔父はよほど強い印象を受けたのだろう、
記憶に焼き付いたものを逐語的に記録している。
その内容は隅々まで空想逞しい詩的な彩りを帯びていて、
これが彼の話し方なのだと理解できた。
p.16
底本
教授は学者らしい綿密さで彫刻家を問いつめ、
若者がとまどいながらぼんやり目をさましたとき、
夜着をまとっただけの姿で寒さに震えながら造っていた
という浅浮彫を、このうえもない熱心さで調べた。
  • 問い詰められた若者は途惑って……え? 教授の前で眠ってたの?
    あ、違う違う。紛らわしいなー、もう。
改訳案
教授は学者らしい綿密さで彫刻家を問い詰めた。
若者の話では、昨夜、途惑いながらぼんやり目を覚ますと、
夜着を纏っただけの姿で寒さに震えながら浅浮彫を造っていたという。
教授はその浅浮彫をこの上もなく熱心に調べた。
p.18
底本
ここで草稿の前半はおわっているが、分散するメモに対する言及が
いくつもあって、検討すべき資料はおびただしかった――事実、
あまりにも多いので、わたしがそれだけの資料に接して、なおも芸術家に
不審の目をむけつづけたのは、当時のわたしの考えかたの土台となっていた、
生来の根強い懐疑主義によるものだとしか考えられないほどだ。
  • これ、一読しただけでは理解できなかった。

  • 「あまりにも多いので……としか考えられない」の間が離れ過ぎ。
    「ので」の本来の掛かり先が来る前に何度も引っ掛かる。

  • この時点では読者は「資料」の内容を知らないので、
    「資料を読んだのに芸術家を疑ってしまう」という理由がすんなり理解できない。
    だから余計に、
    「あまりにも多いので……としか考えられない」
    の構造を捉えにくくなる。

  • 15行も先に進んでやっと「わたし」が芸術家を疑う根拠が明かされる。
    だったら今ここで「不審の目を」とか言って読者を混乱させる意味無い。
    後半は全削除ね。
改訳案 
ここで草稿の前半は終わっているが、分散するメモに対する言及が
いくつもあって、検討すべき資料は夥しかった。
p.22
底本
エインジェル教授はその学識と業績にふさわしく、
討議すべてに卓越した役割を演じたほか、
この総会を利用して正しい解答を求める質問や、
専門家の判断をあおぐ問題をぶつけようとする、
何人かの部外者から、まっさきに狙われたひとりでもあった。
  • 前半が動詞述語文(「演じた」)なのに
    後半は名詞述語文(「ひとりでもあった」)。
    読者は前半と同じ構造を想定して長い長い修飾節を我慢して読んでるのに
    最後に引っ繰り返される。

  • 「討議すべて」というが、複数のセッションが同時進行する学会だと無理。
    (例えば The Society for American Archaeology の
    直近の学会では24会場で同時進行。)

  • 「討議卓越する」んじゃないだろ。「卓越した役割を討議」だろ。

  • 教授を狙うのが「質問 AND 部外者」と読めてしまう。
    並列構造が見えにくい。

  • 「正しい解答」て……。クイズ番組じゃあるまいし。

  • 読点が間違っている。
    「ぶつけようとする」は直後の句と繋がっているので読点で分断してはならない。
    「部外者から」とその後ろも同様。

  • 「狙う」ね……。
    全体的に事件の匂いが漂う小説でこの訳語だと
    「狙撃」の意味に聞こえる。
改訳案
エインジェル教授はその学識と業績に相応しく、
あらゆる討議で卓越した役割を演じた他、
疑問や問題を抱えて「この機会に」と来場した部外者から
真っ先に掴まり、的確な回答や高度な解決法を求められた。
 p.23
底本
小像をひと目見るや、集まった学者たちは極度に興奮して、
ルグラース警視正に群がり、……小像を、まじまじと見つめたのだった。
  • 打ってはならない読点が二箇所。
改訳案
小像をひと目見るや、集まった学者たちは極度に興奮して
ルグラース警視正に群がり、……小像をまじまじと見つめたのだった。
p.26
底本
声をあげて唱えられた呪文を、伝統的な分節から
推定される区切りをつけると、このようになる。
  • 助詞の間違い。「呪文」ではなく「呪文」。

  • 不要な読点。「呪文を」から本来の掛かり先の間に
    他の掛かり先候補が無いので一つ目の読点は必要無い。
    二つ目の読点も不要。
改訳案
声をあげて唱えられた呪文に伝統的な分節から
推定される区切りを付けるとこのようになる。 
p.26
底本
ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん
  • 何で呪文を平仮名で表記したんだろう。
    これが切っ掛けになって、日本でのクトゥルフ神話の運命が
    あらぬ方向へ捻じ曲った様な気がする。
     
  • これは直さないでおこう。

  • 原文は"Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn."
p.29
底本
……おそらく住民たちは、邪教崇拝の場所そのものに、
慄然たる音や出来事以上におびえているものと思いなされた。
  • 「思いなす」に自発の「された」が付くかなあ。
    かなり意図的にならないと「思いなす」なんてできないから、
    制御不能を意味する「自発」とは相性が悪い気がする。
     
  • 不要な読点。
  • 「慄然たる…以上に」が文の流れをぶった切ってる。
    これは前に持ってこよう。
改訳案
……おそらく住民たちは慄然たる音や出来事以上に
邪教崇拝の場所そのものに怯えているものと思われた。
p.30
底本
沼沢地のなかの天然の湿原のなかに、広さおおよそ一エーカーほどで、
木が一本もないかなり乾燥した、草の生い茂る島があった。
……
高さ八フィートほどの大きな花崗岩の石柱が立って、……
  • 「沼沢地のなかの…湿原」って、湿原も沼沢地の一種でしょ?
    (原文は In a natural glade of the swamp)

  • エーカー、フィートじゃ分からん。

  • かなり乾燥」してるの? (原文は tolerably dry)
改訳案
森の中にひらけた湿原の中に、草が生い茂る島があった。
広さはおよそ六十メートル四方で、木が一本も無く、
足元は不快でない程度に乾いている。
……
高さ二・四メートルほどの大きな花崗岩の石柱が立って、……
p.39
底本
夢、そして夢が潜在意識にのこしたものが、
ウィルコックスの芸術に強い影響をおよぼしており、
その実例として不気味な彫像をひとつ見せてもらったが、……
  • 途中で突然主語が変わっている。(夢→わたし)
     
  • 「夢、そして夢」……。「ありがとう、そしてありがとう」。
    これは拙くないか、拙くないかこれは。
改訳案
彼は夢自体やその夢が潜在意識に残したものが
自身の芸術に強い影響を及ぼしていると言い、
その実例として不気味な彫像を一つ見せてくれたが、……
p.40
底本
それが後になって、あまりに印象的なものであったことから、
夢や、浅浮彫や、わたしが見せられた彫像に、
無意識のあらわれとなったわけで、……
  • (「それ」はクトゥルー関係の異様なもの)
     
  • 「後になって」の掛かり先「あらわれとなった」が遠い。
    間に関係無い「印象的なものであった」が挟まっている。

  • 「彫像」の掛かり先が用言ではなく体言。これは文法エラー。
    体言に掛かるなら「彫像への」。
改訳案
それがあまりに印象的なものだった為、無意識に刷り込まれ、
後に夢や浅浮彫や、わたしが見せられた彫像に現れたわけで、…
p.41
底本
きわめて由由しい、秘密につつまれた、太古からの信仰を調べあげ、…
  • 「信仰」に掛かる三つの修飾成分の語順が拙い。
    「由由しい秘密」? ではなく「由由しい信仰」。
  • この文庫では「木木」や「神神」といった表記で統一されているが、
    読み難いので現代表記に直す。
改訳案
太古から秘密に包まれてきた極めて由々しい信仰を調べ上げ、…
(命題レベルでは意味が若干変わるけどこっちの方が流れが良い。)

p.41
底本
わたしの調査態度はあいかわらず、いまもそうあることを願う
唯物主義にもとづくものであり、
  • 「そう」は後方参照していて読み難い。(「そう」→「唯物主義」)

  • 「いまも」と「あいかわらず」の意味が重複している。
改訳案
わたしは調査に於いて当時も今も一貫して唯物主義の態度を取っており、
p.41
底本
わたしが疑念をいだきはじめたことがひとつあり、
いまでは真相を知るのが怖ろしくなっているのだが、
それは大叔父の死がおよそ自然死と呼べるものとは
かけはなれているのではないかということだった。
  • 「あり……それは」の繋ぎ方が如何にも直訳。
    「それはヴェルタースオリジナルで私は四歳でした」を連想させる。
     
  • 「いまでは真相を」が文の流れをぶった切っている。
    最初の節を独立文にし、
    「いまでは真相を」を第二文の頭にしよう。
     
  • 「かけはなれている」かな? 「ていた」の方が良いかも。
改訳案
一つの疑念がわたしの中で膨らみ始めた。
今では真相を知るのが怖ろしくなっているのだが、
大叔父の死は凡そ自然死と呼べるものとは
掛け離れていたのではないか。
p.42
底本
ばらになった反故(ほご)同然の新聞に
  • 原文は a certain stray piece of shelf-paper.
    原文の「棚」という情報が訳文には欠落している。
     
  • 「反故」は書き損じて不要になった紙。ちゃんと校正が入ってから
    刷られる新聞紙を掴まえて「反故」呼ばわりは酷い。

  • 「ばらになった反故」? 「ばらになった新聞」?
    どっちなのか分からない。
改訳案
棚に無造作に敷かれた古新聞に
p.42
底本
当時わたしはエインジェル教授が「クトゥルー教団」と呼んだものを
もっぱら調査しており、ニュージャージー州パタースンに足を運び、
地元の博物館の学芸員であるとともに有名な鉱物学者でもある、
学識ある友人を訪れることがよくあった。
  • 「教団」じゃなくて「信仰」じゃないの?(原文はCthulhu Cult)

  • 「よくあった」のは「友人を訪れる」だけ? 「パタースンに足を運」ぶ事も?

  • 「訪れること」に掛かる文が長過ぎる。

  • 学芸員が学識を有するのは当たり前。
    訳で叙述の順序を入れ替えた所為で重言になった。
    (原文は
    ... visiting a learned friend in Paterson, New Jersey;
    the curator of a local museum and a mineralogist of note.)
改訳案
当時わたしはエインジェル教授が「クトゥルー教」と呼んだ信仰
の調査に注力しており、ニュージャージー州パタースンにいる
博学な友人の許にしばしば訪れていた。
彼は地元の博物館で学芸員で、著名な鉱物学者でもある。
p.44
底本
大幅に進路を南にそれた。
  • 「大幅に」の掛かり先は「それた」だけ。
    「進路」は修飾範囲に含まれないが、間に挟まっていて紛らわしい。
改訳案
進路を大きく南に逸れた。
p.45
底本
エンマ号の乗組員はこれに抵抗し、生存者の話によれば、
スクーナー船は喫水線の下に何発もの砲弾をうけて沈没しはじめていたが、
なんとか敵の船に舷(ふなべり)を接して乗りこんで、
快速船の甲板で残忍な水夫たちと闘い、
相手は闘いかたが拙劣だとはいえ、面つきはなはだ忌わしく、
死物狂いで襲ってくるために、数においてややまさっている敵を
皆殺しにせざるをえなかったという。
  • (新聞記事の引用部分)
     
  • 「エンマ」って…。Emmaの読みは「エマ」。「キー君ひよこじゃないっピー!」。
     
  • 時系列がぐちゃぐちゃ。
     
  • エンマ号=スクーナー船。それと、敵の船=快速船。
    繰り返しを避ける言い換え技法は欧米文学では一般的だが、
    日本人は不慣れなので、
    突然やられると何を指しているのか分からなくなる。
     
  • 「忌まわしい」のは「面つき」じゃないよ! 「闘いかた」だよ!
    確かに原作者は白人以外に対する差別発言に容赦が無いけど。
改訳案
生存者の話によれば、エマ号は喫水線の下に
何発もの砲弾を受けて沈没し始めていたが、乗組員はこれに屈せず、
辛うじて舷(ふなべり)を敵船に接すると、甲板に乗り込んで乱闘となった。
敵の野蛮な乗員は人数がやや多く、死に物狂いになっており、
稚拙だが許し難い闘い方をしてきた為、これを皆殺しにせざるを得なかったという。
p.46
底本
記事は地獄めいた彫像の写真もふくめてこれだけのものだったが、
わたしの心になんという考えをつぎからつぎへと思いうかばせたことか。
  • 「なんという」と感嘆文を使うほどの考えなら普通は一つに限定されるだろう。
    それが「つぎからつぎへ」って…。
     
  • 感嘆文のくせに長い。感嘆している様に聞こえない。
     
  • この「考え」は小説の展開上、劇的な内容なので
    動詞「思いうかぶ」の静かなニュアンスとは合わない。
改訳案
記事は地獄めいた彫像の写真も含めてこれだけのものだったが、
わたしの心には様々な考えが怒濤の如く押し寄せた。
p.48-49
底本
……どこといって特徴のない船体を見ても得るところはなかった。
頭は甲烏賊(こういか)、胴は龍、鱗におおわれた翼をもち、
象形文字の刻まれた台座にうずくまる彫像は、ハイド・パークの博物館に
保存されており、わたしは長いあいだじっくり観察して、
これがまさしく怖ろしいほど絶妙な造りのもので、
ルグラース警視正の手もとにある、こぶりなものに見いだしたのとおなじ、
まったくの謎と、慄然たる古ぶるしさと、この世のものならぬ素材の
異様さを備えていることを知った。
  • 特徴の無い船体? 「頭は甲烏賊」ってだけで充分特徴的だろ。
    と思いきやトピックは彫像に変わっていた。ややこしいな、もう!
     
  • 「じっくり観察して」以降、修飾部が長過ぎる。
     
  • 「謎」は一般にモノではなくコトに帰属する。言葉の上でモノ(「彫像」)に
    帰属している様に見えても、コトに展開しなければ意味を成さない。
     
  • 「古ぶるしい」って今は殆ど使わない言葉だな。
改訳案
……どこといって特徴のない船体を見ても得るところはなかった。
彫像はハイド・パークの博物館に保存されていた。
頭は甲烏賊(こういか)、胴は龍、鱗に覆われた翼を持ち、
象形文字の刻まれた台座に蹲っている。
長い間じっくり観察すると、怖ろしいほど絶妙な造りであることが分かる。
慄然たる古めかしさや、この世の物ならぬ素材の異様さは、
ルグラース警視正が持っている小振りな彫像とまさしく同一で、
その性質は一切窺い知れない。
p.52
底本
わたしは思うのだが、ただひとつの山のいただき、悍しい石柱がそびえたつ、
大いなるクトゥルーの葬られている墓所だけが、実際には海面を破って
浮上したのではないだろうか。
  • 叙述の順序が拙い。ここまでで既知なのは「海から石柱が突き出している事」で、
    それが文の後半に回ってしまっている。
     
  • 「実際には」の修飾対象は「海面を破って」だけではなく
    埋め込み文全体。(「ただひとつの……浮上した」)
    だったら埋め込み文の文頭に持って来るべき。
     
  • 「ただひとつの山のいただき」に助詞が付いていないので、
    「墓所」まで読まないと文中での立ち位置が分からない。
     
  • 石柱は単に聳え立っているのではなく、墓所の「冠」として聳えている。
    (原文 the hideous monolith-crowned citadel )
改訳案
海上に現れたのは頂上部分の岩に過ぎないのではないかとわたしは思う。
その悍しい一枚岩を頂く墓石の下には大いなるクトゥルーが葬られているのだ。
p.57
底本
ふりかえってそれを見たブライデンはたちまち発狂して、
その後は間隔をおいて笑うばかりの状態がつづき、
ある夜ヨハンセンが半狂乱になってさまよい歩いているあいだに、
キャビンで息をひきとった。
  • クトゥルーに襲撃されている場面。
    「ある夜」という事は、クトゥルーからの逃走は何日間にも及んだのか?
    そうではない。これは逃げ切った後の話。
     
    だが、それが明らかになるのは次のページの中ほど。遠過ぎる。
    次の段落との間で時系列が前後してしまうし、
    緊迫した場面の中で間が抜ける。もう後半は全削除しちゃおう。
     
  • たちまち発狂」したとは書いてない(原文 went mad)
     
  • どういう笑い声だったか、折角原文が描写しているのに訳さないの?
    (laughing shrilly)
改訳案
振り返ってそれを見たブライデンは発狂し、引き攣った甲高い声で笑った。
p.57
このページだけ、ページ左肩のタイトル表示
「クトゥルーの呼び声」が抜けている。
p.58
底本
はてしない大洋の深淵でうつろに身をよじったり、
彗星の尾に乗って旋回する宇宙で目眩(めくるめ)く飛行をしたり、
半狂乱になって窖(あな)から月へ、
また月から窖へととびこんだりするような感じがして、
身をよじらせてうかれさわぐ古(いにしえ)の神神、そして蝙蝠の翼を備えた
緑色の嗤笑する地獄の小鬼どもの哄笑が、これらすべてをはやしたてていた。
  • 「うつろに身をよじ」るとは?
     
  • 宇宙が彗星の尾に乗るとはこれ如何に。語順が拙い。
     
  • 「窖」って何だよ。全然映像が浮んでこない。
     
  • 小鬼がしているのは嗤笑? 哄笑? どっちだ。
     
  • 文頭から「感じがして」までの修飾部が長過ぎ。
     
  • 「身をよじる」が二箇所有るが、意味合いが全然違う。 
改訳案
その時の感覚は、幽体になって無限に続く渦潮に巻かれたり、
彗星の尾に跨って眩暈がするような宇宙を飛んだり、
狂乱して地獄の底から月へ、月から再び地獄の底へ飛び込んだりするようだった。
それら全てを古(いにしえ)の歪曲した神々が浮かれた笑い声の轟音で包み、
さらに、蝙蝠の羽を生やした緑の小鬼がからかいの笑い声を加えていた。
p.59
底本
以上がわたしの読んだ草稿の内容で、この記録もおなじ箱におさめよう
――この記録はわたし自身の正気を試すために書きあげたものであり、
ここに結びつけられているようなことは、
二度と関連づけられないことを願うばかりだ。
  • 「おさめよう」 あ、唐突に意志文に切り替わった。
     
  • 「ここ」ではなく「ここ」。
    「記録」自体は「結び付ける」先の帰着点じゃないから。
     
  • 「結び付けられている」のは「わたし」が記録した事に
    限定されているので、「ようなこと」と書いて暈かす意味が無い。
     
  • 不要な読点。
改訳案
以上がわたしの読んだ草稿の内容で、今は缶の箱に収め、
浅浮彫とエインジェル教授の書類の傍らに置いてある。

ここで結び付けたことが二度と関連付けられないよう願うばかりだ。
p.59
底本
おそらくクトゥルーも、太陽が若かったころからまもられていた、
あの石の割れ目でふたたびなおも生きているのだろう。
  • 「まもられていた」のは石じゃないだろ。この語順は拙い。
     
  • 「ふたたび」の修飾範囲は「生きている」だけではなく、
    「石の割れ目で生きている」全体。これも語順が拙い。
     
  • 「石」っていうと石ころみたいな小さいのを想像するけど、
    あの巨大な「墓石」でしょ?
改訳案
おそらくクトゥルーも、太陽が若かった頃からクトゥルーを守ってきた
あの墓石の割れ目の中に戻り、今も生きているのだろう。
---


主な問題点は以上。いや酷かった。

翻訳の技術以前に日本語が間違っている箇所が多過ぎる。特に助詞。
日本語母語話者でも口頭発話なら助詞のエラーは良く有るが、
本にするならちゃんと直してほしい。


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ところで、本シリーズでやたら目に付くワード「名状しがたい/冒瀆的な」。
一冊の中で何回現れるか数えてみた。
  • 「名状しがたい」 14回
  • 「冒瀆的な」 13回
「名状」はハスターの枕詞にもなっているので
頭一つ抜き出たようだ。