バイアスに呑まれた研究者が、自分の望むデータを得る為に実験デザインまで歪めてしまった事例として注目の論文です。
導入部
王・山中・三谷(2014, p. I-951)
双方向型が主体となっている自転車道や自歩道ではなく,車道部を車両と同一方向に自転車を走行させる自転車レーンや指導帯を基本とすることで,事故件数の低減へにもつながることが期待されていると言える.この研究は、幹線道路に整備する自転車インフラの形態として、双方向通行の自転車歩行者道や自転車道を否定し、車道上の一方通行の自転車レーンが最も安全な形態であると証明する事を目的にしているように見えます。上の引用箇所からもその姿勢がかなり明確に感じ取れます。
先行研究のレビュー
王・山中・三谷(2014)はまず、幹線道路の無信号交差点での事故を自転車の右側/左側通行の視点から分析した先行研究6本をレビューしています。この内、私も読んだ事が有る2本について見ると、
王・山中・三谷(2014, p. I-952)
金子ら2)は,東京都内の幹線道路の15.2km区間の小交差点で2002年から2005年に発生した幹線道路走行自転車と細街路自動車との出会い頭事故を自転車の走行位置別に,自転車100万台当たりの事故発生率を比較し,左方向)から走行(右側通行)する自転車の事故率が高いことを示している(図-1).※括弧が余計な「左方向)から」は原文ママ
と纏めていますが、この金子論文は、歩道の中の車道寄りの部分を走る自転車に限れば右側通行だろうと左側通行だろうと事故率(*)に大差が無い事も明らかにしています。王・山中・三谷(2014)はこれを無視し、歩道の中の民地寄りと車道上を通行する自転車の事故率のみをチェリーピッキングしています。これは後に触れる実験計画の歪みに直結する重大な誤謬です。
* ただ、金子論文は事故率算出の根拠になる通行台数の調査方法と、そもそもどの路線を対象にしたのかについて一切説明していません。
もう1本は科警研の研究のレビューで、
王・山中・三谷(2014)
萩田ら4)は,平成19~22年の千葉県東葛地区の自転車が第二当事者の交差点事故を分析した結果,無信号交差点では自転車に近い側の道路から進入する自動車との事故が多く,左側手前から進入してくる場合(自転車が右側通行している)場合の事故が多く発生しているとしている.※括弧の位置が間違っている「右側通行している)場合」は原文ママ
と纏めていますが、萩田論文の分析には「無信号交差点」という区分は有りません。信号の有無が不明な「交差点」という区分を指しているのであれば、車と、交差方向の道路から来た自転車との事故件数は、
- 車が交差点を直進または左折する場合は右側通行の自転車との事故が、
- 車が交差点を右折する場合は逆に左側通行の自転車との事故が
そうではなく、車が路外から単路の車道に入るパターンであれば、直進、左折、右折、いずれの出方でも右側通行の自転車との事故が多いです。
それとは逆に車が単路の車道から右折または左折で路外に出る場合は、いずれの場合でも左側通行の自転車との事故の方が多いです。
いずれにせよ、通行台数当たりの事故率ではなく単なる事故件数なので、リスクの大小は比較できません。
実験方法
王・山中・三谷(2014, p. I-953)が設定したシミュレーション状況は、
- (信号機の無い)小交差点で
- 幅7mの細街路から
- 福山市駅前通りをモデルとする幹線道路(車道は片側3車線、それとは別に自転車レーン2.5m、歩道4m)に
- 車が左折合流で出る
- 車が交差点に進入するタイミングで
- 幹線道路側(自転車レーン上または歩道の民地寄り)を走る自転車が出現する
先行研究の知見から車道左側通行の自転車の事故リスクだけが低くなると分かっている状況を周到に作り上げていますね。何が何でも自転車レーンが安全だという根拠を掴んでやるぞという執念を感じます。研究者としての倫理観は欠けていますが。
一つ一つ見て行きましょう。
車の動きのパターン
モデルに使われた駅前通りは、信号機の無い小交差点では上下線が中央分離帯で隔てられているので、脇道から出て来た車は左折合流しかできません。左側通行の自転車にとって危険な右折合流パターンをシミュレーションから排除するのにちょうど良い口実になりますね。
シミュレーション結果を中央分離帯の有る幹線道路にのみ適用するなら問題無いでしょうか? 私はそうは思いません。車が幹線道路から脇道に入る逆パターンをシミュレートしていないからです。
自転車の通行位置
シミュレーション内に登場させる歩道上の自転車の通行位置を民地寄りのみに設定したのは、歩道を通行する自転車を見落としやすくさせる為に金子論文のデータを悪用したものと言えるでしょう。
自転車が歩道を通行する場合、通行実態はともかく法的には歩道の中の車道寄り部分を通る事になっている(道路交通法63-4条2項)ので、これに敢えて背いて民地寄りを走らせたという事は、そこに明確な意図が有ったと見て然るべきです。
死角の設定
画像出典:王・山中・三谷(2014, p.I-953)
シミュレーター用に作られた仮想空間では歩道と自転車レーンの間に遮蔽物が一切無く、ドライバーから見て自転車レーンの方が歩道よりも遠くまで見通せるようになっています。
ところで、福山の駅前通りには王・山中・三谷(2014)のメンバーの一人、山中教授が関わって整備された自転車レーンが有るのですが、
福山市 幹線道路課(2016年4月1日)「自転車通行ゾーンの整備(福山駅前通り)」
案の定、路上駐車に塞がれて自転車利用者が歩道を走っていますね(笑)
こんな幹線道路にペイントしただけの自転車レーンとか頭おかしい。
(出典:StreetView@34.4838146,133.3646088)
こんな幹線道路にペイントしただけの自転車レーンとか頭おかしい。
(出典:StreetView@34.4838146,133.3646088)
その整備区間の無信号交差点を見ると、
トランスや植栽、路上駐車で寧ろ自転車レーンの方が視距が劣っています。
(歩道上をよく見ると民地寄りではなく車道寄りにちゃっかり「自転車」のマークが。)
(出典:StreetView@34.4847142,133.3643942)
(歩道上をよく見ると民地寄りではなく車道寄りにちゃっかり「自転車」のマークが。)
(出典:StreetView@34.4847142,133.3643942)
定番の路駐スポットなのかな?
しかも、見た所、自転車レーンの幅は2.5mも無さそうです。
このように、王・山中・三谷(2014)のシミュレーションは、偏った、或いは非現実的な設定で車道上の自転車レーンが有利になるようにしているんですね。
今まで私が読んできた自転車関連の研究には、捏造や改竄といった「いかにも」な不正は無く、データの取捨選択や巧妙に組み立てられた実験デザインなど、一般読者の目が届きにくい、ロジックの上流側での不正が度々見られます。王・山中・三谷(2014)のシミュレーション研究も、それらに並ぶ一例でしたね。
福山では山中教授の関与で自転車レーンが整備されたので、構図的にこの研究は優良誤認表示に近いです。
実験結果
シミュレーション結果にはドライバーの安全確認行動の意外な傾向が表われていて、そちらは純粋に面白かったです。この記事では深くは扱いませんが、参考になるのでお勧め。
バイアスが掛かった研究の何が問題か
車道端を視覚的に区分しただけの自転車レーンの安全性を証明する事に躍起になる研究姿勢には、上で見たような実験デザインの歪曲だけでなく、他の整備形態(自転車歩行者道や自転車道)の問題点の洗い出しや設計の改良が疎かになるという副作用も有ります。
各地の実際の整備事例を見れば分かるように、車道端をペイントしただけの自転車レーンは路上駐車と空間競合を起こしており、車の停車帯を自転車通行空間と兼用するという1970年改正の道路構造令の発想(*)から大して変わっていません。
* 大脇 鉄也(2011年3月1日)「技術基準・温故知新(第3回) 道路構造令(2) 幅員主義から車線主義へ 〜昭和45年構造令の全面改定〜」『道路』840号, pp.57-61
路上駐車に塞がれ、自転車も歩道に留まりがちな自転車レーン方式をゴリ押しする事は、自転車利用環境整備という題目から受けるイメージとは裏腹に、実質的には道路空間での車の既得権益を固定化する方向に作用する事が懸念されます。
1970年代アメリカでJohn Foresterが、自転車愛好家でありながら自転車専用通行空間の整備に強硬に反対し、自転車を目障りに感じていたドライバーたちに利する格好になってしまった状況とよく似ています。
著者名なし(公開日記載なし)"Has Machismo Harmed Bike Culture In America?". Carbonated.TV
John Forester and followers heavily resisted these lanes being put in place, preferring the open road instead. In doing this, Forester essentially played into the hands of car drivers who hated bicyclists then: They preyed on his fear that bicycling was considered a children's activity, not something real men would do. Forester could not garner support among actual and potential cyclists because the very notion of being treated equal to cars scared a lot of people who knew that cars could essentially run them over and kill them. Thus, the cause of improving roads for bicyclists died with the bicycle boom, and did not resurface until the last decade.
ジョン・フォレスターとその支持者たちは区分の無い車道を望み、〔ヨーロッパで導入が進んでいた、広い歩道上の、或いは車道と高低差が付けられた〕自転車レーンの導入には激しく抵抗した。フォレスターのこの運動は実質的に、自転車を目の敵にしていたドライバーたちを利する事になった。自転車に乗る事が子供っぽいと思われないか、真の男がする事ではないと思われないかというフォレスターの恐怖心を、ドライバーたちは食い物にしたのだ。フォレスターは、現に自転車に乗っている人々、乗るかもしれない人々からの支持を集められなかった。自転車も車と同等に扱われるべきという彼の主張そのものが、どう言い繕おうと/*車道を走れば*/車に轢き殺されかねないと知っていた多くの人々を恐怖させたからだ。その結果、自転車の為の道路改良の機運は当時の自転車ブームの終焉と共に萎み、ほんの10年前まで再浮上する事は無かった。
著者の一人の山中教授が自治体の委員会に積極的に参加して自転車インフラの整備形態の選択に影響力を及ぼしている人物である事を考えれば、これは見過ごせない規模の社会的損失に成り得ます。億単位の金が動き、人命にも直結する事業なので。
シミュレートしてほしかった交差点構造
王・山中・三谷(2014)は自転車レーン整備を推進し、他の整備形態を危険なものとして否定しようとしていますが、その3年前に発表された或る研究では、幹線道路と細街路の無信号交差点における交差点構造と安全性の関係について興味深い指摘が為されています。
J.P. Schepers, P.A. Kroeze, W. Sweers, J.C. Wüst. (2011). "Road factors and bicycle–motor vehicle crashes at unsignalized priority intersections". Accident Analysis and Prevention. Vol.43, Iss.3, pp.853-861
これはオランダ国内の幹線道路(制限50km/h)の無信号交差点540箇所について、2005〜2008年の事故記録に基づき、交差点構造の特徴と事故件数の関係を分析したものです(2009年上半期に計測した車、自転車それぞれの通行量も因子に含む)。
幹線道路側を通行する自転車(優先側)と細街路に出入りする車(劣後側)の事故分析の結果得られたモデルで、事故増加または減少に有意な係数が付いた因子は、
- 双方向通行の自転車道(他のインフラ形態より危険)
- 車道から2〜5m離した自転車道(車道混在または車道上の自転車レーンより安全)
- 路面を赤く着色し、かつ白線などで縁取った自転車横断帯(路面着色も縁取りも無い場合より危険)
- 自転車横断帯の嵩上げ、または細街路に出入りする車に対するハンプ(対策なしより安全)
双方向通行が危険である事は以前から言われてきた通りですが、整備形態の選択は単一地点の事故リスクではなく利用者の経路全体のリスク暴露量の合計で評価すべき(*)なので、この結果から直ちに「双方向通行の自転車道の整備を原則禁止すべき」とは結論できません。
* 小川 圭一・森本 一弘(2012年11月)「交差点通過回数を考慮した自転車の通行位置と進行方向による交通事故遭遇確率の比較分析」『土木計画学研究・講演集(CD-ROM)』, Vol. 46, p. ROMBUNNO.206(別URL)
これはSchepers et al. 自身(2011, p.858)も同じく戒めている点です:
In choosing between one-way and two-way cycle tracks practitioners have to take possible effects on the itinerary level into account. The advantage of one-way cycle tracks along an artery may be diminished if a large share of all cyclists has to make a detour by crossing the priority road two times or even chooses to ride against traffic at the left side of the main road.リスク以外にも、移動手段としての相対的な競争力という観点も有りますし。
自転車道を一方通行にするか双方向通行にするかの選択に際し、実務担当者は旅程レベルの影響も考慮しなければならない。幹線道路沿いの一方通行の自転車道の利点は、そこを通行する自転車利用者の大部分が車道を2回横断する迂回をしなければならなかったり、自転車道を逆走するという判断をしてしまう場合には損なわれるだろう。
過去の関連記事
一方通行 vs 双方向通行
双方向通行の自転車道の交差点設計例
横断帯の着色や縁取りによる強調が逆効果というのは意外ですね。これに関してSchepers et al.(2011, p.854)がレビューしている複数の先行研究はそれぞれ結論が異なっています。
残りの2つ——車道と自転車道の間の離隔と、細街路に出入りする車に対する抑速ハンプは、実は日本にも既に存在しているものの、安全性を左右する因子としては認識されず、設計者や研究者からは見過ごされがちです。
幹線道路の車道と自転車道の間に車が縦に1台入るくらいの幅の緩衝帯(待機スペース)を挟むと、
- 幹線道路から脇道に入るドライバーは幹線道路の後続の直進車を気にせず落ち着いて待機できる。
- 車が自転車道に差し掛かるまでの時間的余裕が大きくなり、ドライバー、サイクリスト双方が衝突を回避しやすくなる。
- 車の前端が自転車道に差し掛かる時の車体と自転車道の交差角度が直角に近付くのでドライバーから自転車を視認しやすくなる。
- 脇道から幹線道路に出るドライバーは自転車道を横断し終えるまで車道の状況に注意を向ける必要が無い(認知負荷を分散できる)
抑速ハンプは文字通り、車と自転車の動線が交差する箇所で、殺傷力の大きな車の側の速度を強制的に抑えるので、事故防止や被害軽減に有効と考えられます。日本では自転車歩行者道の切り下げ構造として密かに存在しています。
Schepers et al.(2011)はこの2つの要因の効果を実証した研究と言えそうですが、サンプル数を稼ぐ為に多数の交差点の事故記録を纏めて分析する必要が有り、道路のディテールの違いを捨象せざるを得なかったので、それが道路利用者の行動の細かな差にどう影響するのかを明らかにできないという弱点が有ります。
その点、王・山中・三谷(2014)のドライビング・シミュレーターは道路構造を自由に変えられ、狙った事故状況のサンプルを効率的に採取できるので、Schepers et al.(2011)が示した諸因子についても、具体的な事故のメカニズムや改善の方向性を掴む上で役立った可能性が有ります。(例えば双方向通行の自転車道でもリスク増加を最小限に抑える構造を明らかにするとか。)
なお、Schepers et al.(2011, p.859)は、車道上の自転車レーンより、車道から構造的に分離された自転車道の方が安全だったとの発見が他の研究(*)の結論と矛盾する理由について次のように考察しています(要約):
- Schepers et al.(2011)の調査がオランダで行なわれた事(深く浸透した自転車文化が、交差点でのドライバーの安全確認行動に影響した?)
- 同じオランダの過去の研究(**)でも自転車レーンより自転車道の方が交差点で安全だとの結果が出ている事
- Elvik and Vaa(2009)がメタ分析で扱った研究の大部分が自転車の通行台数で統制せず、自転車道の整備前後を単純に比較をしていた事
** Welleman, A.G., Dijkstra, A., 1988. Veiligheidsaspecten van stedelijke fietspaden (Safety aspects of urban bicycle tracks). SWOV, Leidschendam.
私ならここに、交差点の設計にも巧拙の差が有ったのではと付け加えます。