2015年10月16日金曜日

古倉博士が講演会で言わなかった事

自転車文化センター(目黒)

日本自転車普及協会が2015年10月14日に開催した第4回自転車セミナー、
「自転車の利用促進策のこれからのあり方~利用促進の限界を乗り越えられるか~」講師 古倉宗治氏
を聴いてきました。

「何を言ったか」よりも「何を言わなかったか」に着目して聴くと意義深い講演でした。



講演を聞いて印象が変わった

講演会を聴くまで古倉博士へのイメージは、その著書を読む限りは、
  • 自分の主張の中に矛盾が有る事に気付かない人
  • 自説を押し通す為なら平気で詭弁を使う人
だったんですが、今回の講演を聴いて、その人となりに対する印象がちょっと変わりました。

特にインパクトが有ったのが、ポートランドやニューヨークの緩衝帯付きの自転車レーン(実質的には日本の道交法で言う「自転車道」に相当)に言及し、海外の自転車先進都市では自転車インフラの量を追求するだけでなく質を高める段階に移行しつつあると指摘した点です。

講演会で配布された資料(slide 26)
※ボールペンで書き込みしています。以下、他の引用スライドも同じ。

緩衝帯やボラード、駐車スペースで守られた自転車レーン(protected bike lane)は、これまでの古倉博士の主張、

講演会で配布された資料(slide 31)
車道を走らせれば自転車利用者は緊張感を持ってルールを守るようになるし、ドライバーから視認されやすいので安全
とは真っ向から対立する思想、
利用者が不安や緊張を抱かずに利用できる事が利用促進の鍵で、安全上も車に混じって車道を走るより優れている
に基づいた施策ですから、正直、博士がこれに言及するとは思っていませんでした。



「総論が重要」

今回の講演会の副題は「利用促進の限界を乗り越えられるか」で、私はこれを最初に見た時、「利用促進の限界」を生み出しているのは他ならぬ古倉博士自身の姿勢(=利用者に不安と緊張を強いる施策を当然視している)じゃないかと思ったんですが、この副題が指していたのは、インフラの形態云々よりもずっと下のステージ、つまり、依然として多くの自治体が自転車政策に本腰を入れない/手を付けないという現状の事でした。

講演会の中心テーマも勿論これで、自転車政策が停滞する現状に対して、
  • 自転車インフラの計画・設計の指針を示すだけでは駄目
  • 自転車利用の促進が健康や環境にも役立つ重要な課題との共通認識が必要
  • その認識の下で、自転車の政策上の優先順位を車と同じか上にすべき
といった見解を示していました。これらは大いに頷ける所です。



しかし変わらない各論の問題

各論レベルに降りてきて走行インフラのディテールの議論に入ると、古倉博士はまず、
最近の土木学会では歩道の方が安全との異論も出てきていて、車道/歩道論争は戦国時代。自転車の車道走行の安全性については議論の余地が有る。
と前置きをしたので、私は一瞬「おっ」と思いましたが、この異論については簡単な紹介に留まり、後は車道走行の方が安全であるとの前提に基づいた、従来と変わらない主張を繰り返していました。しかしその主張には幾つもの疑わしい点が有ります。例えば、

講演会で配布された資料(slide 32)

通行台数当たりではなく単純な事故件数に基づいて安全性を主張したり、


講演会で配布された資料(slide 33)

ドライビング・シミュレーターでの限定的な状況での認知エラーの発生傾向を現実の事故実態であるかのように述べたり(*1)、単路での右直事故が起こらない構造の路線のみを対象にしたと思われる事故統計(*2)を不用意に一般化したり、車道での追突事故リスク(*3)に言及しなかったり、

*1 サイクルプラス「あしたのプラットホーム」(2014)「「改訂京都市自転車総合計画見直し」:ツーキニスト疋田智と古倉宗治の論理検証(2)「調査結果の実態」」でその問題が指摘されています。今回の講演会の配布資料でも、ドライバーが左折時に自転車に気付くかどうかという図はこの論文から引用されたものでしたが、古倉氏は講演の中で、その数値がシミュレーション上のものだとは一言も説明しませんでした。まあ、限られた時間の中で説明を急いでいたという事情は有りますが。

 *2 ランキング日記(2015)「有名なあの図を検証する。自転車 歩道・車道通行の危険性」← ほんの些細な違和感を手掛かりに隠された真相を引きずり出していく展開が、まるで日常モノ推理小説の名品を読んでいるかのようで、歩道/車道論争を忘れて感嘆してしまいました。

*3 ITARDA information No.88 (2011) 「走行中自転車への追突事故」が示すように、追突事故は件数こそ少ないですが衝突時の車の速度が高い事が多く、自転車利用者の致死率は高いです。



講演会で配布された資料(slide 34)

アンケート結果の平均値に基づいて歩道と車道の自転車通行台数比率を大雑把に「2:1」とし、歩道と車道それぞれのリスクの正確な比較(*4, *5)をしていなかったり、

*4 各都市のアンケート結果を見比べるだけでも、京都市の「歩道78%:車道22%(3.5:1)」から奈良市の「歩道44%:車道56%(0.79:1)」まで非常に大きな幅が有ります。このスライドで唯一、アンケートではなく現場での実測値を示しているのが警視庁の幹線道路での集計で、これは「歩道74.3%:車道25.7%(2.9:1)」です。これに比べると、古倉氏が講演で強調した「2:1」という比率は、車道上での事故リスクを低く見せ掛けるものと言えます(事故率の分母を大きくする事になるので)。

*5 事故件数をどのような基準で集計したのかが不明なので、自転車対クルマの歩道上と車道上の事故件数を単純に比べて良いのかどうか分かりませんが、例えば
  • 出会い頭衝突だと歩道5106件:車道2701件(1.89 : 1)
  • 車の左折時衝突だと歩道1501件:車道714件(2.10 : 1)
  • 車の右折時衝突だと歩道142件:車道202件(0.70 : 1)
と、意外と微妙な比率です。古倉氏の言う2:1では辛うじて車道の方が安全と言えそうな事故形態も有りますが、もし3:1で計算すると、車道の方が安全との主張は簡単に覆ってしまいます。


講演会で配布された資料(slide 35)

通行空間を単純に歩道/車道の2分類で観念的に捉えており、視距や予測可能性や認知負荷の集中といった因子では分析していなかったり……



でも動機は分かる気がする

「幹線道路で両端に1.5mの余白が有る(=規定幅の自転車レーンを設置できる)路線はこんなにある」という主張も、以前から博士が自著で述べてきたものと何ら変わりなかったです。実際には利用者の安心感や駐停車空間の確保など、書類上では見えにくい要素を考慮する必要が有るので、1.5mだけでは不充分な路線も多いと考えられます。

ただ、自転車政策に不熱心な自治体が「空間が無いから」と、思い込みで適当な言い訳をするのを数多く見てきたであろう博士の経験を思えば、「何とかして腰の重い自治体に発破をかけたい、その為には多少事実を粉飾しても良いんだ」との発想に至るだろう事は想像が付きます。

問題は、やる気の無い自治体ではなく、実際に自転車インフラ整備に取り掛かる段階に来た自治体が、(自転車インフラの幅員や構造を比較的自由に選べる、道路の新設/改修工事の場合でも)古倉博士の主張を鵜呑みにして不充分で危険な(今までのように歩道を走らせるより本当に安全かどうか疑わしい)インフラ形態を選択する恐れが有るという事です。

古倉博士に助言を求めようとする自治体は、博士が公共政策の専門家ではあっても工学面では間違った事を言う(或いは都合の悪い情報を伏せたり、故意に誤解させるような表現を使う)可能性が有る事に留意すべきでしょう。



情報伝達者はフィルターでもある

講演会の最後の質疑で、ポートランドの小中学校での自転車安全教育の詳細なプログラム内容についての質問が出ました。これについて古倉博士はポートランド訪問時に「具体的な内容は聞かなかった」そうなので答えられなかったんですが、その代わり、潜在的自転車利用者に焦点を当てる事がポートランドでは重視されていると説明しました。

これは所謂「興味は有るけど不安で(interested-but-concerned)」層の事で、ポートランドの場合、市民人口に占める割合はこの層が最大(6割)です。ポートランド市の公式ページでも詳しく語られていますね:

City of Portland: Four Types of Transportation Cyclists
... regularly heard Portland citizens express that their interest in riding a bicycle is countered by fear for their safety.
自転車利用に関心は有るが安全上の不安がそれを打ち消しているとの声がポートランド市民から聞かれる。

/* 中略 */

They get nervous thinking about what would happen to them on a bicycle when a driver runs a red light, or guns their cars around them, or passes too closely and too fast.
この層の人々は、自転車に乗っている時にもしドライバーが赤信号を無視したら、もしエンジンを吹かして煽ってきたら、もし横スレスレを高速で追い越されたらと想像して不安になる。
古倉博士は、ポートランドがこれらの層を取り込む為に教育プログラムで自転車の効用や利点を説いたり道路の走り方を教えているのだと説明していました。確かに、数年前のポートランド公式の報告書には、

Portland’s Platinum Bicycle Master Plan—Existing Conditions Report 2007
p. 5-1 (pdf p. 67)
The companion to “build it and they will come” is “tell people about it and they will ride”. Through a comprehensive variety of promotional, educational and encouragement strategies, Portland has seen dramatic increases in bicycle trips as expansion of the bikeway network has occurred.
と、広報や教育も有効だったと書かれていますが、実はポートランドの自転車の交通分担率は2008年以降、6%前後で停滞しています(*6)。

*6 BikePortland.org (2014) "Census shows big leaps for biking in a few cities, but Portland inches backward"

BikePortland.org (2014) 所載の図を引用

6%と言えば、東京23区の中で自転車の交通分担率が最も低い港区や千代田区と同水準(*7)で、東京基準で言えば自転車不毛地帯と言って良い水準ですし、さらに大阪市と比べると足元遥か下です。

*7 このブログの過去記事(2015)「東京23区の自転車通勤通学の割合

BikePortland.org (2014) 所載の図を拡張し、東京各区(2010年国勢調査に拠る)と大阪市(国交省資料に拠る)をプロットした。拡張部分の使用フォントはAvenir Medium。

もちろん行政上の市域や集計基準の違いが有るので単純には比較できませんが、それでもこの程度の水準でポートランドが自転車先進都市と言われてもねえ(苦笑)

一方、現在のアメリカ(やカナダ、イギリス、オーストラリア)で盛んに論じられているのは、如何に利用者の恐怖心を道路インフラの側で緩和するかです(*8, *9)。これに言及しないと、教育で「怖くない、怖くない」と言いくるめるだけでどうにかできるのだ、と会場の聴講者たちが誤解しかねません。

*8 Streetsblog USA (2014) "Protected Bike Lanes Make the “Interested But Concerned” Feel Safer Biking"

*9 National Institute for Transportation and communities (2014) "Lessons from the Green Lanes:  Evaluating Protected Bike Lanes in the U.S." p. 1 (pdf p. 33)
One motivation for the installation of these facilities is the hypothesis that they are more likely to attract new bicyclists—particularly those who have an interest in bicycling more but are concerned for their safety—because of an increased perception of safety and higher level of comfort while riding in the lane.
こうした/* 構造的に分離された */通行空間を導入しようとする動機になっているのが、その空間が新たな自転車利用者——特に、自転車利用に関心は有るが安全面で不安が有る層——を呼び込む公算が大きいという仮説だ。/*車の流れから物理的に守られた*/自転車レーンの中であれば、体感上の安全性と快適性が高まるからだ。

Attracting large shares of these potential cyclists is essential to realizing many of the potential benefits of bicycling that cities are aiming for at an impactful scale, such as better health and reduced pollution. Early evidence from recently constructed protected bike lanes suggests that they do provide greater comfort (Winters and Teschke, 2010; Monsere et al., 2012; Goodno et al., 2013) and improved safety (Lusk et al., 2011; Harris et al., 2013; Lusk et al., 2013; Thomas and DeMartis, 2013).
これら潜在的な自転車利用者の大部分を惹き付ける事は、自転車利用による数々の恩恵を実現する上で極めて重要だ。これは、都市が目指している健康増進や大気汚染の減少といった、大きなスケールでの影響力を指す。最近建設された構造分離型の自転車レーンについての先行研究の結果は、この種の自転車レーンが大きな安心感をもたらし、安全性も改善させる事を示唆している。

市民側からも、ポートランドの質の低いインフラが他の都市から先進例と誤解されないようにと、自転車都市としてのプラチナ評価を取り消すよう求める活動も有りましたね。

過去の関連記事
自転車都市としての格下げを求めるポートランドの署名活動

ああ、こういう情報が古倉博士のフィルターを通すと抜け落ちるのか。



情報の濾過だけでなく変質も

自転車インフラの質の向上の例として、古倉博士は講演でポートランドの各種インフラを紹介していました。下図は再掲です。

講演会で配布された資料(slide 26)

右上の写真について、古倉博士は「自転車が車道の真ん中を走行できる、自転車優先道路である」と解説していましたが、これは全くの誤解です。先に引用したポートランド公式の資料の解説を読んでみましょう。

Portland Report 2007, pdf p.185所載の写真

古倉博士の配布資料に掲載されたのと同一の写真と思われますが、こちらの方が画角が広いので、古倉博士はこれをトリミングして用いたのかもしれません。さて、この中途半端なレーンの意図ですが、

Portland Report 2007, pdf pp.185-186
Bicycle-Only Center Turn Lanes provide a refuge for cyclists on bikeways that traverse an off-set intersection. This treatment allows cyclists to cross one direction of traffic at a time while maintaining all vehicle turning movements.
《自転車専用右左折レーン》は自転車ルートに沿って移動する自転車利用者がオフセット交差点/*隣接する2つの丁字路*/を通過する時の安全地帯になる。この処理により、自転車利用者は車道の上下2車線を一度に横切らなくても済み、且つ、車の右左折も制限しない。

/* 中略 */

The center turn lanes on SE Stark successfully address three issues: the offer a refuge for crossing cyclists and allowed them to cross one direction of traffic at a time; it maintained all automotive turning movements; and it served as an inexpensive alternative to conventional civil treatments.
SE Stark通りの車道中央の右左折レーンは以下の3点の要件に上手く応えている:車道を横断する自転車利用者に安全地帯を提供し、一度に1方向の車線だけを横切れば良いようにする;車のあらゆる右左折の動きを阻害しない;旧来の土木工事よりも安価な代替手段となる。

Portland Report 2007, pdf p.186所載の図

はい、こういう事です。Stark通りに沿って延々と車道のど真ん中を走れるようにしたのではなく、オフセット交差点の箇所だけ、安全な退避空間を提供するという位置付けで、特段自転車を優先しているわけではありません。

古倉博士は現地で担当者の話をちゃんと聞かず、目で見たものを自分で勝手に解釈してしまったんでしょうかね?

ただ、もし古倉氏が用いた元写真がここで引用したポートランド公式資料のものであれば、"BIKE CENTER TURN LANE"の文字列が入らないように切り抜いたという事になります。本来の設計意図を知りながら、それとは全く違うもの(自転車が車道のど真ん中を通行する事を推奨するもの)だと誤解させているわけですから、これはオリンピックのロゴ騒動で見られたトリミングより輪をかけて悪質です。



日本に逃げ延びて繁栄する古い思想

今回の講演で古倉博士は北米でのprotected bike laneの普及に言及しましたが、その背景に「利用者の安心感が重要」との思想上の大転換が有った(*10)事には触れず、単なるこれまでの延長線上の改善であるかのように扱っていました。また、それと呼応するように、車道上で自転車利用者が不安と緊張を感じる事を積極的にメリットとして捉える従来の姿勢も維持しています。

*10 The Conversation (2013) Ride to work? You’ll need a bike barrier for that
A mountain of evidence favouring barrier protected cycle tracks over painted bike lanes has caused an about-face in policy direction in the United States. In July 2013 the US Federal Highway Administration (FHWA) put an invitation out to protected cycle track experts, after 40 years of their advice being ignored by the American Association of State Highway and Transportation Engineers.
ペイントしただけの自転車レーンよりも物理的に保護された自転車道の方が優れているとする証拠が山のように積み上がり、アメリカの政策方針を180度転換させた。2013年7月、米連邦幹線道路局(FHWA)は構造的に保護された自転車道の専門家に意見招請した。実に40年間も彼らの助言を州道路運輸技術者協会が無視し続けた末の出来事である。

古倉博士が範に取ったと思われるアメリカの自転車政策は、1970年代からvehicular cycling(自転車は子供のおもちゃではない、車と同等に扱われるべき移動手段だとの思想)を信奉するノイジー・マイノリティーによる激しい抵抗運動で、交通の激しい幹線道路であっても構造分離された自転車レーン(自転車道)を整備できない状況が約40年間続いていました(*11)。

*11 Carbonated.TV (no date) Has Machismo Harmed Bike Culture In America?
While ostensibly, the purpose of making bicycles equal to cars on the road was to show that bicycles can be an acceptable form of transportation, John Forester's agenda seemed more built on machismo than actual sense.  At the same time of Forester's publication in 1976, countries in Europe were rebuilding their roads with either wider sidewalks or a grade separated lane to accommodate for bicycles.  These changes allowed for bicycle riding to become mainstream in those countries well after the bicycle boom ended.
車道上で自転車を車と同等の地位にしようとする事の目的は、表向きには、自転車が/*子供のおもちゃではなく*/移動手段の一つとして社会的に認められ得るものだと示す事だったが、ジョン・フォレスターの真意は、その言葉とは裏腹に、男らしさ/*を誇示する事*/に在ったように見える。フォレスターが"Effective Cycling"を上梓したのとちょうど同じ1976年、欧州の国々では自転車利用者の為の空間を確保する為に道路を改修して歩道を広げたり、車道から嵩上げして分離したレーンを整備していた。こうした環境整備のお陰で、これらの国々では自転車利用が/*交通社会の*/主流となり、自転車ブームが終わった後もその状態が続いた。

John Forester and followers heavily resisted these lanes being put in place, preferring the open road instead.  In doing this, Forester essentially played into the hands of car drivers who hated bicyclists then: They preyed on his fear that bicycling was considered a children's activity, not something real men would do.  Forester could not garner support among actual and potential cyclists because the very notion of being treated equal to cars scared a lot of people who knew that cars could essentially run them over and kill them.  Thus, the cause of improving roads for bicyclists died with the bicycle boom, and did not resurface until the last decade.
ジョン・フォレスターとその信奉者たちは欧州のような自転車レーンの導入に激しく抵抗し、自転車専用空間を区分しない車道を選好した。フォレスターの活動は実質的に、自転車利用者を嫌悪していた当時のドライバーに利する形になってしまった。ドライバーたちは、自転車が子供の遊びだと見做されてしまい、真の男がするような事ではないと思われる事へのフォレスターの恐怖心を食い物にしたのである。フォレスターは現実の、そして潜在的な自転車利用者たちからの支持を集める事ができなかった。なぜなら、車と同等に扱われるべきという理念そのものが、/*車道を走れば*/車に轢かれて殺されかねないと知っていた多くの人々を脅えさせたからだ。その結果、自転車の為に道路を改善しようとする運動は自転車ブームの終焉と共に止み、再び浮上するまで数十年が経過する事になる。

古倉氏が博士論文を執筆した2004年はその期間の末期に当たり、氏が「自転車は車道を走るべし」との信念を固めたであろう時点から僅か3年後にはニューヨークで初めてのprotected bike laneが導入されます(*12)。さらに2015年8月にはオランダの知見を参考に、交差点でも構造分離を維持するprotected intersectionが実現しました(*13, *14)。

*12 New York City (2015) Protected bike lanes NYC
*13 people for bikes (2015) America’s first protected intersection is open in Davis - and working like a charm
*14 Streetsblog USA (2015) America Could Have Been Building Protected Bike Lanes for the Last 40 Years

こうした急速な潮目の変化に対して古倉博士は従来の自説との折り合いをうまく付けられておらず、結果として(総論ではなく各論の部分で、ですが)日本の自転車政策を歪める役回りを演じる形になっているように見えます。

構図的には、アメリカの自転車政策を長年蝕んできた思想を、それが本国で劣勢になる直前のタイミングで日本に持ち帰り、培養、伝染させているという感じですね。



2015年10月17日 追記分を別記事として上げました。
古倉博士の講演会の感想(補遺)