講演会で配布された資料(slide 31)
自転車利用者に車道を走らせれば弱者になるので、交通ルールを意識せざるを得なくなり、ルールを守るようになる、との主張で用いられたスライドです。これは一見もっともらしい話ではありますが、よく考えるとおかしな点が幾つも出てきます。
10月の講演会に関する過去の記事。今回の記事はこれらの続きです。
- 古倉博士が講演会で言わなかった事 (2015年10月16日)
- 古倉博士の講演会の感想(補遺) (2015年10月17日)
論点先取の誤謬
まずは、車道通行割合とルール遵守の相関が最も明確に現われている中段のグラフを見てみましょう。
ここで「車道通行割合」というのは、アンケートで次のように尋ねた結果の事です。
第2回「奈良中心市街地自転車ネットワーク計画検討委員会」(平成26年3月4日)
参考資料-4 アンケート調査結果 (pdf p.8)
スライドの図は小さく潰れて読みにくいので、オリジナルのアンケート調査結果の図を引用します(出典は同上)。
奈良中心市街地自転車ネットワーク計画検討委員会(2014, 参考資料-4, pdf p. 43)
この図を見ると、歩道と車道が分かれた道路で車道を通行する割合が高い回答者ほど、通行ルールを知っており、且つ守っているという実態が窺えます。
では、その通行ルールとは何でしょうか?
図 2.60が表わしているのは、
自転車の通行は、車道が原則で歩道通行は例外というルールについての認知・遵守の状況です。
奈良中心市街地自転車ネットワーク計画検討委員会(2014, 参考資料-4, pdf p. 8)を加工
自転車で車道を走っている人ほど「車道が原則」というルールを守っている——ん? 考えてみればこれは当たり前ではないでしょうか? 同じような事(*)を、表現を変えて2回言っているだけですから。
* 完全に同一かどうかはちょっと悩む所ですね。ちなみに「歩道10割:車道0割」と答えた回答者の中にも、このルールを知っており、遵守していると答えた人が4人います。「歩道は例外」を遵守って……。
つまり古倉博士の主張は、
自転車に車道を走らせれば、自転車は車道を走るようになると言っているのと同じで、論証になっていません。
このように、証明すべき結論が予め前提の中に含まれている論証を論点先取と言います。詭弁の一種です。
調査票の欠陥
次に、上段と下段の図を見てみましょう。
奈良中心市街地自転車ネットワーク計画検討委員会(2014, 参考資料-4, pdf p. 42)
奈良中心市街地自転車ネットワーク計画検討委員会(2014, 参考資料-4, pdf p. 44)
上の図 2.59が「歩道は歩行者優先で自転車は車道寄りを徐行」についての結果で、下の図 2.61が「自転車は車道左端を通行」についての結果です。先ほど見た中段のグラフに比べると、どちらも相関がぐっと弱くなっているように見えます(*)。
* この種類のデータの相関係数は求め方が分からないので統計検定はパス。誰か詳しい人いませんか?
2枚のグラフをよく見ると、一番下の「歩道:10割」が意外と良い結果になっています。ルールの認知・遵守状況と通行場所はそれほど単純な関係ではなさそうです。
一方、図 2.59の一番上に目を転じると不自然な事実に気付きます。「車道:10割」と答えた人は一体いつ、歩道限定のルールを守っているんでしょうか。そのルールが求められる場所に全く行かないのであれば、「守っている」とは言えないはずです(*)。
* 逆に、「歩道:10割」と答えた人は歩道の無い道路を走る場合も有るでしょうから、「車道左端を通行」ルールを守っているかどうかを答えられる人もいるでしょう。
もし多くの回答者が
本当はどちらとも答えられないのだけれど、「自分はルールを守らない人間です」と自己申告するのも嫌だし、「守っている」にしておこうのように考えたのだとすれば、この調査結果は歪んでいる事になります。
このように不合理な状況が生まれるのはアンケートのデザインに欠陥が有るからです。ルールの「認知」と「遵守」は別々の設問に分け、「遵守」については、該当する回答者にのみ問うべきです。
相関関係と因果関係の混同
もっと根本的な問題に行きましょう。スライド31に引用されている3枚のグラフはいずれも相関関係を示しているに過ぎず、古倉博士が証明しようとしている因果関係の根拠にはなりません。
博士は、
車道を走る機会が多い人ほど → ルールを意識し、守るようになると言いたいようですが、
ルールを知っている人ほど → 車道を走っているという逆方向の因果関係なのかもしれませんし、
(車道走行とルール認知は互いに関係無く、どちらも交通安全教育を受けた結果である。つまり、)という疑似相関なのかもしれません。
安全教育を受けた人ほど → 車道を走っている&ルールを守っている
実は、古倉博士はこれと同じ詭弁を9年前の著書でも使っています。
古倉宗治(2006)
『自転車利用促進のためのソフト施策 欧米先進諸国に学ぶ環境・健康の街づくり』
ぎょうせい
p. 270
2 車道通行に伴うルール遵守の向上の可能性
/* 中略 */
第2に、現状において歩道通行と車道通行のそれぞれで自転車のルールの遵守に差があるかについて、法令で義務づけられている灯火(道路交通法第52条第1項により日没以後の車両等の義務となっている)について交差点の観察により検証した /* 以下略 */
博士自身が甲州街道の下高井戸で観察した結果、車道を走る自転車の方が灯火率が高かった(*)そうですが、これも上述のとおり、逆方向の因果関係や疑似相関である可能性を排除できていないので論拠になりません。
* ちなみにその灯火率をフィッシャーの正確確率検定で検定すると、歩道通行群(灯火19台、無灯火36台)と車道通行群(灯火5台、無灯火5台)の間に有意差は検出されませんでした。値は古倉 2006, p.271の表6-15から。
ではもし、現在既に車道を走っている群が、元から交通ルールをよく知っており、ルールの遵守意識も高い、謂わば「エリート層」だったとしたら、そこからどのような予想ができるでしょうか。
(これはもう数年前から起こりつつある事のような気がしますが、)全ての自転車利用者に一律に車道通行をさせれば、今まで歩道の中に留まっていたルールを守らない利用者が車道に大量に出てくる事になります。そうなれば、ルールの遵守率は寧ろ下がるでしょう。
であれば、本当に必要なのは車道走行を推奨したり強制したりする事ではなく、交通安全教育の充実や取り締まりの強化、利用者が無意識にルールを守れるような構造の道路整備など、もっと他の施策かもしれません。
因果関係を正確に見定めないまま思い込みで施策を実行すると、期待とは正反対の結果がもたらされる可能性が有るという事ですね。
合成の誤謬とチェリーピッキング
ここでもう一度冒頭のスライドを見てみましょう。
講演会で配布された資料(slide 31)
ここにはたった3つのルールが示されているに過ぎません。このスライドの元になった2014年の著書で博士は、
古倉宗治(2014)『実践する自転車まちづくり 〜役立つ具体策〜』学芸出版社
p. 29
これらのルールは、/* 中略 */ いずれも基本的なルールであり、これらを遵守・認知しているかは、ルール全体に対する遵守や理解の有無につながる。と、これら3つのルールの認知・遵守状況さえ調べれば、他のルール全部の認知・遵守状況も分かるかのように言っていますが、これは途方も無い飛躍です。
今ちょっと数えてみたところ、道路交通法の中で自転車に関係するルールは全部で100個くらい(*)有りました。交通ルールは道路交通法以外にも分散して存在していますから、実際はもっと多いです。
* 条単位ではなく項単位で数えた結果。但し、条文の上で「車両」を適用対象にしていても、現実的にはあまり自転車に関係なさそうなものも有ったので、私には正確に何個とは言えません。
このように、「或る部分がXだから全体もXだ」と決めつける誤りの事を合成の誤謬と言います(経済学用語としての方が有名ですね)。
古倉博士が論証を試みたのはマゼンタの部分だけ。その外の灰色の領域については何の証明もしていない。
(……うーん、もうちょっとスタイリッシュな図に仕上がるはずだったんだけど。ダサい。)
では、古倉博士が言及しなかったルールにはどんなものが有るでしょうか。車道を走っている自転車が現実に守っているかどうか、思い浮かべながら読んでみてください:
- 信号を守らなければならない(7条)
- 急に進路変更してはならない(26条の2)
- 前の車両をその左側から追い越してはならない(28条)
- バスの発車妨害をしてはならない(31条の2)
- 車の列に割り込んではならない(32条)
- 警音器が鳴り始めたら踏切に入ってはならない(33条)
- 交差点は二段階右折しなければならない(34条)
- 優先道路に飛び出してはならない(36条3項)
- 横断歩道の手前では徐行しなければならない(38条)
- 横断歩道では横断歩行者を優先しなければならない(38条)
- 手信号で自分の動きを予告しなければならない(53条)
- 並走してはならない(63条の5)
- 過労運転をしてはならない(66条)
特に、「信号を守る」とか「横断歩行者を優先する」といったルールは歩行者の安全と直結する重要なルールですが、現実には車道を走っている自転車の大半が違反しています。
度々報じられる自転車と歩行者の重大事故(歩行者が重傷・死亡)もこのパターンの違反に起因するものがチラホラ有りますね(直近では2015年6月10日の千葉市稲毛区の事故)。
つまり、古倉博士は自説にとって不都合な事実への言及を避け、都合の良いものだけを選び取っているんですね。これはチェリー・ピッキングという詭弁です(*)。
* ここで古倉博士が天才的なのは、チェリー・ピッキングに合成の誤謬を組み合わせている点です。単純にチェリー・ピッキングだけを使ったのでは読者・聴衆が疑念を持つ可能性が高いですが、それを合成の誤謬で覆い隠す事で、詭弁だとバレにくくしています。非常に計算高いですね。さすが東大。
さらに、古倉博士は「ルールを守らないと自分が危険」と説明していましたが、信号遵守や横断歩道での歩行者優先は、別に守らなくても自分の身が危険に曝されるわけではありません(*)。寧ろ、車が停まっている間に先に進んでおいた方が安全だし快適だと判断する人もいるでしょう。博士の想定とは真逆のメカニズムです。
* 信号交差点でも、停止線と横断歩道を超えて交差点の角まで進むだけなら、当人にとっては危険ではありません。十字路の左折や丁字路の横画の直進、単路の横断歩道の通過も同様です。これは現実の違反行動パターンからも窺えます。詳細は以下の関連記事で。
過去の関連記事
『自転車の安全鉄則』のウソ (3)
また、バスの発車妨害や、交差点(十字路やY字分岐など)の一段階右折などは、車両(自動車)としての自覚が強い人ほど行なっているのではないでしょうか?
2015年11月4日 加筆訂正{
古倉博士が著書や講演で主張している事の9割方は至って真っ当で、客観的、現実的な内容だと感じますが、残りの1割、車両としての自覚を高めれば様々な問題が一挙に解決するという点についてだけは、あまりに単純で、現実に即していないと思います。私はここに、EM菌や新興宗教にも似た胡散臭さを感じます。
}
(続く)