2018年8月4日土曜日

『自転車の安全鉄則』のウソ (4) 双方向通行の自転車道

TBSプロデューサーの疋田智氏は自転車に詳しい有識者として各方面に強い影響力を及ぼしていますが、その主張には根拠の疑わしいものが多数紛れ込んでいます。それが如実に現れているのが2008年の同氏の著書です。

疋田 智(2008)『自転車の安全鉄則』朝日新聞出版

今回はその中から、対面通行(双方向通行)の自転車道に関する疑わしい記述を取り上げます。


『自転車の安全鉄則』は何を訴えている本か

疋田(2008:100–101)
自転車が左側通行を守りさえすれば、日本の自転車事故は激減することになる
// 中略
左側通行厳守こそが現在の日本の自転車政策に、一番求められていることなのです。私は左側通行の徹底により、少なく見積もっても、年に400人程度の生命が救えると考えています。

これが疋田(2008)の中心主題であり、この考え方を土台に様々な問題指摘や提言が展開されています。


先行する問題指摘

しかしこの核心部分に対しては既に疑問が呈されています。

自転車の左側通行で、死者は半減するのか?検証疋田智説 (2017) ランキング日記. Available at: http://otenbanyago.at.webry.info/201712/article_2.html (Accessed: 24 July 2018).

要約すると、
  • 「左側通行さえ守れば、年間約400人の命を救える!」という疋田氏の主張は根拠のない憶測。
  • 自転車事故の原因で実際に多いのは右側通行ではなく安全不確認や信号無視。
  • 疋田氏は左側通行の遵守を強調する一方で、本来それより重要な安全確認には一言も触れていない。
という内容で、疋田(2008)の根幹を揺るがす指摘です。


本記事が扱う対象

以上のように疋田(2008)の核心部分の問題は既に明らかにされているので、本記事では疋田(2008)が左側通行論に基づいて展開している枝葉の一つ、双方向通行の否定論に関して、以下の主張を検証します。
  1. 自転車の対面通行は百害あって一利なし
  2. 対面通行の自転車レーンがあるのは自転車後進国だけ
  3. 自転車最先進国では逆走する自転車は一台もいない


1「自転車の対面通行は百害あって一利なし」

疋田(2008:103)
私はそれらのレーンを見ると暗澹とした気持ちになってしまいます。
こうしたレーンのまずいところは、まずは自転車同士の正面衝突を誘発することでしょう。
// 中略
そしてもう一つ、絶対的にまずいのが、そうして対面通行とすると、対面のどちらかが必ず、道路全体から見て右側通行となることです。これが前述したように、交差点での出合い頭事故を誘発してしまいます。
// 中略
いずれにしても自転車の対面通行は百害あって一利なしです。
亀戸にモデル事業として整備された双方向通行の自転車道について3点の危険性を指摘し、整備事業を非難している文脈で、双方向通行の利点は何もないと断言している箇所です。しかしここには2点の問題があります。


疋田氏の主張の問題点1: 限定的事例の一般化

疋田(2008:102)は亀戸駅前に整備された幅員2.0mの自転車道に基づいて正面衝突の危険があると指摘しています。


国道14号・亀戸の自転車道(2012年3月撮影)

私が現地を見に行った際は、自転車利用者は狭さに応じた控えめの速度で衝突を防いでいましたが、20km/h、30km/hで走ろうとすると確かに危ないでしょう。


柵や縁石が迫っており、心理的な有効幅員はさらに狭い(撮影地と日時は同上)

ですが、それは幅員が狭い場合です。


国道16号・相模原の自転車道(2016年11月撮影)

例えば相模原市の国道16号の自転車道は幅員が3.0mあり、しかも柵がないので広々と感じます。心理的な有効幅員は亀戸の倍以上と言ってもいいでしょう。この環境では正面衝突の心配はまずありません。

ところが、疋田(2008:103)は亀戸の自転車道で感じた印象をいきなり一般化し、幅員とは無関係に双方向通行の自転車道を全否定しています。


疋田氏の主張の問題点2: 専門家が指摘する利点の看過

疋田氏が双方向通行を安易に全否定するのは、その利点について知識を得ようとしていないからです。

疋田(2008)の刊行以前に既に入手可能だった資料として、オランダの自転車インフラ設計指針、CROW (2007) Design manual for bicycle traffic があります。同書は、車道に併設する自転車道は原則的には一方通行にすべきだとしています(p.120)。

ただし、双方向通行を認めるのが適切な場合もあるとして、3つの場合を挙げています(CROW, 2007:120. 和訳は引用者):
  • a two-way traffic cycle track shortens the route for cyclists and/or forms a logical short cut in the route;
    (双方向通行の自転車道が自転車の移動経路を短縮する/経路中の合理的な近道になる場合)
  • a two-way traffic cycle track prevents crossing movements;
    (双方向通行の自転車道が横断動作を抑制する場合)
  • there is not enough room for a cycle track on both sides of the road.
    (道路の両側に自転車道を整備する余地がない場合)

これらは後の改訂版、CROW (2016) Design Manual for Bicycle Trafficでも維持され、説明がより具体的になっています(CROW, 2016:115–116. 和訳は引用者):
  • a bidirectional cycle path shortens the route for cyclists and/or forms a logical rapid connection in a route (this always pertaining to [extremely] short sections);
    (双方向通行の自転車道が自転車の移動経路を短縮する/経路中の合理的な近道になる場合[これは極めて短い区間にのみ該当する])
  • a bidirectional cycle path prevents crossing manoeuvres;
    The effect of this is at its most significant on busy arterial roads that are tricky to cross. Incidentally, only in exceptional cases will a unilateral bidirectional cycle path lead to restriction of the number of crossing manoeuvres. Where the latter is desirable, using a bilateral bidirectional cycle path is usually best.
    (双方向通行の自転車道が横断動作を抑制する場合; その効果は、車道の横断に注意を要する重交通路線で特に顕著になる。付言すれば、道路の片側にのみ双方向通行の自転車道を整備して横断回数が減らせるのは例外的な場合で、横断回数を減らしたい場合は道路の両側とも双方向通行の自転車道を整備するのが通常は最良である。)
  • there is insufficient space to create a one-way cycle path on both sides of the road, but on one side there is sufficient width for a bidirectional cycle path.
    (一方通行の自転車道を道路の両側に整備するには空間が足りないが、片側に双方向通行の自転車道を整備する余地がある場合)

このほか、疋田(2008)の刊行後ではありますが、上記資料と似た問題意識から、信号交差点における車道横断回数が減らせることを双方向通行の利点と捉え、そのリスク低減効果を試算した研究が日本に存在します:

小川圭一 and 森本一弘 (2012) ‘交差点通過回数を考慮した自転車の通行位置と進行方向による交通事故遭遇確率の比較分析’, 土木計画学研究・講演集(CD-ROM), 46, p. 206.

小川圭一 (2016) ‘車道横断回数を考慮した自転車の通行位置と通行方向による交通事故遭遇確率の比較分析’, 土木学会論文集D3(土木計画学), 72(4), pp. 288–303. doi: 10.2208/jscejipm.72.288.

これら2本の研究のポイントは、交差点1箇所当たりの事故リスクではなく、ある人がA地点からB地点に移動する間に遭遇するリスクの総量(通過する交差点の数)を評価基準に用いていることです。試算の正確性には正直疑問がありますが、交通事故のリスクは「点」ではなく「線」で評価すべきという観点を提示したことには大きな意義があります。


2「対面通行の自転車レーンがあるのは自転車後進国だけ」

疋田(2008:103)
確かにヨーロッパ諸国でも、対面通行の自転車レーンを設けているところがあります。しかし、よくよく見てみると、それらの自転車レーンは、フランスやイギリスなど、つまり自転車化が遅れているところに限られています。自転車最先進国、ドイツ、オランダ、デンマークなどでは、必ず片面通行です。
双方向通行の自転車レーン(*)は自転車後進国の特徴であるかのように述べていますが、これは事実なのでしょうか?

* 双方向通行の場合、基本的に車道から構造的に分離されているので、法的には「自転車道」が正式な呼び名です(道路構造令2条2号道路交通法2条3-3号など)。「レーン」とは呼びません。ただし、歩道上に線を引いて視覚的に区切り、自転車通行空間としたものは、日常的な表現としては「自転車レーン」とも言えます。


疋田氏の主張の問題点: 事実誤認

オランダを例に取ると、双方向通行の自転車道はアムステルダム、ロッテルダム、ユトレヒト、セルトーフンボス、アームスフォートなど各都市で普通に見られます。


アムステルダム



ロッテルダム



ロッテルダム



ユトレヒト



セルトーフンボス



セルトーフンボス



アームスフォート

もちろん、双方向通行の自転車道が最も一般的な自転車インフラ形態という訳ではありませんが、郊外だけでなく中心市街地の駅前にも見られます。「全国で数路線だけ」というようなレアなインフラではありません。


ドイツにも双方向通行の自転車道が存在します。

Photo: W.-D. Haberland (source: Wikimedia commons)

特にニーダーザクセン州のブラウンシュヴァイクでは街全体に双方向通行の自転車道が多く、歩道を走る自転車も普通に見かける、と(やや否定的な論調で)報告されています。

Norbert, P. (2014) ‘Liebt Braunschweig Geisterradfahrer? – ADFC Blog’, 6 April. Available at: https://adfc-blog.de/2014/04/geisterradfahrer/ (Accessed: 31 July 2018).
Zuerst fielen mir positiv die vielen Radfahrer auf, dann merkte ich, dass die Radfahrenden extrem häufig auf dem Bürgersteig fuhren und zwar in beide Richtungen. Warum das in Braunschweig dem ersten Eindruck nach so extrem ist, erklärte sich mir bald, denn mir fiel auf, dass die ganze Stadt voll ist mit Zweirichtungsradwegen, so dass die Radfahrer erlernen, dass es a) normal ist auf dem Bürgersteig zu fahren und b) Radwege in beide Richtungen befahren werden können.

なお、このADFCという組織は、(疋田氏もメンバーである)自転車活用推進研究会と極めて主義主張が近く、ドイツ国内に多い質の低い自転車道への反感から自転車道一般を否定し、その代わりとして車道上の自転車レーンや車道混在通行を要求しています。この利益関心は一般的な自転車利用者から乖離することがあり、過去にハンブルクで問題になっています。

過去の関連記事
自転車道撤去と車道混在通行化——ハンブルク市民の憤慨


3「自転車最先進国では逆走する自転車は一台もいない」

疋田(2008:103)
自転車最先進国、ドイツ、オランダ、デンマークなどでは、必ず片面通行です。そこを逆走する自転車など1台もありません。
上の続きで、自転車先進国では一方通行の自転車レーンを逆走する自転車はいないという主張です。

先に細かな点を指摘しておくと、疋田氏が使う「片面通行」という表現は、道路工事などで二車線道路の片側だけを通行可能にしている状態を指すので、この文脈では「一方通行」が正しい表現です。「片面通行」は「対面通行」の対義語ではありません。

さて、自転車先進国では本当に逆走自転車が皆無なのでしょうか?


疋田氏の主張の問題点: 事実誤認

オランダ語では、逆走する自転車利用者をspookfietser(スポーク・フィーツァー、英語に直訳すると ghost cyclist)と呼びます。ロッテルダムではこのspookfietserが問題になっており、エラスムス橋(Erasmusbrug)上の一方通行の自転車道で、自転車に逆走しないよう注意喚起するキャンペーンが行なわれています。



Rotterdam spoort aan: roep ‘boe’ tegen spookfietsers (no date). Available at: https://nos.nl/artikel/2237455-rotterdam-spoort-aan-roep-boe-tegen-spookfietsers.html (Accessed: 20 June 2018).


また、逆走自転車の多さに業を煮やしたあるオランダのInstagramユーザーは、#spookfietser というタグを付けて逆走自転車の写真を随時アップロードしています(肖像権的にどうかと思いますが)。



これとは対照的なのがアームスフォートの事例です。駅前から延びるバルフマン・ヴァユティアスラーン(Barchman Wuytierslaan)という路線では、従来は車道の両側に一方通行の自転車レーンがありましたが、自転車の移動パターンの変化で逆走が多発するようになったため、利用者に合わせる形で片側集約の双方向通行の自転車道に改修したという経緯があります。

過去の関連記事
オランダの逆走自転車対策


疋田(2008:103–104)は、(横断の難しい幹線道路も含め)自転車を左側通行にしないのは「甘え」だと一方的に断じていますが、アームスフォートの事例やCROW (2007; 2016)の設計指針を見れば分かるように、問題は自転車の移動実態や安全性などを考慮した上で双方向通行が「合理的」かどうかです。そこに「甘え」などという恣意的な精神論が入り込む余地はありません。


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