笹子トンネル天井板崩落事故で、被害者の遺族が高速道路会社(と国)を告訴する方針だと報じられています。正しい行動だと思います。
ただ、今回の様な、
ドライバーには何の非も無く、事故を予見する事も、避ける事もできなかった場合以外のありふれた交通事故でも、この件と同じように道路管理者や設計者など、事故現場に居なかった人間の責任を問う事が有るでしょうか。
交通事故というと、ついついその原因を運転していた人間の不注意や操作ミスに求めがちですが、事故が
- 人と
- 車と
- 環境 (道路や気象条件)
(或いは、事故が起こる構造を温存している社会制度を四つ目の要素として追加した方が的確な理解なのかもしれません。)
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例えば、現在ほとんどの車には追突防止装置が付いていませんし、ドライバーが赤信号を見落としたり突破しようとした時に強制的にブレーキを掛ける仕組みも有りません。
国内の鉄道で初めて自動停止装置が導入されたのが1927年の地下鉄銀座線でしたから、車の保安技術は実に86年も遅れています。(もちろん、一定の軌道上を走る鉄道より技術的に難しい面は有るでしょうが。)
2011年の1年間では対人の追突事故が約6500件、対車両の追突事故が約23万件発生しています。また、同じく年の信号無視による事故は1万9000件でした。
『平成23年中の交通事故の発生状況』 警察庁交通局 2012
ですが、自動車メーカーは責任を取っていません。
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環境で言えば、例えば路上駐車が本当に危険な事故要因になる箇所とそれほどでもない箇所に、見た目に大きな違いが無く、ドライバーは自分の車が生み出すハザードを然して意識もせずに自分の都合で好きな場所に停める事ができてしまいます。
本当に危険な箇所は駐停車が自然と躊躇われるような構造(*1)にしておく事もできる筈ですが、そうはなっていません。
*1 例えば片側一車線の双方向道路で、単路の横断歩道の前後では
車道幅を徐々に絞り、横断歩道部分を一車線分だけの幅にして、車は交互通行させる構造はどうでしょうか。
2015年4月24日追記{
さすがにこれは、交通量によっては非現実的だし、車同士の正面衝突を誘発しそうですね。横断歩道手前で上下線を分離して間に交通島を設置する方が無難そうです。例えばこのように。
Google Street View (2014年5月撮影@52.152627,5.369362)}
この構造で横断歩道の付近に路駐すると車の流れを完全に塞き止める事になります。そんな場所に路駐できるほど神経の太いドライバーはそうそういないでしょう。
また、自転車が車道を通行している時、道交法や信号に従って普通に進んでいるだけで危険な状況に陥ってしまう場所が有ります。(有名な所では札の辻交差点)
ですが国や自治体の道路担当者は責任を取っていません。
2015年4月24日追記
{札の辻交差点は2013年3月頃に信号の点灯パターンが変更されました。}
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また、交差点の信号制御では、同方向の車道と歩道の信号が同時に青になり、人が渡っている横断歩道を車が横切る構造が放置されていますし、
(大抵の歩行者は信号が青であれば安全確認などせずに横断します。つまり、衝突防止は偏(ひとえ)にドライバーの判断に掛かっています。これは、事故防止の仕組みとして脆弱ではないでしょうか。)
右折信号が分離されていない交差点では右折車と直進車の動線も交差しています。
(ヒトの認知・判断力の特性から、対向車の速度の判断には極めて大きい誤差が生じる事が既に分かっています。右直事故は起こるべくして起こっていると考えられます。)
ですが警察は責任を取っていません。
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道路の外にまで目を向ければ、例えば小さな事務所や商店は自前の駐車場を持っておらず、建物の前の公道に路上駐車を発生させています。
2015年4月24日追記{
これはどちらかと言えば、事故の原因というよりは、都市空間の浪費と、利用者がその費用負担を回避している事、そして加害リスクの高い乗り物である車の利用抑制が弱い事など
が主な問題ですね。
}
ですが(以下略)
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免許制度にも言及するなら、過去二度の大戦では軍隊内部で自動車運転手の候補を「自動車運転者適性検査(*2)」に拠って選抜していましたし、
*2 『交通の百科事典』 大久保堯夫 2011 丸善出版 p.53
1960年代には、危険運転者の弁別を目的とした「速度見越反応検査(*3)」が民間人の運転免許試験にも導入されようとしていましたが、結局頓挫して現在に至っています。
*3 『事故と心理 なぜ事故に好かれてしまうのか』
吉田信彌 2006 中公新書 p.67
地方では、働き盛りの年代で免許取得率が100%近く、免許制度の入口である運転免許試験が非常に緩い事が
また出口である免許取り消しもかなり重大な違反で捕まらない限り無いので、悪質ドライバーや認知症ドライバーを退場させるにも一苦労です。
また、統計上、若年ドライバーは事故を起こしやすい事が分かっていますが、免許取得が可能になる年齢が引き上げられる動きは有りません。
2015年4月24日追記
{それどころか、近年は逆に、トラックドライバーの不足を理由に、トラック免許の年齢要件を緩和する動きも見られますね。}
ですが(以下略)
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法制度も例外ではありません。悪質な運転行動を一回でもすれば直ちに免許停止にしても良さそうなものを、点数加算と軽い罰金程度で済ませてしまい、そのまま危険なドライバーを野に放っています。
免許制度の入口の不備を補う折角の機会を棒に振っているわけです。
(人に起因する事故を止めるには点数や罰金では力不足です。江戸時代の事例(*4)がその傍証になります。
*4 『ものと人間の文化史160 牛車』荷物を運ぶ牛車や大八車に対しては
櫻井良昭 2012 法政大学出版局 p.182-184
- 1686年に宰領(荷物運搬の監督者)付き添いが規則化され、
- 1707年には違反車両の通報義務などが追加されました。
- 1716年には違反者に対して流罪や死刑が科される事になり、
- 1743年には規則違反の横行を受けてルール遵守の町触が出され、
- 1791年にも、年々酷くなる危険運転に対して再び同様の通達が出ました。
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税制度もそうでしょうね。交通事故を確実に減らす手段の一つは、
2015年4月24日訂正{ 「母数」は「全体の数」という意味の言葉ではありません。}
その最も有効な手段は課税強化です。
歴史を振り返って牛車の例で考えてみましょう。平安時代の貴族には牛車が乗用車として持て囃されていましたが、度々牛が暴走して事故を起こしていました。「突然暴走する牛車は、庶民にとっては危険この上ない存在(*5)」だったようです。
*5 『ものと人間の文化史160 牛車』
櫻井良昭 2012 法政大学出版局 p.69-71
しかしそれでも貴族は潜在的な事故の危険には目を瞑って牛車に乗り続けます。
この後、鎌倉から室町時代にかけて乗用車としての牛車は衰退しますが、その原因は武士の台頭で貴族が「財政的に次第に逼迫してきたこと(*6)」でした。牛車の維持費を捻出できなくなったのです。
*6 『ものと人間の文化史160 牛車』
櫻井良昭 2012 法政大学出版局 p.164
あれほどの持て囃されていた牛車も金銭負担であっさりと手放されてしまうわけです。(牛車自体は荷物運搬用として生き残りましたが。)
現在であれば、車の取得、保有、利用に対して税負担を重くしていけば、簡単に台数を減らせ、結果、事故が減るでしょう。
2015年4月24日追記{その他の要因が一定で、リスクが変化しないと仮定した場合。}
しかし、日本が進んでいるのはこれとは正反対の方向で、減税や補助金で車の利用を支える政策が目立ちます。
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民間の開発にも目を向けましょうか。モータライゼーションの波と共に、全国各地に
自家用車の保有を前提とした新興住宅地が造成されていきました。また、巨大駐車場を備えた郊外のショッピング・モールも次々開業しました。その影響で公共交通が廃れたりし、駅前商店街が寂れたり、市民の自動車依存を強めたりしています。
(鉄道のグループ会社ですら、車が無いと生活できない山奥の傾斜地に不動産開発をする例が見られます。例えば飯能では、天覧山から多峯主山、更に天覚山へと縦走しようとすると、突如山中に宅地が広がり、登山道が途切れてしまいます。)
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そして最後に一般市民です。モータライゼーション以後、社会が自動車にどっぷり浸かり続けた状況の中で、市民の意識の中で運転免許の性格は「特別な許可」から「普通の権利」に変質しているのではないでしょうか。
もはや車メーカーや政治家や外圧が無くても、「権利」剥奪に反発する一般市民が様々な分野で自ら抵抗勢力になっているのではないでしょうか。
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今の日本社会は本気で交通事故を無くそうと考えているようには見えません。警察ですら、事故を「減らす」というレベルの目標しか立てていません。
公立図書館で車関係の書架を見ると、「示談交渉」や「過失割合」の本が大半で、安全運転の理論を解説した本は僅かです。
航空や鉄道ではあれだけ必死になって無事故を目指しているのに、同じ国の中でこうも温度差が有るのが不思議です。