議員が国会に提出する法律を
書いたり直したりする専門家集団です。
その公式サイトに掲載されているコラムを読みました。
以下は感想文です。
荒井達夫 1998 「立法技術と法解釈」
(以下、引用部分では適宜改行、マーカーを加えている。)
法律には特別の意味で用いられる慣用語や慣用句がいろいろあります。
例えば、「及び」「並びに」「且つ」「又は」「若しくは」「することができない」
「してはならない」「みなす」「推定する」等々。
これらは立法の内容を正確に表現するための技術で、
法律を立案するにあたり知っていなければならない
最低限のルールといえます。
んなこたぁ無い。
普段使いの日本語にわざわざ特別な規則を追加しなくても、
分かりやすい日常の言葉だけで厳密な表現はできます。
寧ろ、法律の「慣用語・慣用句」の使用はできるだけ避けるべきです。
なぜなら、そうした用語には明文化された正式な定義が存在せず、
その意味の解釈がまさしく「慣用」に拠っているからです。
これがプログラミング言語なら、コンパイラがエラーを起こして終了です。
法律用語は言ってみれば、法律屋の間だけで通じる方言ですね。
一般人が法律を
- 読まなかったり
- 読めなかったり
- 誤解したり
コラムでは続いて、証券取引法第1条(現在は金融商品取引法)を挙げて、
その解釈の仕方と誤解の例を指摘しています。
第1条にはこう書かれています。
この法律は、
国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、
有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、
且つ、有価証券の流通を円滑ならしめることを目的とする。
読みにくい。
特に、最後の「且つ」が連結する範囲は
解釈を一つに絞り込む事が困難です。
コラムはどう解説しているのでしょうか。
(1)「…に資するため…を目的とする」とあるところから、
「国民経済の適切な運営及び投資者の保護」が法の究極の目的で、
「有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、
且つ、有価証券の流通を円滑ならしめること」が直接の目的であり、
(2)「及び」とあるところから、
「国民経済の適切な運営」と「投資者の保護」は単純な並列の関係にあり、
(3)「且つ」とあるところから、
「有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ」と
「有価証券の流通を円滑ならしめ」は
並列で密接な関係にあることになります。
この解説すら分かりにくい。
「並列で密接な関係」と言うだけでは、法律用語の「且つ」が
言語学的にどういう統語構造を作り出すのか分かりません。
方言が話せる人に、「その方言の何々ってどういう意味?」と聞いても、
要領を得ない説明しか返って来ないのと似ています。
(でも、「こう使うんでしょ?」と言うと「違う違う!」と怒られる。)
では、なぜこの条文は読みにくいのか。理解しにくいのか。
読解の過程からその要因を探ってみましょう。
以下、読解時の私の脳内を再現します。
►PLAY
この法律は、
国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、▼
うんうん、「資するため」に?
この法律は、
国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、
有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、▼
え? この「公正ならしめ」は「資するため」に直接掛かるの?
それともこれから出てくる部分に掛かるの?
(と考えている間に、前半の記憶が既に飛び始めている。)
この法律は、
国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、
有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、
且つ、▼
「且つ」! まだ続くのかよ!
「何々のため」とか、「何々ならしめ」とか、連用形接続ばっかりで
文の骨組みが全然見えてこない。本体はどこだー。
この法律は、
国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、
有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、
且つ、有価証券の流通を円滑ならしめることを目的とする。▼
やっと最後まで辿り着いたけど前半の方はもう覚えてない。
でも大事な事なら最後に書くだろう。
文末から視線を遡らせると、「円滑ならしめる」が目に入る。
なるほど、「円滑化」が目的の法律ね。
■STOP
というのが、この難読文との格闘の一例です。
以上から浮かび上がってくる条文の問題点は二つ有ります。
- 人の作業記憶の容量の小ささを考慮していない。
- 日本語の自然な叙述の順序に反している。
まず一つ目。
人は文を理解する時に、目や耳から取り込んだ文字列・音列を
一時的に作業記憶の領域に溜めておきます。
コンピューターでいうメモリー(ハードディスクではない方)です。
その記憶容量は、
昨今のコンピューターのギガバイト、テラバイトの世界からすれば
信じられないほど小さいと考えてください。
文の中でも特に、
- 「何々の場合は」
- 「何々の為に」
- 「何々を行なって」
係り先(修飾対象)の主節動詞が出てくるまでは意味が確定できないので、
作業記憶にものすごく負担を掛けます。容量をガバ食いします。
従属節ばかりが幾つも続いて主節が一向に出て来ないと、
初めに読んだ方の記憶はどんどん押し出されて揮発していきます。
法律屋はこれを考えずに幾らでも長大な文を書きますが、
読み手が生身の人間だという事を忘れてはいけません。
二つ目。
日本語は主要部後置型の言語です。大事な事は最後に持ってきます。
文の要となる述語も最後ですし(S+V+OではなくS+O+V)、
条件節と主節なら、主節が後ろに来ます。(「もし何々なら、何々だ。」)
ですから、文を読む人、聞く人は、
初めの方に出てくる情報を付随的なものだと捉えます。
ところが、証券取引法では、
コラムニストが言う所の「究極の目的」が
いきなり文頭に出てきます。
注目を浴びない位置に重要なものを持ってくる。
まるで手品のテクニックのような文ですね。
これはもう、読み手を欺いていると言っても良い。
では、どうすれば読みやすい条文になるのでしょうか。
一つの文にあれもこれもと詰め込まない。
これです。文を短くしてください。
先に引用したコラムの解釈を参考に、
証券取引法の改善案を考えてみました。before/afterをご覧下さい。
before
この法律は、
国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、
有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、
且つ、有価証券の流通を円滑ならしめることを目的とする。
after
この法律の目的は次の二点である。
前記の目的を果たす為に、具体的には次の二点を指針とする。
- 国民経済の適切な運営に資する事。
- 投資者の保護に資する事。
- 有価証券の取引(発行、売買など)を公正にする事。
- 有価証券の流通を円滑にする事。
あれ?
主要部後置型とか言っておきながら、
一番最初に重要な情報を持ってきてますね。
でもこれで良いんです。
「主要部後置」は、必ずしも全てのレベルに通底する原則ではありません。
語、句、節あたりまでは概ねそうですが、文や段落、文章レベルでは
却って不親切になる場合も有ります。それは文章の用途に拠ります。
推理小説では犯人や謎を最後の方で明かしますが、
法律は逆です。趣旨、根幹、大原則は先に書いてください。
もう一つ。
「並びに」や「及び」や「且つ」を一切使っていない事に注目してください。
それでも曖昧さは生じていません。
もっと複雑な構造の文でも追加の工夫で対応できます。
コラムでは最後に、
法律学者でさえ法令用語の解釈を間違えている
と嘆いていますが、
そら、あんたが日本語で喋らんのが悪いんや
と言わざるを得ません。
日本語母語話者にとっての現在の日本の法文は、
英語母語話者にとってのラテン語、フランス語みたいなものです。
読めなくて当然。誤解が生まれて当然。
法律人の法律語ではなく、ちゃんと日本語で書きましょうね。
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最後に脱線。
コラムで題材になった証券取引法は現在、
「金融商品取引法」という名前になっています。
その第一条はこう書き換えられました。
この法律は、企業内容等の開示の制度を整備するとともに、金融商品取引業を行う者に関し必要な事項を定め、金融商品取引所の適切な運営を確保すること等に より、有価証券の発行及び金融商品等の取引等を公正にし、有価証券の流通を円滑にするほか、資本市場の機能の十全な発揮による金融商品等の公正な価格形成 等を図り、もつて国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資することを目的とする。
長っ! 悪化してるよ。
もう一つ脱線。
現代日本語の共通語って
時制・アスペクト形式が分化していなくて不便ですよね。
この部分だけでも愛媛県宇和島方言を取り入れてみては?