「ヘルメット着用義務化は学童の交通事故および事故死を減らす」
『日本救急医学会雑誌』Vol. 11, No. 9, pp. 444-450
自転車ヘルメットの安全効果を、その着用義務の有無で縦断的に比較した、世界的にも数少ない研究の一つです。題名が謳うとおり本当にヘルメット着用義務化で事故が減ったのかどうか、注意深く読んでいきます。
1. 目的
まず研究の目的の定義ですが、箕輪 et al.(2000)はこの部分を曖昧にしたまま議論を進めています。
箕輪 et al.(2000, p. 444)
小児期の死亡原因は外傷,なかでも交通事故によるものが多く,子どもの生命を守るうえで外傷予防は重要な戦略になるものと思われる1)。引用の前半部分は、研究目的の背景である基本的な価値観を提示していますが、これだけでは、新潟県の加茂市長が去年発表した、
/* 中略 */
主要道である国道17号線での児童の交通事故を契機として自治体と地域の団体(ライオンズクラブなど)の発案により始まり,約25年間にわたり生徒がヘルメットを着用して登下校する小学校がある。学童のヘルメット着用が,交通事故およびその死亡を減らしたかどうかを検討するのが本研究の目的である。
小池 清彦(2014)「自転車の事故を完全になくするために」pdf p. 1
小中学生のいたましい自転車の事故を完全になくするための一番の方策は、なるべく自転車に乗らないようにすることであると私は思います。という声明の姿勢と区別が付きません。
後半部分は具体的な研究目的を提示していますが、ここでも、
- 自転車利用のベネフィットを享受しつつ、それに伴うリスクを減らしたいのか
- それとも加茂市長と同じく、とにかく死亡事故がゼロになれば良いのか
着用義務化の効果を調べたいという事は、少なくとも自転車利用の制限はしないという前提が有ると考えられますが、その前提を明示しない曖昧さが、次に見る研究デザインの問題に繋がっています。
2. 方法
2.1 調査方法の根本的な問題
箕輪 et al.(2000, pp. 445-446)
大宮市教育委員会に協力してもらい,委員会が把握している児童生徒学校事故報告によって,市内にある公立小学校36校を対象に1989~95年度に学校管理内外に発生した学童の交通事故およびその死亡について調べた。学校管理内とは授業,休憩,課外授業,通学などの場合をさす。
/* 中略 */
ヘルメット全員着用を指導している4校(全員着用群)と,91年前後に着用を自由化(中止)した4校(自由化群)をケース群とした。これ以外のヘルメット非着用の28校をコントロール群とした。ヘルメット着用を自由化した前後で検討期間を分けて,交通事故件数,死亡者数をもとに生徒1,000人当たりの年間事故件数を事故率と見なして比較検討した。χ2検定によって有意差をみた。
事故件数の分母を単純に生徒数にしています。これでは、子どもの自転車利用を抑制すればするほど見掛けの数字が改善する事になってしまいます。(調査対象は学校管理「内外」なので、通学時の自転車利用に限らず、公園や友達の家、塾に行く場合の利用も含まれます。)
ヘルメットを義務化する事で自転車利用そのものを抑制し、それによって死亡事故を減らしたいのならともかく、自転車利用時のヘルメットによる保護効果に期待するのであれば、この調査結果の数字は意味を為しません。理想的には
- 実際に自転車を利用していた生徒の人数
- 一人当たりの年間走行距離
- 自転車通学していた生徒の人数
- 自転車での平均通学距離
2.2 集計上の区分と着用実態
ヘルメット着用を自由化したと言っても、それを機に全員がパタリと着用を止めてしまったかどうかは分からないので、統計上の分類と着用実態が一致しない可能性が有ります(同様に、着用義務が無くても自主的に被っている生徒がいないとも限りません)。この点については論文の最後の方に
箕輪 et al.(2000, p. 448)
以前の全員着用を自由化するとほとんどしていないのが現状である。と書かれていますが、具体的な数字は挙げられていません。
2.3 集計期間の区分
箕輪 et al.(2000, p. 446)
1校は90年に,3校は92年前後に全員着用から自由化した。事故の集計期間を前期(1989〜1991年)と後期(1992〜1995年)に分けていますが、ヘルメット着用の自由化時期とズレている学校が有る点が気になります。事故件数が少ないので、期間の区切り方次第で結果が大きく左右される可能性が有ります。
3. 結果
3.1 数値の誤り
箕輪 et al.(2000, p. 446)
調査結果を纏めた表ですが、一部の数字が本文と食い違っています(↓)
箕輪 et al.(2000, p. 446)の表に赤で書き込みを加えたもの
また、表単体で見ても合計値が合わないので、どこかに数値の誤りが有ります(↓)
箕輪 et al.(2000, p. 446)の表に赤で書き込みを加えたもの
こういう数値の誤りは査読の段階で指摘されて掲載前に直されるはず(『日本救急医学会雑誌』は査読付きの雑誌)ですが……。webで読めるPDF版は最終版じゃないのかな?
3.2 事故率の差とその有意性——時系列比較
続いて箕輪 et al.(2000, p. 446)では各群の事故率を列挙し、差の有意性を検定しています。以下はその要約です。
- 全体の事故率を前期と後期で比較 → 5%水準で有意な上昇
- 対照群の事故率を前期と後期で比較 → 5%水準で有意な上昇
- 着用自由化群の事故率を前期と後期で比較 → 1%水準で有意な上昇
- 全員着用群の事故率を前期と後期で比較 → 有意ではない
箕輪 et al.(2000, p. 446)
コントロール群28校は /* 中略 */ 事故率は前期1.0から後期1.5へ増加した(p<0.05)。このうちヘルメットの全員着用を自由化した4校 /* 以下略 */とありますが、自由化群の4校はコントロール群の28校に含まれないので、「このうち」という表現は誤りです。)
箕輪 et al.(2000, p. 446)のTable 1の値に基づいて作成したグラフ
(OpenOffice.calcでは凡例の文字列をグラフの線に添えられないみたいなので、
スクリーンショットで画像化した後に手動で切り貼りしました。)
(OpenOffice.calcでは凡例の文字列をグラフの線に添えられないみたいなので、
スクリーンショットで画像化した後に手動で切り貼りしました。)
この中で前期と後期に(研究デザインの上で)条件の違いが有るのは自由化群だけですが、それ以外の(デザイン上は条件が同一の)群にも変化が見られ、しかもその変化は(全員着用群以外は)有意なので、ヘルメット着用義務以外に何か別の因子が働いた事が推測できます。
対照群と全員着用群で変化の方向が正反対である事については、ヘルメットの効果だと考える事もできますが、ヘルメット以外の因子(一つとは限らない)の働き方が群間で違っていたとも考えられます。
その影響を取り除けていない以上、前期と後期を比較しただけではヘルメット着用義務の効果を評価する事ができません。
(或いは別の見方として、対照群を大宮市全体の事故率傾向を表わすものと捉えて、それを基準にケース群の事故率の期待値を補正する事もできるのではないかとも考えられますが、箕輪 et al.(2000)は対照群をそのようには使っていませんね。)
箕輪 et al.(2000, p. 446)は更に、
ケース群の全員着用群と自由化群のうち前期の部分を合わせたものは実質的なヘルメット着用期間に相当するが,その事故率は0.7であった。コントロール群と自由化群の後期を合わせた実質的な非着用期間ではその事故率1.3で着用期間に比して多かった(p<0.05)。として、異なる群のデータを複合させて事故率を算出し、恰もヘルメットの着用の有無で事故率に有意な差が有るかのように書いていますが、ここには上述の通り、ヘルメット着用義務の有無とは無関係に事故率が変動した分が含まれているので、これを基にヘルメットの有効性を主張する事はできません。
3.3 事故率の差とその有意性——群間比較
ところで、箕輪 et al.(2000, p. 446)は表の横方向(時系列)の差しか検定していませんが、調査結果のデータは縦方向(同一時期の群間)でも比較できます。そこで、各群の生徒数を母比率として、事故件数の分布に有意な偏りが有るかどうかを直接確率計算で検定してみました。
計算には
- js-STAR 2012 (release 2.0.7j)「直接確率計算 1×2表:母比率不等」
結果は下表の通りで、前期に限ればいずれの組み合わせでも有意ではありません。
群1 | 群2 | 検定結果 | |
前期 | 対照群 | 自由化(前)群+全員着用群 | p=0.2794 ns (.10<p) (片側確率) |
対照群 | 自由化(前)群 | p=0.0551 + (.05<p<.10) (片側確率) | |
対照群 | 全員着用群 | p=0.2511 ns (.10<p) (片側確率) | |
後期 | 対照群 | 全員着用群 | p=0.0097 ** (p<.01) (片側確率) |
対照群+自由化(後)群 | 全員着用群 | p=0.0087 ** (p<.01) (片側確率) | |
自由化(後)群 | 全員着用群 | p=0.0118 * (p<.05) (片側確率) |
後期は逆に全ての組み合わせで有意でしたが、ヘルメット以外の因子の影響も考えられるので、ヘルメットの効果が「示唆された」とは言えても「実証された」とは言えません。
3.4 ヘルメット着用と死亡率——事故件数当たり
死亡事故については、
箕輪 et al.(2000, p. 446)
36校全体の死亡数は前期0人から後期3人に増加した。これをヘルメット着用の別でみると,コントロール群2人,自由化群1人に対して,全員着用群の4校では期間中に死亡は発生しなかった。と人数を挙げるだけで、死亡率の差の有意性を(生徒数当たりでも事故件数当たりでも)検定していません。そこで
- js-STAR 2012 (release 2.0.7j)「直接確率計算 2×2表(Fisher's exact test)」
- 自由化群の前期 vs 後期
- 後期の対照群 vs 全員着用群
- 後期の対照群+自由化群 vs 全員着用群
- 後期の自由化群 vs 全員着用群
- 通期での、対照群 vs ケース群
ただ、事故件数当たりの死亡者数については他にも幾つか研究が有るので、衝突時の頭部保護効果についてはまず間違いないでしょう:
Robert S. Thompson, Frederick P. Rivara, and Diane C. Thompson
A Case-Control Study of the Effectiveness of Bicycle Safety Helmets
New England Journal of Medicine 1989; 320:1361-1367
交通事故総合分析センター(2012)
「特集 自転車事故被害軽減にヘルメット!!」
『ITARDA Information』No. 97, p. 5
3.5 ヘルメット着用と死亡率——自転車利用者人口当たり
事故件数当たりではなく、自転車を利用していた生徒数当たりで死亡率を捉える事もできます。この捉え方は、「事故に遭った場合に」ではなく、「そもそも事故に遭うかどうかも含めて安全と言えるかどうか」という、リスク補償仮説の立場からの疑問に対して反論する上で有効です。
リスク補償仮説というのは、大雑把に言えば、
- 人は自分が許容できるリスク水準に合わせて行動を調節する。
- 行動から感じる危険が許容水準より高ければ慎重に行動し、
- 低ければリスクを取って釣り合いを取ろうとする。
(具体的な議論は"bicycle helmet risk compensation"で検索。これをテーマにした記事も改めて書くつもりです。)
この指摘に反論するのは実は結構厄介で、決定打と言える証拠を提示できている研究が中々見当たらないのですが、母集団の正確な人数のデータを持ち、かつ縦断的に調査している箕輪 et al.(2000)の研究結果は、その議論に大きく貢献する可能性が有りました。
ただ、残念ながら
- 標本サイズが小さすぎて有意差を検出できない
- 群間でヘルメット以外の因子の影響が揃っていない可能性が有る
- 自転車の年間走行距離が不明なので粗い推測しかできない
3.6 事故以外のリスクとの比較
自転車ヘルメットの着用義務化に対する反論として、リスク補償仮説より更に強力なのは、ヘルメット義務化によって自転車利用者が減れば、自転車の社会レベルでの利点である
- 有酸素運動による生活習慣病の予防と医療財政の改善や、
- モーダルシフトによる車の交通量(交通事故、渋滞、大気汚染)の減少
ただ、箕輪 et al.(2000)は、リスク補償仮説と同様、この点についても全く言及していませんし、研究デザインからしてそのデータを拾えない設計になっているので、集計結果から読者が検討する事もできません。
4. 考察
4.1 なぜ事故全体が減ったのか
ここまで見てきたように、箕輪 et al.(2000)の調査結果は自転車ヘルメットの着用義務化の肯定的な効果について「示唆」するに留まり、「実証」はできていません。その点については著者らも承知しているようで、
箕輪 et al.(2000, p. 447)
以上のようにヘルメット着用で学童の交通事故死亡が減少したことは説明し得るが,交通事故全体が減少したことは説明しがたい。したがって,むしろ別の間接的な要因を検討すべきであろう。と考察しています。
その要因について、箕輪 et al.(2000, p. 447)は大きく分けて2種類の候補
- 学校毎の交通安全運動の違い
- ヘルメット着用に伴う心理変化
4.2 ヘルメット着用と心理変化
一方、心理変化については児童、親、教員のそれぞれに肯定的な効果が及ぶのではないかとの仮説を示しています。
箕輪 et al.(2000, p. 447)
児童がヘルメットを着用すると本人が交通安全に気を付けるようになるという行動変容が効果のひとつとして考えられる。親にとってもヘルメット着用を指導され日常的に着用している子どもと接することで啓発されて,家庭内で子どもに交通安全への配慮をもとめるという間接的な効果もあり得る。さらに教員の側でも交通安全指導の姿勢などがより強化させる/* 原文ママ */ということも指摘された(自由化群の小学校の教頭の意見)。これについては、CiNiiで日本国内の論文を検索した限り、
戸部 秀之, 家田 重晴 (1993)「ヘルメット着用に関する学生運転者の意識と実態」
『中京大学体育学論叢』Vol. 35, No. 1, pp. 61-70
が現時点では唯一の研究です(自転車ではなくモーターバイクですが)。しかしこの調査は「なぜヘルメットを被るのか」を質問したもので、「ヘルメットを被った結果、運転行動がどう変化したか」を観察したものではありません。
海外の研究については、一例を挙げると、
R. O. Phillips, A. Fyhri, F. Sagberg.
Risk compensation and bicycle helmets.
Risk Analysis. 2011 Aug;31(8):1187-95.
要約
被験者に自転車で400mの下り坂を走らせる実験。普段からヘルメットを着用している人はヘルメットを被らない条件での試行では不安を感じてスピードを抑えたものの、心拍には変化なし。普段ヘルメットを被っていない人はヘルメットの有無の影響なし。
I. Walker
Drivers overtaking bicyclists: objective data on the effects of riding position, helmet use, vehicle type and apparent gender.
Accident; Analysis and Prevention. 2007 Mar;39(2):417-25.
要約
現実の道路環境で、自転車利用者がヘルメットを被っている場合とそうでない場合を比べると、ヘルメットを被っている場合は車に追い越される時にドライバーが取る側方間隔が狭かった。
I. B. Pless, H. Magdalinos, B. Hagel.
Risk-compensation behavior in children: myth or reality?
Archives of Pediatrics and Adolescent Medicine. 2006 Jun;160(6):610-4.
要約
何らかの活動中に怪我をした8〜18歳の子供に聞き取り調査をした結果、安全保護具を使っていた群とそうでない群の間にリスク・テイキング行動の違いは無かった(年齢や性別などの属性による調整済み)。
P. Lardelli-Claret, J. de Dios Luna-del-Castillo, J. J. Jiménez-Moleón, M. García-Martín, A. Bueno-Cavanillas, R. Gálvez-Vargas.
Risk compensation theory and voluntary helmet use by cyclists in Spain
Injury Prevention. 2003 Jun; 9(2): 128–132. (全文pdf)
要約
自転車利用者の事故記録を元に、ヘルメットの着用の有無と事故時の違反の有無を調査した結果、(速度超過以外の)違反はヘルメット非着用の利用者の方が多かった。
などが有りますが、
ヘルメットを被った結果、リスク補償が作用したかどうか以前に、
ヘルメットを被るという選択自体がリスク補償なのではないかとも考えられる為、これらの研究からもそう簡単には結論を引き出せません。
4.3 その他に考えられる要因
論文の後半に一つ気になる記述が有りました。
箕輪 et al.(2000, p. 447)
全員着用群の小学校はそうでないところに比べてむしろ,周辺の交通事情は悪く,主要道の近くにあって通学路に抜け道があったりしていて危険度は高いと考えられた。この背景からは、ヘルメット着用校では自転車を利用する(させてもらえる)生徒の割合が他校より低かった可能性も考えられます。そうなると、
- ヘルメット着用 → 事故の少なさ
- 危険な交通環境 → ヘルメット着用・自転車利用の少なさ・事故の少なさ
それ以外にもこの論文が考慮していない要因はたくさん有ります:
- 年齢(学年別の生徒数の偏り)
- 性別(男女比の偏り、或いは男子校/女子校)
- 交通安全の知識
- 交通安全教室への参加の有無
- 走行場所
- 乗車目的(通学、遊びなど)
- 家族構成(第何子か、他に自転車に乗る兄弟姉妹がいるかどうか)
- 親の学歴
- 親の職業
- 世帯収入
参考として、自転車交通安全教育(Bike Ed program)の効果について調査した研究
John B Carlin, Petra Taylor, Terry Nolan (1998)
School based bicycle safety education and bicycle injuries in children: a case-control study
Injury Prevention, Vol. 4, pp. 22-27
では、性別や、家庭の経済的・社会的状況、家族構成が安全教育の効果に影響する(教育が逆効果になる)と報告しています。
5. まとめ
この研究は、
- 研究デザインに根本的な欠陥が有る。
- 「事故を減らす」とまでは言えない。
- 関連する多くの因子、論点に言及していない。
この論文を読んで得られた教訓は、
- 査読付き雑誌に掲載されたという事実のみで論拠にしてはならない。
- 一面的な見方に陥らないように注意が必要。