2015年1月16日金曜日

道路と社会を巡るアメリカの話

The Washington Post(2015年1月14日)
Parents investigated for neglect after letting kids walk home alone
子供の自立心を育もうと、10歳の兄と6歳の妹の二人だけで外を歩かせたら、ネグレクトの疑いを掛けられて捜査された両親の話。

Strong Towns(2015年1月15日)
Slow the cars
(抄訳)
2014年の今、通りで子供が車に撥ねられれば「なんて無責任な親だ、子供を通りで遊ばせるなんて」と責めるのが普通の反応だろう。しかし1914年なら、その正反対だ。「子供が遊んでいるかもしれない通りを暴走するなんて、どんな悪魔が運転してるんだ」

Collectors Weekly(2014年3月10日)
Murder Machines: Why Cars Will Kill 30,000 Americans This Year
過去100年間で自動車は日常生活に織り込まれ、……自動車による殺人は、避けられない「事故」、或いは神の御業と考えるよう、我々は訓練されてきた。



VOX(2015年1月15日)
The forgotten history of how automakers invented the crime of "jaywalking"

自由に道を横切る行為が自動車メーカーの周到な戦略によって犯罪にされた歴史。
(以下、抄訳)
1920年代以前、通りは公共空間と見做されていた。歩行者や手押し車の商人、馬車、路面電車、子供の遊び場だった。歩行者は好きな所を思いのままに歩いていたし、安全確認もしていなかった。1910年代は横断歩道が稀で、有ったとしても歩行者は無視していた。

1920年代に入って車が普及し始めると、自動車事故による死者数は急上昇した。交通事故死に対して大衆は激怒した。当時、自動車は単なる遊び道具で、公共空間への暴力的な侵入者と見做されていた。

死者数が増加する中、反自動車の活動家は自動車に速度リミッターを付けるべきだと考えた。1923年、シンシナティーの住人4万2000人は、全ての自動車が40km/hのリミッターを装備するよう陳情書に署名した。

しかし、車に対する規制が潜在的な売り上げを押さえ込むと恐れた自動車メーカーは、販売店や愛好家と共に活動し、逆に歩行者の権利を制限する法律を作らせた。横断歩道以外での横断や斜め横断を禁じる内容だ。

その法律も当初は誰も守らず、取り締まりもされなかったが、自動車の業界団体は、新聞社に無料の電報サービスを提供する見返りに、交通事故の記事を変え、法律を無視した歩行者を責める内容にして世論誘導を図った。

さらに米国自動車協会は学校での安全教育やポスターコンテストを利用して、交通規則を守らない子供が嘲られるように仕向けた。また、車の活動家は警察に対してロビー活動を行ない、交通違反をした歩行者に対して、警察官が激しく笛を吹いたり大声で怒鳴りつけるようにさせ、違反者に公衆の面前で恥をかかせた。

活動家たちは交通安全の出し物も上演した。19世紀の服を着た役者や道化師に道を乱横断させ、それが時代遅れで愚かな事だと示した。道化師はT型フォードの前を歩かされ、何度も撥ねられた。

自動車の支持者たちは"jay-walking"(道路の違法な横断)という造語を盛んに使った。当時、"jay"は「無知な田舎者」という意味だった。自動車の支持者たちが広めた"jay-walker"は、田舎から出てきて、都会でどう振る舞えば良いか分からず、公共の安全を脅かす者という意味だ。

結果、"jay-walking"という言葉も、歩行者が通りを自由に横断すべきではないという観念も、社会に深く定着した。今ではその経緯を知る人は殆どいない。

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さて、ここで日本の東京都交通安全ポスターコンクールの受賞作品を見てみましょう。







ここに挙げた受賞作品は全て、
  • 道路は車のものだ。
  • 歩行者は車の邪魔をするな。
というメッセージを発しています。
(そうでない受賞作品も有りますが、ここでは引用していません。)

1920年代アメリカの自動車業界が採った巧妙な戦略が、
90年後の現代日本にもしっかり息衝いてますね。