2013年7月10日水曜日

「自転車走行空間の歴史」の感想

元田良孝 2012 「自転車走行空間の歴史

日本は自転車の台数も利用者も多いのに、
なぜ自転車専用の通行空間がほとんど無いのか。

この論文は、戦前から現在に至るまでの歴史を辿り、
どの時点で選択を誤ってしまったのかを
解き明かそうとするものです。



論文の著者は岩手県立大学の教授ですが、
元々は旧建設省で道路行政に携わっていた人で、
行政内部の視点を豊富に織り込んでいます。

かつて当事者でありながら、なぜ自転車道を
整備できなかったのかが分からない、しかし、
それではいつまでも同じ過ちを繰り返してしまう
という強烈な危機感が滲み出る、熱い論文でした。

ここでは、論文の中で特に興味深かった箇所を紹介します。

1923年の関東大震災からの震災復興に
街路構造令にはない「緩速車道」が登場する。

緩速車道という言葉は初めて知りました。
どういうものなんでしょうか。

当時は荷車や馬車、人力車などの
現在でいうNMT(Non Motorized Transport)が
自動車より圧倒的に多く、自動車は少なかった。

このことから街路構造令制定当時は緩速車主体の道路であり、
自動車が多い場合は高速車道を設けて対応する方法であった。

しかし震災復興期になると自動車が増え緩速車との分離が必要になり、
あえて緩速車道という名称で登場したものと考えられる。

関東大震災の頃の記録を読むと、現在の東京23区の範囲内でも
広大な田畑が広がっていたり、牧場が経営されていて
都内から牛乳が出荷されていたというような描写が出てきます。

そういう景色の中に自動車が入ってきて、
次第に主導権を握っていった。
その過渡期に存在した道路構造のようですね。

思えばこの過渡期が、多様な交通参加者に配慮した、
一番バランスの良い時期だったのかもしれません。

自転車道という名称で登場する最も古い記録は、
昭和13年発行の自轉車運動綱要 8) に
同年に東京市板橋區志村町で自転車道が竣工したことが
写真入りで紹介されている (図-6)。

写真の道路は中仙道(現国道17号)と考えられるが、
断面図によると総幅員25mで断面構成は歩道3m、
自転車道3.5m、高速車道(今の車道に相当)12m、
自転車道3.5m、歩道3mの堂々たる道路である。

/*中略*/

同時期に写された中仙道の写真には
道路の同じ部分を緩速車道とする記述もあり 9)、
自転車道と緩速車道には明確な区別がなかったと推測される。

写真は単路部分だけですが、現在のオランダの道路に近く、
自転車の通行環境として理想そのものと言っても良い構造です。

ただ写真に見る自転車道はそれ程
長期間設置されたものではなかったと推定されている 11)。

中山道の志村付近には昭和19年(1944年)に
都電志村線が開業しています。おそらくこの時に
自転車道は無くなってしまったのでしょう。

しかし、少なくとも戦前の約6年間、
板橋に理想の自転車通行環境が存在していた。
この事実には多いに勇気づけられますね。

残念ながら歴史はその後、ワトキンス・ショックを受けて
車を最優先した道路へと突き進んで行き、
都電も自転車も排除してしまいました。

視線を転じて2013年現在の道路事情を見渡すと、
自転車の他に、電動アシスト自転車で荷車を牽く
スタイルの配達業が徐々に増えつつあります。

(ヤマト、佐川、エコ配、酒屋のカクヤスなど)

これは或る意味で、交通状況が
昭和初期と似てきているとも捉えられます。

また、近距離移動用に低速で走行する超小型車も
現われつつあります。セブンイレブンが宅配用に
使っていたり、高齢者の移動用として期待されています。

原付というカテゴリも長年、
車の濁流の中に放置されてきましたね。

であれば、自転車歩行者道などでお茶を濁すより、
思い切って緩速車道を復活させるのが良いのかもしれません。



もう一つ興味深かったのは、昭和45年、
自転車を歩道に上げるのと同時に行なわれた
或る方針転換です。

同年に道路管理者も道路構造令 22)を改正した。
昭和33年の道路構造令にあった
自動車と自転車の交通量から車道幅員を定める考えは
なくなり、自動車の交通量から決まる車線数で
車道幅を決定する方式に変更された。

これも初めて知りました。
道路設計の変数から自転車が排除された瞬間です。

専門的で地味な改正ですが、「車道は車だけのものだ」と
宣言したも同然の重要な内容と言えるでしょう。

さらに緩速車道の規定もここで消え、その代わりに
自転車道と自転車歩行者道(自歩道)が新たに追加された。

緩速車道、消してしまったのか。
代わりに自転車道が整備されれば良かったんですが、
現実は見ての通り、今に至るまで自歩道だけが造られ続けています。

(現在、東京の新橋・虎ノ門地区で
建設中の環状第2号線も自歩道形式です。)