2013年7月1日月曜日

『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (5)

前回の続きで、過失相殺シリーズの5回目です。

今回は東京都杉並区の事故事例を取り上げます。



注意事項
  • 引用部分の中に、原文に無い改行やマーカー着色を加える事が有ります。
  • 事故状況についての情報が限定的なので、本記事での指摘が
    見当違いなものになっている可能性が有ります。

p.236
日時 平成4年7月21日午後9時20分ころ
場所 東京都杉並区西荻北3-45-9先横断歩道上

車道左端を走っていた自転車が
信号機の無い横断歩道を通過しようとした際、
左手の歩道から出てきた歩行者と衝突したという事故です。

今回は現地を見てきたので、写真を織り交ぜながら
判決の妥当性を検証していきます。

事故現場の横断歩道

同地点、夜

まずは現場の道路環境と事故状況から。

p.236
本件現場付近は、片道一車線、中央は黄色実線の
アスファルト舗装された道路で、幅員は、
大型車両がようやくすれ違うことができる程度である。

車道両側には、歩道が設置され、歩道の車道寄りに
並木と低灌木が植えられており、本件事故当時は、
かなり繁った状態で、車道から歩道の見通しはあまり良くなかった

また、本件現場付近は、街灯が設置され、両側に商店が立ち並び、
交通量は比較的多いところである。

車線の幅員は約3.0mです。(現地での実測値)
小型自動車でもドアミラー込みでは
左右に0.5mずつしか余裕がありません。

車線内での自転車の追い越しは
物理的には可能でも、非常に危険です。


バスの場合は本当にギリギリで、時折、
車体左側面が植栽の枝に当たっていますし、
バス同士のすれ違いは熟練を要するレベルです。


p.236
被告は、被告車をライトをつけて運転して、荻窪駅方面から
自宅に向けて本件現場付近道路のかなり歩道寄りを進行し、
本件現場の横断歩道にさしかかるところで、一応
横断歩行者がいないかどうか確認したが、横断歩行者を
発見できなかったので、そのまま減速、徐行することなく
進行したところ、被告車前方左側から横断歩道の横断を
開始した原告と衝突した。なお、被告は、原告と衝突するまで、
原告に全く気付かなかった

p.236
原告は、同僚と飲酒して帰宅する途中、荻窪駅方面から
本件現場付近道路の歩道を、被告車と同方向に向けて進行し、
本件現場の横断歩道を横断しようとして、一応
左右の安全を確認したところ、進行してくる車両が
なかったため、横断を開始したところ、被告車と衝突した。

原告が横断を開始した際、
本件現場付近道路から脇道に右折したトラックが、
脇道にライトをつけたまま停車していたので、
原告はトラックの動静に気を採られていた。

なお、原告も被告車と衝突するまで、
被告車に全く気付かなかった

この事故のポイントは、両者が共に安全確認をしながら、
衝突の瞬間まで相手の存在に全く気付いていないという点です。

しかし、二人の人間が同時に認知エラーを起こすでしょうか。
普通に考えれば、道路構造の側に重大な欠陥が有った事が疑われます。

次に過失認定の部分を見ていきます。

p.236
右の事実によれば、
本件事故現場付近には街灯が設置されていたとはいえ、
夜で歩道上に立つ人を発見するのは容易でなく、
しかも、車道からは、歩道の並木や植え込みのため、
歩道の見通しがあまり良くない状況であったから、
被告としては、横断歩道を通過するに際し、
横断歩行者がいないかどうか十分確認し、
特に、歩道寄りを進行していたのだから、
減速するなどして進行すべき注意義務があるのに、
これを怠り、安全確認が不十分なまま、
減速、徐行せず漫然進行した過失は重大である。

自転車(被告)の過失は、
  • 安全確認が不十分だった事
  • 横断歩道の手前で徐行しなかった事
であるとの判断ですね。

p.236
一方、原告としても、自転車などが車道の歩道寄りを
進行してくることは予想でき、夜でもあり、歩道上の
並木や植え込みのために見にくい状況があったのだから、
信号機のない道路を横断するに際し、
十分に左右の安全確認をすべきであったところ、
脇道に右折していったトラックの動静に気を採られ
本件現場道路の左右の安全確認が不十分であったことは
否定できないのであって、この点に若干の過失が
あったことは否定できない。

以上の原告と被告の各過失を比較すると、その過失割合は、
原告10パーセント、被告90パーセントとするのが相当である。

歩行者(原告)の過失は、
  • 安全確認が不十分だった事
  • トラックに気を取られていた事
であると読み取れます。後者のトラックについては
いろいろと謎が多いので、この記事の最後で取り上げます。

最後に、本書『自転車事故過失相殺の分析』の著者による
論評も見ておきます。

p.237
本事案は、夜間自転車のライト点灯があったこと、
自転車からは歩行者の発見が容易ではないが、
歩行者が左右の安全を確認すれば容易に事故発生を
回避し得たこと、商店街での事故であること等が
考慮されて10%の過失相殺になったものと思われる。

また、歩行者の飲酒や、自転車側が骨折という
比較的重大な傷害を負ったことを本件では
直接過失相殺に考慮事由として判示されていないが、
結論に影響する場合もあり得ると思われる。

これで議論の題材が出揃いました。
では今回も反論を撃ち込んでいきます。



1. 歩行者に過失は無い

本件では安全確認の不足を理由に歩行者に過失を認定していますが、
裁判官は自ら現場に足を運んだのでしょうか。

私には、裁判官が法廷での言葉の綾に踊らされて、
頭の中だけで結論を出したように思えてなりません。

以下の写真を見てください。
歩行者の視界の再現を試みたものです。

歩道上を北向きに進み、

横断歩道を渡ろうと右前方へ。

ここで車道の左手方向を確認する。

視線を右に振り、


車道の右手方向を見るが、街路樹の幹に遮られる。
(幹に近いほど死角が大きくなる。このため、
自転車より歩行者の方が死角は大きい。)

この時点ではまだ歩道上に立っている。
(画面奥の接近車両が半分隠れている事に注意。)

車道上に一歩踏み出しても、十数メートル先に死角が残る。
(道路に僅かなカーブが有るため)

さらにもう一歩踏み出した所で、やっと死角が解消される。


現地調査をして分かったのは、
仮に歩行者が車道に踏み出す前に立ち止まり、
十分な安全確認をしたとしても、
車道の端を通行する自転車の接近を視認するのは
不可能ないし極めて困難だっただろうという事です。

街路樹によって自転車は完全に死角に入ってしまいますし、
自転車のライトも灌木に遮られて見えません。

事故発生から既に20年以上経過していますが、
少なくとも現在の道路状況に基づいて判断する限り、
歩行者の過失を10%とするのは適切ではありません。



2. 自転車に過失は無い

自転車はどうでしょうか。
実際に自転車で事故現場を走行してみたところ、


横断歩道の15mほど手前では植栽による死角で
車道と歩道の境目辺りが見えませんが、
8m辺りまで接近すると死角はほぼ解消しました。

(歩道上の鉢植えなどは沿道の商店が
勝手に置いている場合が有るので、
事故当時とは状況が違う可能性が高い。)

しかし夜間になると、死角が無くても歩行者の視認は困難になります。

街路灯の光が木の枝で遮られているため、
横断歩道の近くの歩行者は陰に入る。

街灯、木、横断歩道の順で設置されています。
光が木に遮られて、横断歩道付近を照らせていません。
左側の歩道上に歩行者がいますが、見落とす恐れが有ります。

(ディスプレイの違いにより、見え方は大きく変わります。)

横断中の歩行者。白いシャツは見えるが、
黒いズボンは闇に紛れやすい。

判決では歩行者の服装について一切記述が有りませんが、
仮に上下とも黒っぽい色の服を着ていたのであれば、
被告がこれを発見できなかったとしても、
それを被告の過失とは言えないでしょう。

(かといって、夜間に黒っぽい服装で外を歩いただけで
歩行者に過失を認定するのもどうかと思いますが。)

では、自転車が横断歩道手前で
十分に減速しなかった点についてはどうでしょうか。
確かにこれは道路交通法38条(*1)違反です。

*1 見通しの悪い横断歩道を通過しようとする車両に対して、
徐行(横断歩道の直前で停止できる速度)を義務付けた条項

しかし、これには二段階で反論する事ができます。

第一に、自転車には道交法38条を学ぶ機会が提供されていません。
加えて、日本では大多数の自動車・バイクが日常的に38条違反をしており、
取り締まりも稀であるため、身近な例から学ぶ事もできません。

第二に、仮に被告が38条を知っていたとしても、
本件事故現場の手前で減速するのは逆に危険です。


この横断歩道は左カーブの途中に位置しており、
車道左端を通行する自転車は後続車から発見しにくく、
不用意に減速すれば車に追突されかねません。
(車は横断歩道手前で減速する習慣が無いのでなおさらです。)


もう一点、自転車が車道の左端ギリギリを
通行していた点はどうでしょうか。

本件からも明らかなように、左端ギリギリの通行は危険であり、
自転車は車道の端から最低でも1m程度は離れるべきです(*2)。

*2 これには、歩道からの飛び出しに対する
安全マージンとしての意味だけでなく、
  • 歩道の歩行者から発見されやすくする
  • 側溝のグレーチングや異物を避ける
  • 車に幅寄せされた時の回避スペースを確保する
  • 後続車に無理な追い越しをさせない
などの意味も有ります。

本件の裁判官は、左端を通行するなら徐行しろと言っています。
いわば、【時間的安全マージン】を取れという事です。

しかし、徐行したからといって必ずしもブレーキ操作が
間に合うわけではなく、低速であれ衝突してしまえば
歩行者が転倒して頭を打つ可能性も有ります。

それよりは、車道の端から十分離れて通行した方が、
衝突回避の可能性はよほど高くなります。
自転車・歩行者双方の認知・判断・行動エラー
に対して耐性が高いからです。
つまり、【空間的安全マージン】の方が優れています。

しかし日本では、

  1. 自転車の交通安全教育でその事に全く触れていない
  2. 道交法18条(*3)が誤解を招くような書き方をしている
  3. ドライバーが自転車に恐怖感を与え、車道の端に追いやっている
  4. それを警察が取り締まらない

という背景が有り、
空間的安全マージンの意義が社会に浸透していません。
(現に本件の裁判官が見当違いな事を言っています。)

*3 道路交通法18条(抜粋)
自動車及び原動機付自転車にあつては道路の左側に寄つて、
軽車両にあつては道路の左側端に寄つて
それぞれ当該道路を通行しなければならない。
これを読めば、「自転車は可能な限り端に寄って、それこそ
側溝の上を通行するのが正しい」と誤解されるでしょう。
車道で自転車の通行位置を観察すれば、その誤解が
どれほど社会に蔓延しているかが分かります。

従って、現状では本件被告の行動を
過失と認定するのは適切ではありません。

道交法制定に関わった国交省と警察庁や、
目の粗い取り締まりしかしていない
杉並警察の責任を追及すべきです。

これも、
人を責めるな、仕組みを責めろ
の一例です。



3. 道路管理者に重大な過失がある

道路管理者の過失は、既に指摘してきたので、
ここでは簡単にまとめます。

  • 横断歩道をカーブの途中に設置した
  • 横断歩道の直近に街路灯を設置しなかった
  • 植栽で死角を作った

これらの過失について、裁判では道路管理者(おそらく杉並区)の
責任を全く追及しておらず、その代わりに
事故の当事者に重い過失認定を負わせています。

2014年4月13日 追記
横断歩道の設置主体は杉並区ではなく荻窪警察署だそうです。

当然、道路管理者には何の是正圧力も掛かりませんから、
事故発生から20年以上が経過した現在でも、
この危険な道路構造は放置されています。
(おかげで、こうして検証記事が書けるのですが。)

この裁判を道路交通システム全体の中に位置づけて捉えると、
判決がどれほど不条理なものかが浮かび上がってきますね。

カーブの途中に設置された横断歩道

街路樹と街灯の位置も問題
そもそも、カーブの内側に植栽をすべきではない

歩道の車道寄りの端に植えられた街路樹
幹から縁石の端まで約30cmしかない


4. 裁判の手続きに問題が有る

この記事では、歩行者が歩道上から十分な安全確認をする事は
道路の構造から不可能だった蓋然性が有ると指摘しました。

事故当時もこれと全く同じ状況だったかどうかは不明ですが、
少なくとも事故の直後に再現実験を行なっていれば、
過失認定を左右する、こうした重要な事実は分かっていたはずです。

しかし判決文を読むと、裁判官は法廷の中から出ずに
言葉の上での印象に踊らされ、恣意的な過失認定をした事が窺えます。

安楽椅子探偵やってないで現場に行け!



5. 事故状況の謎

ここからはおまけです。

歩行者(原告)の証言では、
事故現場の道路からトラックが脇道に右折進入し、
ライトを点灯させたまま停車していたとされています。


判決文では特定されていませんが、脇道とはこれの事でしょうか。
もしそうであれば、写真から分かるように一方通行出口ですから、
トラックは誤進入した事になります。(当時も通行方向が同じなら。)

となると、トラックが元の道路に復帰するために
後退で動き出すと考えるのが自然でしょう。

であれば、歩行者がトラックの動静に注意を重点配分した事を
過失と断定するのは難しくなります。

しかし、事故現場付近から30mほど離れた善福寺川沿いにも
脇道があり、こちらは一方通行規制が有りません。


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トラックが右折した先が少し離れたこの道路であれば、
そちらに気を取られたというのはやや不自然です。

あるいは、事故現場手前の西側の脇道という可能性も有ります。
その場合は、トラックと自転車(被告)がほぼ同じ方向に
見える事になります。

何とも詰めの甘い判決文です。