―歩行者と自転車との事故・自転車同士の事故の裁判例』
交通事故の過失相殺を研究する弁護士の会がまとめた本で、
2009年に出版されています。
(このシリーズは初版第1刷に基づいて書いていきます。)
内容は、過去の判例を挙げながら、
歩行者と自転車の事故、自転車同士の事故の
過失相殺について議論するものです。
私は交通事故裁判での過失相殺について素人ですが、
この本で紹介されている判例や、それに関する本書の議論には
根本的に間違っている点が有ると感じます。
今回は個別の判例には立ち入らず、
全体的な印象として、以下の問題点が有った事を指摘します。
(具体例は次回以降の記事で書きます。)
- 「人は間違いを犯さない」という非現実的な想定をしている。
- 事故原因を紛争当事者のみに求めている。
何を置いてもまずはこれ。これが最大の問題点でしょう。
交通事故裁判においては、「人は間違える生き物である」という
当たり前の事実が無視され、当事者の僅かなミスまでもが
過失として責め立てられているように思えます。
実際には、交通事故の背景には
- 道路交通システムがヒューマンエラーに対して脆弱である事
- 道路関連法令に不備が有り、事故リスクを吊り上げている事
- 自転車の交通安全教育の機会が極端に限られている事
裁判の場においては、何か手続き上の制約が有るからか、
これら当事者以外が生み出してきた過失に全く目を向けていません。
その皺寄せが事故の当事者に集中し、
公平ではあるものの不条理なまでに厳しい
過失認定に繋がっているように思えます。
この構図はまた、個々の交通事故の教訓が
道路社会の改善に何ら活かされない理由の説明にもなるでしょう。
次はこれ。
- 自転車の無法運転を容認している。
- 自転車の歩道通行を当然視している。
いやー、あまりにショッキングな判例が有りました。
一方の当事者が車道を逆走したり一時停止を無視したりしているのに、
過失割合の検討ではそれらが軽視されたり、
完全に無視されたりしています。これは酷い。
道路交通法の根幹を蔑ろにした悪質な判決で、
歴史的誤判と言っても良いでしょう。
4は、そもそもなぜ日本では自転車が歩道上を走っているのか、
その歴史的経緯や、異常性が理解されていないと思しき
判例についての指摘です。
それから最後にこんな問題点も。
- 事故状況を検討する上で客観性が欠如している。
- 車道における自転車の立場を理解していない。
5は、客観的な証拠が無いままに、証言の微妙なニュアンスで
過失が判断されてしまっているという問題。
6は、常日頃から自転車で車道を走っていないと分からない
安全上の知識や感覚が、司法の場にはまるで共有されておらず、
過失の認定結果などを大きく歪めているという問題です。
これは、自転車に関する道交法規定の問題点が
見過ごされている事にも関係します。
以上、幾つか問題点を挙げました。
具体例はシリーズの続きで書いていきます。
2 鎌倉市の車道上での事例
3 台東区の歩道上での事例
4 下京区の自歩道上での事例
5 杉並区の横断歩道上での事例
6 こまごまとした問題点の指摘
7 青梅市の交差点での事例