2013年6月12日水曜日

『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (2)

『自転車事故過失相殺の分析』の感想で、前回からの続きです。

今回から個々の判例とそれに対する本書の論評について、
具体的に問題点を指摘していきます。

(但し、この記事では本書で説明されている
大まかな情報のみに基づいて、それぞれの事故を検討しています。
引用された判決文でも事故状況の詳細までは分からないので、
的外れな指摘になっている場合が有ります。)




まずは本書所載の判例の中でも特に
ショッキングだったこれから見ていきます。

p.371
(4) 判決が認定した事実関係

「原告は、平成11年5月31日、ドロップハンドルで18段変速ギア付きの
サイクリングタイプの普通自転車(以下「原告自転車」という。)に乗って、
江の島方面をサイクリングした後、

午後0時20分頃、神奈川県鎌倉市山崎1181番地付近の道路上(*1)の
西側歩道寄りを藤沢方面から大船駅方面に向けて自転車に乗って、
時速約25キロメートルの速さで走行していた際、

ドロップハンドルであるため前屈みの姿勢で、視線を前方下に落とした状態で
加速していたため、前方の注視が不十分となった(*2)結果、

進行方向先8メートルほどの道路上の西側歩道寄りを、被告が大船駅方面から
藤沢方面に向かって婦人車タイプの普通自転車(以下「被告自転車」という。)で
走行してくることに気付くのが遅れ、

前記のとおりスピードが出ていたこともあって止まりきれず(*3)、

また、一旦左によけようとしたものの、歩道上にはモノレールの支柱が
設置されていたため歩道脇のブロック塀との幅が狭いために
通り抜けられないと判断し、また右にハンドルを戻したが、

モノレールの支柱に衝突し、その勢いで、前のめりのまま原告の頭が、
別紙図面1及び2の(×)の地点で自転車にまたがった状態で既に
停止していた被告の顔の中央に飛び当たった。」

引用中、適宜改行とマーカー着色、註番号を加えました。

*1 正確には「道路上」ではなく「車道上」です。
道交法第2条の定義上、「道路」には「歩道」も含みます。

*2 これだけではどの程度俯いていたのかが分かりません。
  「ドロップハンドル」という先入観で判断が歪められている可能性が有ります。

*3 天候が不明ですが、乾燥したアスファルト路面であれば
  0.8秒、2.9mで止まれるはずです。急ブレーキを掛けるのが
  却って危険な状況だったのかもしれません。

判決では、

p.145
被害者が右側通行であることは、そもそも争点にもならず
加害者側の回避行動と被害者側の回避行動を比べ、
加害者側がスピードを緩めずにハンドル転把によろうとしたのに対し、
被害者側が停止して回避しようとした点を過失判断の要素とし、
当該事故においては、前者の過失を100%として後者の過失を0%

// マーカー強調は原文に無し。以下の引用箇所でも同様。
// 「加害者」は順走していた原告。「被害者」は逆走していた被告。

としています。

(以降、分かりやすさのために便宜上、
順走していた原告を「ロードバイク」(*4)、
逆送していた被告を「ママチャリ」と表記します。)
*4 スポルティフやランドナーだったかもしれませんが、詳しく書かれていません。


事故現場

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p.371の注記を読むと、この裁判は
衝突が偶然の事故だったのか、
それとも故意による傷害だったのか
を争うものだったようですが、ここでは本書の趣旨に則り、
あくまで事故の過失認定問題の題材として捉えます。



1. 逆走を容認している

まず、裁判官は、ママチャリの逆走という
あからさまな違法行為を完全に無視し、
過失割合の判断材料から除外しています。

しかし、道交法が左側通行を定めているのは、
まさに本件のような危険と混乱を防止するためであるはずです。

ママチャリが逆走などしなければ、そもそも
こんな事態には至らなかったのに、ロードバイクの
衝突回避の仕方だけに目を付けての過失100%はあまりにも酷い。

歴史的誤判と言っても良いのではないかと思います。

この点については本書(p.371)も、
左側通行義務に違反していた点を
考慮しなくてよいのかという疑問もあるが、
と、一応指摘しています。



2. 急停止の危険性の違いを無視

順走自転車と逆走自転車とでは、
車道上で急ブレーキを掛ける事の危険性に
大きな違いが有ります。

まず、順走自転車は不用意にブレーキを掛けると
後続車に追突されるリスクが有ります。

また、自転車は元々後方を確認する事が困難な乗り物ですが、
本件のように前方に危険が迫っている場合は
後方確認の余裕自体が有りません。

ですから、事故当時、実際にロードバイクの後方に
後続車が接近していたかどうかとは関係なく、
急ブレーキを躊躇った判断は合理的と言えます(*5)。

*5 後続車が車であればエンジン音で察知できますが、
自転車の場合はほぼ無音であり、察知は非常に困難です。

これに対して、逆走自転車は基本的に追突される恐れが無く、
接近する車両も正面に見えていますから、安全に急停止できます。

以上から、ロードバイクがブレーキではなく
ハンドル操作で衝突を回避しようとした事を
そのまま過失と認定するのは不適切だと言えます。



3. ママチャリの停止位置の悪質さを無視 

逆走ママチャリが停止した位置については、
原告主張の図(p.370)でも被告主張の図(p.370)でも、
車道の幅に余裕の無い、モノレールの支柱の真横とされています。

つまり、ちょうどロードバイクの進路を妨害する位置で止まった事になります。

ロードバイクにとって、急ブレーキは前述のとおり危険ですし、
左の歩道上は狭くて通行できず、右に急旋回して回避しようとすれば
後続車に追突される恐れが有る。

こういう状況をママチャリは作り出したわけです。

ママチャリ視点から見た事故現場 (C) Google
逆走ママチャリが停止したと思われる地点に赤い×印を付けた

しかし、もしママチャリが(ママチャリ視点で)それより数メートル手前
の地点で停止していれば、車道端には広いスペースが有りました。
車道外側線の外のスペースにママチャリ自身が待避しても良かったし、
或いはロードバイクがそこに回避できたかもしれません。

この道路構造はママチャリからは容易に視認できたと考えられますが、
ロードバイクからはモノレールの支柱に遮られて見えにくかったと考えられます。

ですから、この状況では、わざわざ不適切な位置まで進んで
停止したママチャリ側に重大な過失が疑われます。



4. 自転車の注意配分の特性を無視

ロードバイクが逆走ママチャリに気付くのが遅れた理由は
前傾姿勢で視線が下向きだったからとされていますが、
本当にそうでしょうか。

事故当時の詳細が分からないので以下は憶測になりますが、
仮にロードバイクが顔を上げて正面を見ていても、
ママチャリを発見できなかった可能性が有ります。

車道の左端を走る自転車は、その通行位置の関係上、
前方やや左寄りを注視する時間が多くなります。
これは、左側からの歩行者・車の飛び出しに対して
安全マージンが極端に薄いからです(*6)。

*6 車の場合は左右どちらも安全マージンは同程度。
自転車と車では注意配分ストラテジーの基礎条件が全く異なる。

況してや、現場の道路は左手にモノレールの支柱が
立ち並んでおり、死角が断続的に生じています。
通常よりも余計に左前方に注意力のリソースが割かれ、
右前方への警戒が手薄になる環境と言えるでしょう。
 一方、ママチャリは、この地点の手前で車道を
斜め横断をしています。(p.370の図とp.371の記述から。)

これはロードバイクからすれば、警戒が手薄な方角から
ステルスで突っ込まれるようなものです(*7)。

*7 車とバイクの間で起こる右直事故では、
バイクのライダーが対向右折車を見落としがちな事も
原因であるとの説が有るようです。本件と似ています。

これが事故当事者の認識と一致しているかどうかは
分かりませんが、もしそうだった場合、
過失割合は修正する必要が有るでしょう。



まとめ

この判決に対して本書では、

p.371
Bが左側通行義務に違反していた点を
考慮しなくてよいのかという疑問もあるが、
Aの前方不注視等の過失が大きいのに対して、
Bが既に停止していたことを総合的に考えると、
Bについて過失相殺をするまでのことはないとも考えられよう。

と評価しています(Aはロードバイク、Bはママチャリ)。

しかし、

  • 車道上での急停止の危険度が両当事者間で大きく違う事
  • ママチャリの停止位置が悪質だった事
  • 注意配分の制約が両当事者間で大きく違う事

などを考慮すれば、この評価は
極めてバランスが悪く感じられます。