2013年6月10日月曜日

内堀通りの改悪

(2013年6月10日修正) 

都電の歴史資料を見ていたら、こんな写真が有りました。


『都営交通100周年 都電写真集 都電』 2011 東京都交通局

p.72掲載の写真(部分)

撮影年は記載されていませんが、
解説に「9系統渋谷駅前行き」とあるので、
9系統が廃止される1963年以前でしょう。

さて、この記事で改悪と指摘したいのは路面電車の部分ではなく、
都電の軌道と日比谷公園(写真左手)に挟まれた車道部分です。

同地点の現在(Google Map)

この地点では、数寄屋橋で地下に潜った自動車専用のトンネルが
地上に合流してくるのですが、その手前で
二輪と四輪の車線を左右に振り分けています。

その分岐を予告する路面標示と、分岐のジオメトリが
都電時代と現在では異なっています。

日比谷交差点から見た同地点(Google Map)



1. 路面標示の改悪

都電時代は二輪・四輪それぞれを
誘導する路面標示が分岐地点の手前に有りました。

しかし現在では四輪向けの標示は消され、
二輪向けの路面標示は分岐が始まった先にしか書かれていません。
この為、二輪や自転車はこの路面標示を事前に視認する事ができず、
分岐地点に差し掛かった時に見落とすリスクが有ります。

都電時代の路面標示

現在の路面標示



2. 分岐ジオメトリの改悪

さらに、分岐のジオメトリ自体も都電時代と現在では大きく変わっています。
都電時代は、二輪用の車線がずっと直線である一方、
四輪用の車線の幅が減少する形で分岐に対応していました。

しかし現在では四輪用の車線が直線となり、(四輪車にとっては改善)
分岐地点で二輪用の車線が左に枝分かれする形になりました。

日比谷交差点から法務省方面を望む
左に分岐する二輪車用の車線は死角に入っている

このため、車道の左端を通行する原付や自転車からは
直前まで分岐が見えず、ここを初見で通る運転者は
進路変更の準備をしておく事ができなくなりました。


分岐の開始点まで来ても路面標示は読みづらい

実際に現地を走ってみると分かりますが、この左への分岐は
車線幅も狭く、分岐角度も急(約12度)なので、

日比谷公園の管理車両用の通路か何かかな?

と思ってしまいます。

(現在都内では、二輪と四輪の車線が
物理的に分岐する構造は極めて稀です。
この為、前方に分岐を視認できても、それが
二輪と四輪を分けるものとは即座に判断できません。)

また、現地を30km/h程度で走った場合、この分岐角度では、
分岐の開始地点から導流帯の先端まで2秒も掛かりませんから、

「あれ? 何だこれ?」

と思っている間に通り過ぎてしまいます。

さらに、分岐の前後には緩和曲線が無く、
分岐後の車線幅も狭いので、事前に相当減速しておかないと
コースアウトして縁石やバリケードに衝突する危険が有ります。

しかし分岐部の手前に減速を促す標識は有りません。
単に「二輪車事故多発」と言うだけの看板なら立っていますが、
それも街路樹に隠れてるんですよね。



3. 周辺環境の改悪

分岐部付近の歩道上には、都電時代には特に何も有りませんでしたが、
現在は背の高い街路樹が植えられている為、
二輪車用の車線が死角に入っています。

それだけでなく、二輪車用の車線が街路樹の影に入るので、
影と日向の明暗差が強い日中は、
二輪車用の車線が見落とされやすくなります。

(最近までこの分岐の導流帯の上には仮設の工事事務所が立っていました。
その所為で、二輪車用の車線は「車道っぽく」見えず、
工事の作業用通路と誤認されやすい環境でした。)


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これらの問題点がどういう事態を引き起こすか、
もうお分かりでしょう。

原付や自転車が左手の分岐路に気付かずに通過してしまい、
その先にあるトンネル出口との合流部で
地下から出てきた四輪車用の車線の右側に出てしまうのです。
(私は一回、まんまと引っ掛かりました。)

かといって、ひとたび分岐箇所を通過してしまえば
車道上を後戻りするのも危険。

まさに前門の虎、後門の狼ですね。