2018年1月2日火曜日

自転車ナビマークの原点、西葛西の生活道路

西葛西3-8-2地先の生活道路(地図URL)。
警視庁の考案した自転車ナビマークはここから始まった。(2017年4月撮影)

近頃は交通の激しい幹線道路の車道部分への見境ない設置で批判されることが多い自転車のピクトグラムですが、2012年に試験導入された当初(*)は写真のように車の少ない生活道路が対象でした。

* 上野嘉之 (2012) 自転車路示す「ナビマーク」、都内初設置 西葛西駅周辺, cyclist. Available at: https://cyclist.sanspo.com/946 (Accessed: 1 January 2018).



道は途中から広がり、歩道付きの2方向 × 1車線道路になる。
場所は西葛西3-22-21地先(地図URL)(2017年4月に撮影)

こちらでは自転車のピクトグラムが既に消え掛かっていて、青色の帯状ペイントだけが目立ちます。正式な自転車レーンである「普通自転車専用通行帯」と見た目が似ていて紛らわしいですが、これは単なる通行位置の目安ですね。

帯状ペイントの幅は安全上必要な最低限の幅(*)を明らかに下回っています。必要最低限の幅を確保できないなら自転車レーンは設置しない方がむしろ安全であるという海外の経験が活かされていません。

* 日本国内の現行のガイドラインでは自転車レーンの幅を1.0mまで狭めることが容認されていますが(国土交通省・警察庁(2016)「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン 改定版」p.II–17, pdf p.55)、レーンが狭すぎると、自転車が何らかの原因で不意にレーンからはみ出した際に車と衝突するリスクが高いため、欧州では1.5mが最低幅とされています(PRESTO "Fact Sheet: Cycle Lanes")。


ゾーン30標識と極細擬似レーン(撮影地、撮影日は同上)

青いペイントと車道中央線の間の幅は乗用車でもギリギリですね。自転車と車の間の安全マージンという概念が無いんでしょうか。この幅の車道にまともな自転車レーンを設置しようとするなら自動車に対する一方通行化は必須でしょう。それをするつもりが無いなら帯状のペイントなどせず、単なる混在通行とすべきです。元よりゾーン30指定の生活道路という好条件ですから、レーンによる視覚的分離は不要です。

画面左上の標識は、歩行者が道路空間全体を使えること、車には最徐行を求めること(*1)を意味する欧州の (woon)erf 規制の図案をコピーしたもので、これをゾーン30標識として流用することがどれほど不誠実な事かは以前も指摘しました(*2)。

*1 Reglement verkeersregels en verkeerstekens 1990, Artikel 44, Artikel 45
*2 このブログ(2017-08-23)「品川通りの自転車歩行者道(南側)

ここで改めて指摘しますが、この図案は、交通戦争時代に失われた多数の子供の命と、生活空間としての道路を取り戻すために人々が決起し、戦った歴史の象徴とも言えるものなので、その経緯を調べもせずにゾーン30(woonerfより歩行者の空間利用権が制限され、車の自由な通行が優先される)の標識として軽々しく使う警視庁・交通規制課の姿勢は許しがたいのです。

2018年1月3日追記{
上の段落は大きく誤解させそうなので補足すると、erf標識を市民運動の歴史の象徴と捉えているのは私個人で、ヨーロッパの人がどう捉えているかは分かりません。



ストレスの低い穏やかな交通環境(撮影地、撮影日は同上)

冒頭の話に戻ると、警視庁は当初、車道通行のリスクが低いこのような環境に限ってナビマークを設置する判断をしていました。同時期の雑誌インタビューでもその方針が明確に表明されています(リンク先のPDFは近々公開終了になりそうなので閲覧はお早めに)。

日本自動車教育振興財団(2012)自転車ナビマーク導入の経緯, Traffi-Cation, 30, p.7
警視庁交通部交通規制課

// 中略

私どもは自転車の走行空間整備とは、自転車を自動車、歩行者と完全に分離して走行空間をネットワーク化することだと考えています。その基本は自転車道や自転車レーンであり、これから新設、あるいは拡幅する道路ではこれらの設置を踏まえて整備を進めていきますが、都内ではなかなか道路の新設や拡幅ができない状況にあります。このため、現在の道路状況の中で自転車は車道が原則ということを認識してもらうため、自転車ナビマークを路肩近くに設置していきます。しかし、ただ路肩近くに設置するのではなくて、設置した場所を自転車が通行することによって、安全も確保されないといけないと考えております。

// 中略

今後はモデル地区以外の場所でも、路線や区間を決めて自転車ナビマークを設置していきたいと考えています。具体的な場所はこれから決めていきますが、自転車ナビマークを車道上に設置しても、自転車利用者の安全性が確保されるよう、慎重に検討していきます。
しかしその慎重さ(言い換えれば自転車利用者の生命についての責任感)は今、完全に失われた感があります:

2018年1月5日追記{

この記事を読んで、
  • 「幹線道路の車道端に自転車ナビマークが設置されたことで、私は以前より安心して車道を自転車で走れるようになった。ナビマークの何が悪いのか?」
  • 「自転車は車道通行が原則なのだから、車道にナビマークを設置するのは良いことなのではないか?」
と思う人がいるかもしれないので、問題点を整理しておきましょう。


1. 今まで歩道を走っていた人にまで車道通行の圧力が掛かり始めた


幹線道路へのナビマーク設置は元から車道を走っていた自転車利用者にとっての安全性を少しでも高めるためという名目で暫定的に容認されているだけです。ナビマークを設置したからといって車道通行が歩道通行より安全になるとの客観的根拠はなく、国土交通省の委員会事務局からは、今まで歩道を走っていた自転車利用者にまで車道通行を強制する事はない、との公式見解が出ています(*1)。

*1 国土交通省 (2016-02-25) “資料1 パブリックコメントの概要”, p.3, 第7回 安全で快適な自転車利用環境創出の促進に関する検討委員会. Available at http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf10/07jitensha_shiryou1.pdf (Accessed 05 Jan 2018)

しかし、強制とまでは行かないまでも、現実にはナビマーク設置路線に「自転車は自転車ナビマーク上を通行しましょう」という際どい多義性(*2)を持つ看板が立てられていたり、警察官が歩道を行く自転車に車道に降りるよう街頭指導するという、黒に近いグレーゾーンを攻めた施策が展開されています。

もし自転車利用者がそれらの指導に従って車道を走り、車に撥ねられて大怪我をしたり死亡しても、「我々警察は強制していない」と言い逃れできてしまう、たちの悪い状況とも言えます。

*2 歩道上の自転車に「(車道の)ナビマーク上を通行しましょう」と言っているとも取れますし、車道上の自転車に「(車線の中央や右端ではなく)ナビマーク上を通行しましょう」と言っているとも取れます。


2. 車道通行原則は所与の空間の利用ルール。空間の設計上の根拠ではない。


道路交通法は「こういう道路ではこう通行しなさい」というルールを定めたものに過ぎず、「どういう道路を作れば良いか」については何も言っていません。「交通ルールで車道が原則だから自転車の通行空間は車道上に整備しよう」というのは論理が倒錯しています。

交通の激しい幹線道路では車の流れから構造的に分離・保護された自転車専用の通行空間が必要というのが海外諸国の設計指針(*1)で一致している考え方ですし、通行台数当たりの事故件数でリスクを比較した研究でも、普通の車道通行に比べて自転車道や自転車レーン通行時の事故リスクが有意に低いという結果が出ています(*2)。

*1 オランダ、イギリス(ロンドン)、ニュージーランド、ドイツ、アメリカ、デンマークの各指針。詳しくは、以前公開した意見書の第1章の1.2節(pp.2–18)に書いたのでそちらをご覧ください。
*2 Teschke, K. et al. (2012) ‘Route Infrastructure and the Risk of Injuries to Bicyclists: A Case-Crossover Study’, American Journal of Public Health, 102(12), pp. 2336–2343. doi: 10.2105/AJPH.2012.300762.

さらに、整備したインフラが実際に利用されるかどうかという点では利用者の主観的な安心感が大きな要因です。歩道上での歩行者と自転車の混在を本当に解消したいなら、安心感を確保する上で非力なナビマークより、自転車道や自転車レーンの方が、問題解決志向の選択と言えます。

現在の警視庁の動きは、「車道通行原則」という一見尤もらしい、しかし論理的な妥当性も客観的な裏付けもない、言わば信仰のようなものに依拠しており、科学の敗北と言わざるを得ない状況なのです。


3. ナビマークは本来必要なインフラの整備機運を削ぐ token にも


前述のように幹線道路でのナビマークは本来は暫定措置としての位置付けですが、ナビマーク導入を強く働き掛けてきた自転車活用推進研究会の指導的地位にある小林成基氏は、ナビマークを暫定措置ではなくそのまま完成形態として社会に浸透させる事を目指していると取れる発言を昨年末のシンポジウム(*1)でしています。

*1 第二東京弁護士会 (2017-12-06) シンポジウム「自転車活用推進法をどう活かすか」

今のところ、この要望は国の正式な指針には反映されていませんが、他ならぬ自転車利用者団体が「自転車道は要らない、ナビマークで十分だ」と強く迫れば、元より車の交通容量を減らしたくない警察にとっては好都合な話ですから、ナビマークが token として便利に使われるようになる未来は容易に想像できます。

というのも、1970年代のアメリカに悪しき前例があるからです。John Forester 氏の Vehicular Cycling 思想(「サイクリストは車のドライバーとして振る舞い、扱われる事で、速く安全に楽しく走れる」*2)に感化されたスポーツサイクリストたちは自転車インフラの整備計画に激しく抵抗し、そのままの車道を一台の車両として走れるよう要求したため、その後数十年間に亘って、一般的な人には怖くて自転車に乗れない道路環境が放置される事になりました(*3)。小林氏の主義主張は、この Forester 氏の思想にあまりにも似ています。

*2 同氏のウェブサイト(http://www.johnforester.com/)所載の文、“Participating in, cooperating with the traffic system, obeying the same rules of the road as other drivers, acknowledging their rights while claiming your own, that's the key to safe and confident cycling in traffic. Vehicular cycling, so named because you are acting as the driver of a vehicle, just as the traffic laws require, is faster and more enjoyable, so that the plain joy of cycling overrides the annoyance of even heavy traffic. ” から。
*3 このブログの過去記事「古倉博士が講演会で言わなかった事」の最後の節で詳しく書きました。





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