2014年1月28日火曜日

現代版「瓜田李下」と法規制 (2)

前回からの続き。

運転中の携帯電話やスマートフォンの使用について、
日本の道路交通法には次のような規定が有りますが、
なんとも突っ込みどころ満載な内容です。

こんなんでウェアラブルコンピューターが押し寄せてきたら
またぞろ交通事故が増えそうです。



道路交通法 第71条 第5号の5
自動車又は原動機付自転車(以下この号において「自動車等」という。)を運転する場合においては、当該自動車等が停止しているときを除き、携帯電話用装置、自動車電話用装置その他の無線通話装置(その全部又は一部を手で保持しなければ送信及び受信のいずれをも行うことができないものに限る。第百二十条第一項第十一号において「無線通話装置」という。)を通話(傷病者の救護又は公共の安全の維持のため当該自動車等の走行中に緊急やむを得ずに行うものを除く。第百二十条第一項第十一号において同じ。)のために使用し、又は当該自動車等に取り付けられ若しくは持ち込まれた画像表示用装置(道路運送車両法第四十一条第十六号 若しくは第十七号 又は第四十四条第十一号 に規定する装置であるものを除く。第百二十条第一項第十一号において同じ。)に表示された画像を注視しないこと

うーん、酷いですね。



1. 自転車や歩行者に規制が及ばない。

道路交通法は「道路における危険を防止」(同法第1条)ために
存在する法律ですから、交通の場に参加する人は全て対象に入ります。

実際、車だけでなく自転車や歩行者についても、
歩行者は歩道を通行しなさい(第10条 第2項)とか、
自転車は自転車横断帯を通りなさい(第63条の7 第1項)
などと定めていますね。

しかし、移動中に画面を注視するなという規定は
何故か自転車にも歩行者にも及んでいません。
これは道交法本体に限らず、同施行令、施行規則、
更には各都道府県の施行細則に至るまで同じです。

あれだけ「ながらスマホ」で事故が起こってるのに。



2. 停止していれば良いとしている。

時々見かける光景ですが、交差点での信号待ちの間に
スマートフォンを取り出して操作を始め、
信号が青になっても暫く気付かないドライバーがいますね。

また、青になって車を発進させてからも
暫くの間、手に持ったスマートフォンに
チラチラと目をやり続けるドライバーもいます。

これが実態です。

何故こうなるのかと言えば、信号というものが
ドライバーの意思とは無関係に動作するものだからでしょう。
携帯機器の操作を止めるタイミングを
ドライバーが自分で決められないので(*1)。

*1 本当は、青信号に気付いても落ち着いて機器を仕舞い、
安全確認をしてからゆっくりと発進すれば良いんですが、
それだと「後続車の迷惑になる」という判断が働くのでしょう。
こんな所にも、安全第一ではない車文化が垣間見えます。

思うに、道交法 第71条 第5号の5 は
単に「こうしてほしい」という希望を述べているだけであって、
法律に対してドライバーが現実にどう反応するかまでは計算に入れていません。

上のような〈ながら発進〉の例を考慮するなら、
単に停止中というだけでは駄目で、

  • 駐車場など、交通流から離れた場所に車を停め、
  • 且つパーキングブレーキを掛けた状態である事
  • (更に、理想的にはエンジンを切った状態である事)

などの条件を設定すべきです。

車を再発進させるのに必要な手順が増えるほど、
安全確認しないまま発進してしまう
という事態を防ぎやすいと考えられるからです。



3. ハンズフリーなら良いとしている。

道交法では、手で持つ必要が無い機器なら良いとしています。
これは各都道府県の道路交通法施行細則でも同じで、
外の音が聞こえなくなるようなイヤフォン型でなければ良いとしています。

しかし、たとえ眼球が前方を向いていても、
会話の内容に集中すると視覚情報の処理に支障を来します。
携帯電話で通話していると、例えば、

  • 周辺視野の刺激に気付きにくくなる(*2)
  • 見落としや誤反応、反応の遅れが増える(*3)
  • 左右の目の注視点がずれる(視覚処理能力の低下を示唆)(*4)

などの害が有る事が実験で分かっています。

*2 江部和俊,大桑政幸,稲垣大(1999)
「ドライバの視聴覚認知に伴う負担度評価」
『豊田中央研究所 R&D レビュー』Vol.34, No.3, pp.55-62

*3 金光義弘(2000)
「運転中の携帯電話使用に伴う認知的エラーの実験的分析」
『川崎医療福祉学会誌』Vol.10, No.1 pp.49-53

*4 内田信行、浅野陽一、植田俊彦、飯星 明(2005)
「携帯電話会話時における運転者の注意状態評価について」
『国際交通安全学会誌』Vol.30, No.3, pp.57-65

この他にも、各国・各機関から多数の論文が出ています。
警察の付属機関である科学警察研究所からも、
運転中の携帯電話の危険性を指摘する論文が出ているそうですが(*5)、
そうした理系の人材は本庁での政策決定に関与できていないのでしょうか。

*5 武藤美紀(1997)「運転中の携帯電話の使用に関する一考察」
『科学警察研究所報告 交通編』Vol.38, No.1, pp.27-38
※私自身はまだ中身を読めていません。

この「ハンズフリーなら良い」という規則が成立するに至った経緯を
国会会議録で読んでみたのですが、

  • 運輸委員会
  • 地方行政委員会
  • 交通安全対策特別委員会
  • 地方行政・警察委員会
  • 衆参本会議

いずれの会議にも、認知心理学の専門家が登場しません。
唯一見付かったのが、専門家ではないJAFメイト社長の岩越和紀氏が
伝聞でちょろっと言及するだけというものでした。


参議院 地方行政・警察委員会 9号 平成11年04月22日
○参考人(岩越和紀君) JAFメイトの岩越でございます。

// 中略

自動車を運転する心理学の先生方のお話をお聞きしますと
やはり意識のわき見といいますか、話していることに集中してしまって、
目は前方を見ているんだけれども意識は話し相手に行っていて
注意力が散漫になる、この状態で歩行者の飛び出しでもあれば、
確実にブレーキを踏むタイミングがおくれる
というような結果がありますので、

出所がハッキリしない情報ですが、
そもそも認知科学的な視点が国会に持ち込まれる事自体が貴重なので、
出席議員には食い付いて欲しいところです。しかし、

○岩瀬良三君

// 中略

ただ、携帯電話にしろカーナビにしろ、今後またいろいろ使われていくものだろうというふうに思うわけですけれども、カーナビの点でいきますと、先ほど来話がありましたように、交通をしていく上での参考として発達してきたというような経緯から見ると、これを見ないというのもちょっとと思うし、余りこれを見ていると事故が起きるというようなことだろうと思うんです。
これらについて、外国などではどのような取り扱いにしているんでしょうか。こういう点がおわかりになれば、岩越参考人にちょっとお願いしたいと思います。

という、思考を放棄したような雑な質問しかしていません。
ところで、会議録の続きを読んでいるとこんな発言が有りました。

○岩瀬良三君 それから、たまたまきょうの日経を見ていましたら、
携帯電話に文字情報提供」というようなことが出ておりまして、

ああ、そうか。
携帯電話がまだ純粋に電話機だった時代なんだ。
そんな太古の昔に成立した法律が、修正されずに残ってるんですね。



4. 車と原付で謎の区別

注視してはいけない対象から除外されている装置として、
車の場合はバックミラーや速度計、走行距離計などが挙げられていますが、
何故か原付は速度計だけです。

道路運送車両法
  • 第41条 第16号は自動車の「後写鏡、窓ふき器その他の視野を確保する装置」
  • 第41条 第17号は自動車の「速度計、走行距離計その他の計器」
  • 第44条 第11号は原付の「速度計」

これは謎ですね。原付だってバックミラーを見る必要は有るでしょう。
車は車で、走行中にオドメーターを見る必要なんか無いと思うんですが。



5. 注視でなければ良いとしている。

これが一番トリッキーな文言だと思います。

人は自分が対象を「注視」しているかどうかを
客観的に判断できるのでしょうか。

進路前方を視界に入れつつ携帯の画面を見ている時に、
それぞれの視覚情報がどのくらい処理され、
或いはどのくらい破棄されているのか、
メタ的に認知できるのでしょうか。

実証研究を知らないのでハッキリした事は言えませんが、
個人的な感覚から言うと、かなり難しい、
というか、殆どできてないんじゃないかと思います。

これは Google Glass のように、視線を大きく動かさなくても
画面を見る事ができる装置の場合は非常にクリティカルに効いてくると思います。
視線を動かさなくて良いという事が認知負荷の客観視を妨げ得るからです。

サイクルコンピューターの場合で考えてみましょう。
コンピューターをステムに取り付けた場合、
頭を下に大きく傾けないと画面が視界に入りません。

しかし、その事で却って、

画面を見ている時は前方が見えなくなる

という事が強く意識されます。私の場合は。
画面を見ようとする時は、見通しの良い区間を選んで、
遠くまで危険が無い事を予め確かめざるを得なくなります。

これがライトマウントなどを介してハンドルバーの前方に移った場合、
或いはゴーグル内蔵型になった場合どうなるでしょうか。

視線をちょっと動かすだけで画面が見えるので、
実際は心拍数やケイデンスの数字に集中してしまっているのに、
「自分は前の風景もちゃんと見ている」と誤認してしまうかもしれません。