「双方向通行の自転車道は危険である」という主張の
根拠として引用される事もある論文ですが、かなり酷い内容ですね。
折角のデータを先入観で歪めて解釈してしまっています。
また、論文では新しい自転車通行空間の提案もされていますが、
海外の知見は活かされておらず、旧来の日本の道路構造に
軽く手直しをする程度に留まっています。何と狭い思考の枠組みか。
という事で、注意喚起の意味も込めて感想文を書きました。
武田圭介、金子正洋、松本幸司(2008)
「自転車事故発生状況の分析と事故防止のための交差点設計方法の検討」
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00039/200811_no38/pdf/94.pdf
p.2
(1)自転車道
a)双方向性に起因する問題
自転車道は『一の車道』として双方向に通行可能である。
一方で細街路から幹線道路に進入しようとするドライバーは、
左側通行の原則に従い右方向に注意が向きがちで、
自転車道上を車道と逆方向に進入してくる自転車に対しては、
十分な注意が払えないおそれがある。
前述した細街路の事故状況をみても、
車道を逆走方向で進行する自転車による事故の割合は
きわめて高くなっている(前掲図-7)。
それは杞憂です。
ドライバーが車道の逆走自転車を見落とすのは、そこが車道だからです。
逆走自転車が来る事を想定しろという方が無理な注文です。
その証拠に、同じ逆走でも歩道の車道寄りを走っている自転車の事故率は、
車道を順走する自転車と0.1ポイントしか違いません。
論文の p.2 より
つまり、ドライバーに自転車道が双方向通行だと
分かるようにしておけば、別に危険は有りません。
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それでも、細街路から幹線道路に入ってくるドライバーは
右に注意を向けがちだから、左から来る自転車は見落としやすい?
それは何も対策を打たない場合です。
ドライバーが自転車を見落とすのは、自転車以外にも歩行者やクルマなど、
あちこちに同時に注意を向けなければならないからです。
認知負荷が集中している場所で認知エラーが起こるのは構造的必然です。
従って、この問題は認知負荷を分散させれば解決します。
例えば、自転車道と車道の間に緩衝帯を挟んで、ドライバーが
自転車とクルマを別々のタイミングで確認できるようにすれば、
ドライバーが自転車を見落とすリスクは下がります。
p.3
(2)自転車レーン(交差点流入部での通行方法の混乱)
自転車レーンは一つの車線であるため、
左折車は自転車レーン上の道路の左側端を進行すべきである。
しかし、着色された自転車レーンは、自動車ドライバーにとっては
「車道ではない」と捉えられ、避けて通行してしまう恐れがある。
その場合、図-9 に示すように自転車と自動車との並進や、
左折車の動線がまちまちになるなどの問題が発生する危険性がある。
論文の p.3 より
左側端を進行すべきではありません。
左折車が自転車レーンに侵入してきたら、
自転車は進路を塞がれて交差点をスムーズに通過できなくなります。
クルマから自転車へのモーダルシフトを起こすためには、
自転車の旅行速度を下げるような策は御法度です。
それだけではありません。
左折車の車列は往々にして、
左折先の横断歩道で歩行者に阻まれて停滞しがちですが、
この時、自転車は左折車列の右側に抜けて前に進もうとします。
他者より1メートルでも前に出ようとするヒトの動物的本能が
如何に無鉄砲な行動を引き起こすか、甘く見てはいけません。
本能に操られたサイクリストにとって不幸なのは、
左折車列の右側に抜け出た途端に、
後続の直進車に撥ねられるリスクが有る事です。
つまり、安全の為の自転車レーンが
却って危険を誘発する事になるんです。
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では、自転車レーンを空ける事で生じてしまう
左折巻き込み事故のリスクはどうすれば良いのか。
簡単な事です。
自転車が直進している時にクルマが左折できてしまう
信号制御を改めれば済む話です。
交差する交通流を時間的に分離するのが信号機の本来の役割ですから、
自転車が通っている間は左折車に対して赤信号を出しておけば解決です。
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すると、クルマの交通容量が減るという反論が即座に上がるでしょう。
交通容量の削減こそ望む所です。
そもそも、なぜ自転車インフラの整備が必要なのか、
議論の出発点を忘れていませんか?
p.1
自転車は環境負荷が低く、5km 程度であれば
他の交通手段よりも所要時間が短いことがわかっており、
都市内交通手段として期待されている。
そうです。環境負荷を下げるためです。
交通容量が下がってクルマの旅行速度が落ちれば、
相対的に自転車が有利になって、5 km どころか
10 km や 15 km の道のりでも最速の交通手段に成り得ます。
そうすればモーダルシフトは一気に進むでしょう。
どうやら国交省の研究員の頭は、
未だにクルマ至上主義に染まり切っているようですね。
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でも、交通容量が下がれば渋滞が悪化して排気ガスが増えるのでは?
排ガス対策の基本は台数の抑制です。
渋滞が解消されれば、クルマが何万台走ろうが
排気ガスが一切出ないとでも思っているんでしょうか。
大衆に好き放題にクルマを使わせておいて
「もうCO2削減余地が無いんです」なんて虫の良い話は通りません。
電気自動車や燃料電池車も well-to-wheel で考えれば駄目ですし、
タイヤから PM 2.5 が出るのはガソリン車と変わりません。
生活習慣病や交通事故、広大な面積のアスファルト舗装による
ヒートアイランド現象という問題も有ります。
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さて、論文は調査結果を元に、
インフラの設計例を提示していきます。
p.3
a)細街路との交差点
自転車道の整備された幹線道路と細街路との交差点においては、
交差点部を巻き込むことが重要である。これにより
左折する自動車に対して視線を誘導する効果を持ち、
安全性の向上につながるものと考えられる。
論文の p.3 より
この設計は駄目です。
自転車とクルマの動線が交差する場所で
衝突事故を防ぐ最大のポイントは、
クルマの速度を落とさせる事です。
クルマの速度が充分落ちていなければ、
視線を誘導したところで大して意味は有りません。
ドライバーが自転車を視認できたとしても
手遅れになってしまうからです。
また、交差点の前後で自転車に縁石を乗り越えさせるのも、
乗り心地の低下と長距離移動の忌避を招きますから、
モーダルシフトの障害になります。
これらの要素が考慮できているなら、設計はこうなるはずです。
論文 p.3 の図を元に描き直した。
歩道も自転車道も連続させます。
縁石を乗り越えなければならないのはクルマだけです。
こうする事で、クルマの速度を強制的に落とし、
自転車と歩行者を優先的に通す事ができます。
歩行者と自転車が最優先。クルマは道を譲る。
これが自然に出て来ないという事は、やはり国交省の研究者の頭は
クルマ至上主義に毒されているようですね。
ただ、上の「設計例・改」には
まだ欠陥が有ります。
図で分かるように、細街路に左折しようとするクルマが
自転車道に鋭角に進入しています。
これでは自転車道の自転車がドライバーの死角に入ってしまいます。
そこで、自転車とクルマの交差角度が
できるだけ直角に近付くように、更に改良する必要が有ります。
そこまで考えた結果に行き着くのが、先にも紹介したこれです(↓)
自転車道と車道を隣接させず、間に緩衝帯を挟んでいます。
これによって、細街路に入ろうとするクルマは
より直角に近い角度で自転車道を横切る事になります。
自転車道の路面には両方向の矢印。
双方向通行を表す青い標識も左右に立っていますね。
見落としリスクを下げる工夫です。
また、緩衝帯の通路部分の形状にも注目です。
国交省の設計例では、歩道の縁石が曲線を描いていましたが、
これではクルマがスピードを落とさずに曲がれてしまいます。
論文の p.3 より(再掲)
しかし、オランダの道路は違います。
緩衝帯の通路部分は単純に四角く切ってあるだけです。
クルマが大きな旋回半径で曲がれないようにする工夫ですね。
(反対車線から進入するクルマには効き目が薄そうですが。)
国交省の設計例にはこうした配慮が欠けています。
現状を維持したまま小手先の改良で済ませようと
しているんでしょうか。
国土強靭化とか言って無駄金使っている余裕が有るなら、
こういう身近な道路構造こそ抜本的に作り直して欲しいものです。
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※最後に注意を。
この記事ではオランダの事例を殆ど手放しで誉めていますが、
オランダ国内の道路が全て良いわけではありません。
まだ最新の知見が反映されていない、古くて危険な道路構造も残っています。
現地視察に行く人はこの事を肝に銘じておくべきです。
自分一人で見て回って「多分これが良いんだろう」と
自己判断してしまうのは、視察に潜む大きな罠です。
公明党の某議員もこの罠に嵌まって、本当は危険な道路構造を
「海外の素晴らしい事例」と誤解していました。
(「自転車議連・PT大討論会の感想」を参照)
本当に有益な視察ができるかどうかは、
その対象について深い知識を持ったガイドを
確保できるかどうかに掛かっています。
ガイド無しの視察は単なる経費の無駄遣い、それどころか、
誤解に基づいて間違った政策を打ち出す事も有り得る有害なものです。
オランダの自転車インフラに関しては、
優れたガイドを一人知っているので、ここで紹介しておきます。
イギリスからオランダに移住したイギリス人の David Hembrow 氏は、
自転車活動家という経歴を活かし、オランダ人では却って気付かないような
外国人の視点からオランダの自転車インフラを解説する、
3日間のスタディー・ツアーを開催しています。
以上、宣伝でした。