2014年11月11日火曜日

方言の文法がアニメの脚本を左右した例(?)


selector infected WIXOSS 第5話で
〈バトルに3回負けると願いが反転する〉という秘密が明かされましたが、
反転した内容が具体的にどうなるかについては興味深い多義性が見られました。



selector infected WIXOSS 第5話
3回負けると、願いが叶わなくなるだけじゃない。
その願いが、マイナスにまで落ちるんだ。

例えば、富を得たいと願ったとする。
バトルに負ければ、持っていた全てを失い、貧しさに喘ぐ事になる。

例えば、ピアノが上手くなりたいと願ったとする。
弾けるピアノを失うか、弾ける体を失うか、
とにかく、ピアノを失う人生を送る。

「弾けるピアノを失う」という事は、
〈状況〉によってピアノが弾けなくなるので、
意味的には【状況可能】の否定です。

一方、「弾ける体を失う」は
本人がピアノを弾く〈能力〉を失う事なので、
【能力可能】の否定です(*1)。

*1 本当に? もしかしたら後天的な身体制約は状況可能に含まれるのかもしれない。

日本語の東京方言(共通語)が持つ可能表現では
この2種類の可能を区別できないので、アニメの脚本でも
2種類の反転パターンが生まれてしまったのだと考えられます。

もし上の台詞を発したキャラクターが近畿方言話者であれば、
  • ピアノを「弾かれへん」ようになる (状況可能の否定)
  • ピアノを「よう弾かん」ようになる (能力可能の否定)
と表現し分ける事ができる(*2)ので、
脚本の内容もそれに応じて変わっていたかもしれません。

*2 私は近畿方言話者ではないので、例文の言い方が不自然でないかまでは分かりません。
地域や話者の年代、他方言との接触歴によっても判断が分かれるかもしれませんね。



2014年11月11日追記

上の例で大阪方言を使ったのはあまり適当ではなかったかも。
大阪方言の「よー(何々)せん」という語形は
「(怖くて)できない」とか「(恥ずかしくて)できない」といった
【心情可能】に使われる傾向が有るそうです。

渋谷勝己「可能
大西拓一郎編(2002)『方言文法調査ガイドブック』pp. 7-27 所収

p. 15 (pdf p. 9)
たとえば大阪方言などでは、可能の副詞ヨーは心情・能力・内的条件可能を表すが、これらの意味は可能動詞(肯定)、助動詞(ラ)レル(否定)によって表すこともできる。
ただし、どちらの形式をより使いやすいかという点には違いがあり、副詞ヨーは心情可能に多く用いられやすいといった偏りが観察される。