「車道を走っている自転車がこれだけいるんだから幹線道路でも自転車道なんか要らないよね」という議論は、目の前に現われている利用者が、潜在的な利用者群の中から道路環境によって選別された一部分に過ぎない、つまりサンプリング・バイアスが掛かっているという事を忘れてるんじゃないでしょうか?
2015年6月26日 文章の整理、誤読の可能性が有った部分の修正、例示の追加。
よくあるサンプリング・バイアスのパターン
通勤時間帯しか見ていない
通勤では一分一秒を争う人が多いので、通行障害の多い歩道を選ぶ人は少なくなります。ラッシュを過ぎて昼時になれば、所要時間より安心感を重視して歩道を走る人が多くなります。(例: 白山通りの千石一丁目付近(場所))
外部サイトの関連記事
自転車ナビライン千石交差点の資料を検証する(1) 恣意的な国交省報告
並行する裏道を見ていない
自転車通勤している人でも幹線道路の車の脅威を嫌ってか、並行する静かな生活道路を選ぶ場合が有ります。また、近場での買い物などで自転車に乗る人も、幹線道路の混雑した歩道より生活道路の方が(車道と歩道が分かれていない事で却って)空間を広々と使えるので、そちらを選ぶ場合が有ります(車が滅多に通らなければ安心感も高い)。
例
自転車での移動を諦めている人の存在を見落としている
そもそも自転車利用者として顕在化していない層がいる事を見落としているパターン。「興味は有るけど車に混ざって走るのは不安だから止めておこう」という人が脱落した結果、車道には恐怖を克服できるタフな利用者だけが残る事になります。自転車移動を諦めた人はマイカーやバスや鉄道を使ったり、時間が掛かっても徒歩で移動しているかもしれません。
---
上のようなサンプリング・バイアスに陥ってしまう人が日本ではかなり多いようです。
何故か。
それは彼らの関心の中心が、実のところ自転車の利用促進ではなく、自転車利用者のルール・マナー違反を正す事だからではないでしょうか?
さまざまな議論で、冒頭に「自転車は過度なクルマ依存から脱却する上での切り札」という枕詞が付く事は多いものの、自転車愛好家や学者、国交省役人の実際の言動を見ると、道路交通法の規定に従って自転車が車道を整然と通行している光景を見て満足したいだけなのではないかと思えます。