2013年9月18日水曜日

裁判官が足りないのか、事件が多すぎるのか

小説『法服の王国』にも書かれていましたが、
日本では一人ひとりの裁判官に割り当てられる紛争が多すぎて、
まともな判決を書けないという問題が有ります。

これに対して日本は司法制度改革で
裁判官を増員しようとしていますが、
私にはその方向性に疑問を感じます。


裁判官を増やすという事の前提には、
事件数そのものは変わらないという想定が有ります。

ですが本当にそうなのでしょうか。

人が他人を脅したり、傷付けたり、騙したりする。
これは本当に動かせない前提なのでしょうか。

もし、人々がもっと仲良く暮らせるなら——
互いを思いやって生きて行けるなら——

もし、それを実現する手段が有るのなら、
それこそ、裁判官の増員より
よほど本質的な解決策だと思います。

『法服の王国』にもこんなエピソードが有りました。


上巻 p.151
「判決をしたら、いつまでも双方が
そっぽを向いたままだが、和解だと不思議と納得する
判決で勝った弁護士や当事者にあとで会っても、
『その節は……』なんていわれることはないが、
和解して、いくらか金を払っても、
『その節は有難うございました』という」

示唆的ですね。

やはり人は、心の底では仲良く楽しく生きたいのではないか。
争いは人間の本質ではないのではないか。

私はそういう希望を感じました。


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あと、激しく蛇足ですが、
紛争の処理を遅らせる原因の一つに、
分かりにくい法律用語・法律表現が有ると思います。

もっと自然な日本語で、短く簡潔な文を多用すれば、
書類の作成や読解に掛かる負担が減らせる気がします。

司法の世界の人たちは文章の厳密さについては熟知してても、
文章の分かりやすさについては丸っきり無知なのでは?

言語学や認知科学は、もっと法学に切り込んで行くべきだと思います。