日本では一人ひとりの裁判官に割り当てられる紛争が多すぎて、
まともな判決を書けないという問題が有ります。
これに対して日本は司法制度改革で
裁判官を増員しようとしていますが、
私にはその方向性に疑問を感じます。
裁判官を増やすという事の前提には、
事件数そのものは変わらないという想定が有ります。
ですが本当にそうなのでしょうか。
人が他人を脅したり、傷付けたり、騙したりする。
これは本当に動かせない前提なのでしょうか。
もし、人々がもっと仲良く暮らせるなら——
互いを思いやって生きて行けるなら——
もし、それを実現する手段が有るのなら、
それこそ、裁判官の増員より
よほど本質的な解決策だと思います。
『法服の王国』にもこんなエピソードが有りました。
上巻 p.151
「判決をしたら、いつまでも双方が
そっぽを向いたままだが、和解だと不思議と納得する。
判決で勝った弁護士や当事者にあとで会っても、
『その節は……』なんていわれることはないが、
和解して、いくらか金を払っても、
『その節は有難うございました』という」
示唆的ですね。
やはり人は、心の底では仲良く楽しく生きたいのではないか。
争いは人間の本質ではないのではないか。
私はそういう希望を感じました。
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あと、激しく蛇足ですが、
紛争の処理を遅らせる原因の一つに、
分かりにくい法律用語・法律表現が有ると思います。
もっと自然な日本語で、短く簡潔な文を多用すれば、
書類の作成や読解に掛かる負担が減らせる気がします。
司法の世界の人たちは文章の厳密さについては熟知してても、
文章の分かりやすさについては丸っきり無知なのでは?
言語学や認知科学は、もっと法学に切り込んで行くべきだと思います。