2013年3月8日金曜日

車止め回避の結果

荒川河川敷には所々車の進入を防ぐ車止めが有り、
自転車も手の込んだ形状の柵で足止めされます。





これを嫌って自転車は柵の両脇から通り抜けていきます。

自転車が柵を回避したと思われる痕跡が出来ています。
法面の芝生と、柵のペンキが剥げています。

その痕跡を、
  • 中学生の集団がなぞり、
  • 上品そうな老婦人がなぞり、
  • 子供連れの親がなぞり、
  • 自転車に乗り始めたばかりのその子供にも
    柵の脇から通るように教えて子がなぞり……。

そんな光景が日常的に見られます。
行動様式として強固に確立してますね。

河川敷道路の柵にも回避の道が出来ています。
(この日は工事車両の通行が有ったので柵は解放されています。)

追加写真

路面に付いたタイヤの跡(赤い線)


この現象について自転車レビューサイトのCBNで
もっと分かりやすい写真が投稿されていました。
先を越されてしまった。

ちなみに、河川事務所がこうした「獣道」に神経を尖らせるのは、
この土の削れが弱みとなって、洪水が発生した時に
堤防が決壊する端緒になってしまうからだろうと思います。

戦時中の食糧不足で河川敷に野菜や米を育てる例が有りましたが、
(過去の洪水で秩父方面から養分が運ばれていたので良く育ちましたが)
その時期でさえ、堤防の法面への作付けは禁止されていました。



『荒川放水路物語』 絹田幸恵 1990 新草出版 p.226
荒川放水路に近い人たちは、河川敷を掘りおこして、小松菜や
ほうれん草の種をまいた。上流の方の河川敷には、じゃが芋、
大根、麦、さつま芋なども植えられた。麦やさつま芋は、
土手の天端(テンパ)に植えられた。

政府も食糧増産を奨励した。けれども内務省は、
土手の斜面に作物を植えることだけは強く禁じた。
洪水で土手が崩れることを案じたのである。


現在ではせいぜい台風のときに河川敷に水溜りが出来る程度ですから、
十年、百年の単位で俯瞰するこうした危機意識を広く共有するのは難しいですね。

柵回避で土手が削れた場合のリスクを説明する看板を立てても、
読んで理解し、行動に反映する人は少ないでしょう。

となれば、河川事務所が取るべき対策は、
強硬に柵を張り巡らせる事ではなく、
自転車を降りずに通過できるような形にする事です。



2013年8月17日 追記

柵が一部無くなっていました。
河川事務所が撤去したのか、誰かが勝手に撤去したのか分かりませんが、
今のところ、自転車を降りずに通過できる状態です。

堤防側の柵が途切れている。

柵が取り払われた箇所は早くも土が露出し始めている。


2016年7月2日追記{
設計者が意図した動線と現実の利用者が望む動線のズレは、"design vs user experience"で検索すると英語圏の事例がたくさん見付かります。