2013年11月23日土曜日

高校生書評合戦首都大会2013の感想

初めてビブリオバトルというものを見てきました。




近年は公立図書館での開催も増えてきて、
その魅力がどんどん広まっているというのは聞いていたのですが、
なかなか自分で足を運ぼうとまでは思っていませんでした。

ただ、興味はずっと持っていて、或る日
偶然立ち寄った練馬区立図書館でカウンターの人に聞いてみたら
「秋葉原で決勝戦が有るから是非」と熱心に勧められました。

(この区の図書館も運営を民間委託していますが、
読書文化を普及させようとする職員の熱意はとても強いですね。)

というわけで久し振りに秋葉原に行ってきました。

決勝まで勝ち残った5人のプレゼンテーションは
高校生とは思えないほど大舞台に慣れた感じで、
与えられた5分00秒を最後の1秒まで綺麗に使い切っていました。

ビブリオバトルでは発表の巧さだけでなく、
その本自体の魅力でも勝負が大きく左右されるそうですが、
それでも最後まで勝ち上がってきた高校生たちは、
予行演習を積み重ねたのか、トーナメントの過程で成長したのか、
本への思いを情熱的に、且つ滑らかな語りで紹介していました。

それぞれの発表を聞いて私が受けた印象では、
「是非この本を読んで欲しい!」という前のめりな発表よりは、
「この本を読んでこんな風に考えさせられた、悩んだ」という、
一冊の本が一人の人間をどう動かしたのかを
目の当たりにできる発表が面白かったです。

その点では、4番手で山田悠介(著)の『キリン』を紹介した
登壇者は飛び抜けてレベルが高かったと思います。
ゆったりと安定した口調で小説のあらすじを説明しつつも、
その物語にどれほど心動かされたかが言葉の端々に滲み出ていて、
是非読んでみたくなりました。

(実際、大会終了直後に最寄りの図書館で借りました。)

ところが、発表後の投票時間では、
自分がさほど興味を引かれなかった本にも
多くの支持が上がっていて、ぱっと見では優劣が分からない。

人それぞれで受け取り方がこんなに違うという事に驚きました。
多分この辺がビブリオバトルの醍醐味なんじゃないでしょうか。
結果発表がこれほど待ち遠しい大会は、ちょっと他に体験した事が無いです。

(15分の集計時間の後、1番手と5番手の生徒が
それぞれ優勝、特別賞を勝ち取りました。)

ここまででも既に充分新鮮な体験ができていたのですが、
さらにゲストからの講評で各発表の優れていた点が讃えられ、
私が気付かなかったさまざまな書評の価値が発見できました。

ビブリオバトル楽しすぎる。



2013年12月16日追記

閉会直後に最寄りの図書館で借りた
山田悠介(著)の『キリン』を読了しました。

ビブリオバトルでのプレゼンテーションを聞いて
ものすごく期待が高まっていたのですが、
実際に読んでみると、あまり出来の良い小説とは感じられませんでした。

ただ、このように評価が反転した事で、
自分の読書の好みが若い頃と変わったんだなあと
しみじみ感じる事ができたのは、意外と大きな収穫かもしれません。

(食べ物の好みの変化は自分でも気付きやすいんですけどね。
激甘なお菓子が食べられなくなった、とか。)

自分とは年代や性別、立場が違う人の意見や感性を
濃密に感じられるところもまたビブリオバトルの楽しいところなんですね。
小説がつまらなかった分、ますます面白い(笑)

以下、ネタバレ込みの感想です。

あらすじ(反転表示してください)

強烈な劣等感を持ちつつも自分では努力しない母親が、
天才科学者など、優れた男性の遺伝子を集めて売る会社から
優秀な精子を競り落として人工授精で天才児を産み、
周囲の人間を見下す材料にする。

ところが産まれた子は天才ながら感情の豊かさに欠け、
やがて、低能な母親を軽蔑するようになる。
母親はもっと完璧な子供を求めて再び精子を競り落とし、
頭も性格も良い子が産まれる。

しかし今度の子は或る知的水準に達すると、
それ以上は全く伸びなくなってしまい、
期待を裏切られて逆上した母親に捨てられてしまう。
そして二人の天才児はそれぞれ数奇な運命を歩み始める。


感想(反転表示してください)

物語の設定や序盤の展開は結構面白く、
母親が子供を自己と同一視する事の醜悪さなども
鮮やかに描かれていて期待が持てたんですが、後半に入って、
天才の兄の凋落と、見捨てられた弟の躍進という逆転劇に突入すると、
登場人物の台詞や行動原理に矛盾が現われてきて、
展開や地の文の調子なども総崩れ的に雑になっていきます。
中でも「これは無いだろ」と思ったのが、

  • 天才的な頭脳を持っているはずの兄が、「遺伝子で全てが決まる」
    と信じているかのような言動を取った事や、
  • 優生学を信奉してそれをビジネスで実践しようとしている
    遺伝子会社の社長が、買い手の女性を全く選別せずに
    精子を売っておきながら、「無能な子供を産んだ」として
    主人公の母親を激しく憎んだ事。

この辺は、SF小説として見た場合、設定が苦しく感じます。

小説全体の構造は、登場人物の誰も彼もが
極端な遺伝子決定論を信じているという状況を作っておいて、
そこへ、逆転劇という皮肉な運命をガツンとぶつけて、
「遺伝子だけじゃないんだよ」と訴えるというものです。

しかし、今どき純粋な生得論を信じて疑わないという状況が
有り得るんでしょうか。専門知識の入手が容易になったこの情報化時代に。

また、「精子の本当の提供者は天才ではなかった」という
すりかえトリックにしても、隔世遺伝という可能性が有る以上、
祖父母世代に全く言及していないのはミステリ的に見て
あまりフェアではありませんし、そうでなくても、
物語構造上の対比が弱まってしまっています。

うーん、何と言うか、出版社の担当さんがもうちょっと
考証面で力添えしてくれていればなあと思ったりしないでもない。