6人ものサイクリストが轢き殺されました。
2013年11月18日
Sixth London cyclist killed in less than two weeks as man dies in lorry incident
加害車両の多くは大型トラックで、
交差点やラウンダバウトで自転車を巻き込む事故形態が多いようです。
大型トレーラーが交差点を曲がる時に、
車体後部が自転車レーンを盛大に侵蝕している事が分かります。
巻き込み事故が多発するのも頷けますね。
この点で、2013年のロンドンは
1978年の日本と良く似ています。
日本でも自転車が車道を走っていた時代は、現在のロンドンと同じく、
左折する大型車に自転車が巻き込まれる事故が多発していました。
中でも1978年に葛飾・柴又で起こった死亡事故は、
自転車の歩道走行を常態化させる決定打にもなりました。
吉田信彌(2006)
『事故と心理 なぜ事故に好かれてしまうのか』
中公新書
p.174
話は1978年(昭和53年)にさかのぼる。
同年は改正された道路交通法が12月に施行される年であった。
/* 中略 */
その年の9月27日朝、葛飾区柴又で自転車の母娘三人が
左折する大型ダンプに巻き込まれて死亡する事故が起きた。
/* 中略 */
新聞各紙は当日の夕刊でこの事故を大きく報じただけでなく、
10月、11月と大型車の左折事故関連の記事を頻繁に取りあげた。
/* 中略 */
運輸省(現国土交通省)は敏感に反応し、事故の翌日に、
バックミラー、サイドバンパー(ガード)、方向指示器の三点を
改良するよう大型車メーカーに行政指導をした。
大型車の構造については以前から議論されていたが、
それを打ち切っての迅速な決定であった。
p.175
左折事故を防止する有力な対策は、78年12月から施行される
道路交通法の改正のなかにすでにもりこまれていた。
第一は、免許試験の検定基準の改正である。
改正前は後方の安全確認は一度でも後方を見るしぐさをすれば
可としていたのを、ミラーと目視による複数の確認をしなければ不可と、
検定基準を厳しくした。
/* 中略 */
第二は、自転車や二輪車を自動車から分離する措置を
とりやすくした点である。
交差点で二輪車の停止線を自動車よりも前に引くことが可能になった。
歩道を自転車が通行可とする標識が定まったのも78年であった。
1978年の日本は
事故の多発を受けて自転車を車道から追い出し、
車道を車の独占空間へと変貌させました。
一方、自転車は歩道走行が当たり前になり、
もっぱら短距離の移動にしか使われなくなりました。
昔は、例えば練馬の農家が野菜を自転車に積んで、
神田の市場まで売りに行ったりしてたんですが。
同時期のオランダも
交通戦争で多くの犠牲を出していましたが、
子供の命を奪われた市民の怒りは車を抑制する方向に働きました。
市の中心部からは車が排除され、代わりに
緻密な自転車道のネットワークが整備されました。
今では中心街だけでなく、互いに数十キロ離れた都市間も自転車道で繋がり、
国土全体がネットワーク化されるまでになっています。
2013年のロンドンは
図らずも1978年の日本とそっくりな状況に陥っていますが、
この都市は今後どう動くのでしょうか。大いに注目です。