二子玉川の道路が取り上げられていました。
都市と道路網の在り方について、
クルマ中心の前時代的な視点に立った記事だと感じます。
日経新聞 2014年4月25日(抜粋)
徒歩5分、車60分
車が通れる幅があるのに、通行できるのは消防車などの緊急車両だけだ。駅前に車で向かう場合、橋からすぐに降りられないので遠回りを余儀なくされる。地元の40歳代の男性は「徒歩だと橋から駅前まで5分だが、週末には車だと1時間かかることも」とぼやく。
国が高架橋を建設したのは1970年代。車が出入りするランプと呼ばれる坂道を造る計画だった。しかし、建設中に地元住民が「駅周辺が混雑して事故が増える」と反発し、歩道だけを整備した。15年ほど前に車道部分も造ったが、一般車は走れないままだ。
背景にあるのは街づくりと一体性を欠いた道路整備だ。合流する駅前の道は昔ながらの商店街沿いで1車線しかない。橋から車が続々と降りてくれば、住民がいうように渋滞は避けられない。
記事で取り上げられた国道246号(厚木街道)
車道部分が封鎖されているランプ入口
二子玉川駅方面から見たランプ出入り口
厚木街道を挟んで駅から遠い側の商店街通り
多くの人が集まる駅前空間に車で乗り付ける事が
どれほど迷惑か、この記事は考慮していません。
交通事故や騒音、排気ガスといった直接的な害だけでなく、
- 歩行者が横断歩道で足止めされたり、
- 広大な駐車場で空間が無駄遣いされたり、
- 車の利用で運動不足になって医療財政が云々……
商品の搬入にどうしても必要な最低限のトラフィックは別として、
中心市街への車の進入は極力抑えるべきという観点に立つならば、
車に「遠回りを余儀なく」させる道路網は寧ろ好ましいものです。
(車の外部不経済を部分的にでも
ドライバーにフィードバックできているわけですから。)
問題は、インタビューに答えた男性のように
尚も車で駅前に来ようとする人がいる点です。
車で移動する際の不便さやコスト負担が不充分で、
利点の方が勝ってしまっているのでしょう。
人間社会の持続性を考慮して街を今以上に改善するなら、
車で街の中心に行くと時間もお金も掛かるし、
いろいろ面倒臭くてウンザリするからやめておこう
という認識を一般市民に定着させる工夫が必要ですね。
例えば、
- 中心部に近い駐車場ほど料金を高く、収用台数を少なくする
- 監視カメラなどで違法駐車を漏れなく効率的に摘発する
- 電動ボラードなどで一般車の侵入を物理的に防ぐ
- 駐輪場を整備して、クルマの代わりに自転車での来街を促す
---
記事は、「道路は都市を形作る骨格だ。」とも書いています。
それはその通りです。
道路を血管に喩えるなら、
人間の社会活動に必要な道路が整備されていない地区は
血液の巡らない組織のようなもので、最悪、壊死してしまいます。
(ここでは、鉄道、航空、水運などを無視して議論しています。)
ただ、246号のランプを強引に建設した国や、
クルマ中心主義に偏った書き方をしている記事は、
道路の階層性(血管の太さ)の何たるかを分かっていません。
酸素や栄養を受け渡すにしても、大動脈からいきなりは無理でしょ?
動脈 → 細動脈 → 毛細血管と、一つずつ段階を踏む必要が有ります。
道路で言えば、
freeways → through-roads → distributor roads → access roadsです。
また、大動脈には大動脈の、
毛細血管には毛細血管の機能だけを持たせるべきで、
一本の道路に複数の機能を持たせたり、
別の階層の道路が担うべき機能を持たせるのは御法度です。
過去の関連記事
Sustainable Safety って何だ?
記事は「駅前の道は……1車線しかない」と嘆いていて、
中心市街の道路も拡張すべきだったと言わんばかりの論調ですが、
理想に近いのは寧ろ現状の方です。
地元住民には先見の明が有りましたね。