2014年4月13日日曜日

緑化は免罪符? 街路樹の日蘭比較

交通事故を防ぐ為に街路樹を撤去しようとすると
反対する住民がいるそうです。

街路樹の死角で出会い頭衝突のリスクが高い道路



確かに、街路樹は人の気持ちを和ませたり、
二酸化炭素を吸収して酸素を放出したり、
夏に木陰を作ったり、生態系を豊かにしたりします。

しかしその一方で、死角を作って事故を誘発したり、
限られた道路空間(主に歩道)を狭める事も有ります。

広い道路であればそうした副作用が小さいので
どんどん植樹していっても良いのですが、
狭い道路に無理やり木を植えると、
往々にして事故リスクなどの不利益が生じます。


自転車と横断歩行者の事故が起こった道路
(※裁判では事故と街路樹の因果関係は立証されていない)


それでも緑が欲しいという人がいるとすれば、
少しバランスを欠いた感覚であるように思えます。

なぜそこまで緑に拘るのでしょうか。

一つ考えられる理由が、
緑化を免罪符として捉えている可能性です。

例えば地球温暖化の観点からは、
「エコカー」や「エコドライブ」などではなく、
自家用車の利用自体を減らしていく方が望ましいですが、
日本ではあまり積極的な抑制策は打たれていません。

口先では環境を守ろうと言いつつ、
行動では欲望の追及に走っている。

やるべき事をやっていない
という罪悪感が社会の背後に有るからこそ、
緑化という免罪符への依存心・執着心が
強烈になるのかもしれません。

では、街路樹は本来どうあるべきなのか。

地球温暖化の脅威が日本よりも身近な
オランダの事例にヒントを探ってみましょう。


Emmalaan, Amersfoort, Nederland (Sep 2009)

アームスフォートの住宅街の道路です。

緑豊かな風景ですが、道路空間の植栽は意外と控えめです。
特に、歩道と車道の間が芝生というのが特徴的ですね。
そのお陰で見通しも良好ですし、歩道も狭さを感じさせません。

日本であればツツジなどの灌木を
「これでもかっ!これでもかっ!」と
みっちり植えてしまうところです。


Prinsesseweg, Groningen, Nederland (Jun 2009)

こちらはフローニゲンの住宅街の道路です。

道路全体の幅員は約32mも有りますが、
中央に広大な植樹帯を配置しており、
車道は片側一車線ずつしか有りません。

バス停にバスが止まると後続車は追い越す事もできませんが、
車の利便性を下げて他の交通手段への転換を促す
という観点では理に適った方法です。

植栽が道路の中央だけという点も注目です。
歩道、自転車道、駐車帯、車道には
植栽が一切有りません。

狭い所にまでチマチマと植えるのではなく、
中央のゆとり有る空間にドーンと植える事で、
植栽が通行の障害になるのを防ぎつつ、
緑の豊かさを視覚的に演出していますね。


Stationsweg, s'-Hertogenbosch, Nederland (May 2009)

Stationsweg, s'-Hertogenbosch, Nederland (Aug 2009)

今度はセルトーヘボスの駅前通りです。

駅から中心市街に通ずる大通りで、幅員は全体で約40mですが、
ここでも車道(+自転車レーン)は片側一本ずつで、
中央にはのびのびと枝を広げた街路樹が濃い日陰を作っています。

電車を降りていきなりこの光景が目に飛び込んでくると、
本当にズガーンと印象に残ります。

では何故、人が集まる中心市街地で
こんな大胆な空間配分ができるのかといえば、
車が中心市街に過剰に流入しないように、
都市全体が計画されているからでしょう。

関連する過去の記事
s'-Hertogenbosch のゾーン30 (1)

こうして比べてみると、日本の街路樹が
如何に窮屈な思いをしているか良く分かります。


---


そんな日本の街路樹について、
歴史的な背景を纏めた論文を見付けたので
最後に紹介しておきます。

越沢明(1996)「都市計画における並木道と街路樹の思想
『国際交通安全学会誌』Vol.22, No.1, pp.13-23

戦前までは高い理想が有ったのに、
戦後、モータリゼーションへの迎合で
台無しにしてしまったんですね。