国会の会議録がオンラインで検索できると知ったので自転車インフラ関連の発言や、当時の世相が読み取れる発言を探してみました。
2016年5月18日 原文追加
歴史の流れを的確にまとめた資料は他に有るので、そちらも併せて読む事をお勧めします。
- Wikipedia 「日本における自転車道の歴史」
- 元田良孝 「わが国における自転車道整備に関する歴史的考察」ほか
この記事では、その時代の生の声に迫って、当時の狂った空気を感じる事を主眼にしました。
ただし、オリジナルの発言そのままだと冗長で文法違反も多いので、かなり要約してあります。/* */ の間は私のコメントです。
1952年4月15日
初めて「自転車道」というキーワードが登場
→ 「自転車等」の誤字でした
1954年5月29日
車道、自転車道、歩道を早急に整備しなければ
いよいよ事故が頻繁になるのではないか。
——笹森 順造(政治家)
これが国会での初の言及、スタート地点でした。
原文:
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0320/01905290320047a.html
○笹森順造君 そこでこれはやはり交通取締りという面はかりでなくて、今後国家の道路行政としては最も大事なことであり、而も又警察の責務に関して重夫なる関係があると思いますので、その資料を拝見した上で又いろいろお伺いしたいと思います。そこで只今お話のありましたこれは道路の建設というものに対して深く考えを及ぼさなければならん、もとよりこれは一級国道もありましよう、或いは二級もありましよう。或いは又都道府県の責務を負うもの、地方の自治体のものもございましようけれども、大体この道路の行政に関しまして只今斎藤長官から幅員の問題がありました、併しこれは単に幅員だけではいけない、つまり自動車が頻繁に往来しまする関係、私どもも自分の家庭から国会へ参りまするまでも非常に近頃自動車の台数が殖えていることが目につくのであります。従いまして現在のような東京都のごとき状況でよろしいのか、一方道というものもこれは東京都内に多少きまつたようでありますけれども、やはりこれは諸外国の例において見るがごとく、この左側或いは右側をきめて、そうして或いは自動車路を作つて、更に自転車道路を作りその上にこれが人道も作らなければならない、大体諸外国の大都市はここまでしなければならんということになつておりますが、こういうことは関してこれは戦後なかなか日本の道路建設の手業はうまく行つておりませんけれども、これは早速この方面に向つて手をかけなければ、いよいよ交通事故というものは頻繁になつて来るのではないか、こういうことを考えますので、それに対するところの基本的な考え方について、建設大臣或いは次官から御意見をお述べを願います。
1959年2月26日
都内の路面電車は交通事故の原因。
都電を廃止したい。
——木村 行藏(警察庁保安局長)
原文:
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0520/03102260520002a.html
○木村(行)政府委員 ただいま警視庁から相当詳細にわたってお話し申し上げましたが、警察庁の保安局といたしまして、交通問題を扱っておるものといたしまして、若干御説明いたしたいと思います。
東京都内の交通事故が非常に深刻になっていることは、御案内の通りであります。都内だけでありませんで、これは全国的にも非常に大きな問題であります。昨年一年に大体交通事故が十七万件近く起っております。死者が八千人をオーバーしておる。また大けがをしたり負傷した人が十五万人近くいる。日に平均いたしますと大体四百二十名くらいの者が死んだりけがをしたり、非常に人身の尊い際に、深刻な問題だと思います。つきましては、その中でも都内が一番深刻でありますので、警察庁におきましてもいろいろ交通規制あるいは交通の状況、これを高揚するべくいろいろな手を打っておりますけれども、しかし、それに関連しまして特に大きな問題は、都内の路面電車の問題でございます。先ほど交通部長からもお話ししましたように、これは現実に都内の主要道路の三分の一くらいの道路を占めております。このものすごい自動車通行量の観点からいたしまして、まあしろうとがお考えになってもわかりますように、全くこれは交通事故の原因になることは明らかであります。統計上も、この交通事故と関連がありまして、この路面電車、都電が存在しておりますことによって、交通事故が明らかにほかの路面電車のないところよりもふえておる。御案内の通り、世界各国の主要都市では、すでに路面電車は時代おくれのような形になっておりまして、だんだん廃止する方向にあります。従いまして、私たちもできるだけ早く、いろいろな条件がそろえば、路面電車が都内から全面的になくなることを、交通警察といたしまして、非常に希望するわけです。しかしそれにはいろいろな条件が要るかと思います。なかなか簡単にいかぬと思いますが、少くとも、非常に交通事故が多くて、また障害の非常に強いところ、また撤去し得るような条件が比較的にそろっているようなところについては、できるだけ早く、逐次思い切ってやるべきではないか。その一例としては、銀座の路面電車など、あるいは三田通りの札ノ辻から神谷町に至る停留所の関係、これは、あそこの乗降客が日に二千五百人くらいですから、比較的少うございます。また迂回の方法も考えられます。予算としてもポイントを作ったり、その他の関係もそれほど食うものではないと私たちも思うのです、だから、あの線については、いろいろな難関があってもぜひ早く撤去するように、警視庁が意見を出しておりますことを、私たちも強く要望するのであります。
それから、皇居の中の一部を貫通するような道路についてのお尋ねでありましたが、現実におきまして、皇居が都心の非常に重要な地点に存在しておりますことが全然交通に支障がないということは申しかねると思います。やはりある程度関係がありまして、支障があるのではないかと思います。しかし、その他に打つべき手が、交通警察なりあるいは交通行政の立場からいっても、まだたくさん残されている。打つべきものは打っていく。たとえば路面電車を、緊急なところから部分的にも逐次廃止していくというような手もあろうかと思います。それらもよく手を打っていただいて、なおかつ残された問題としては、今おっしゃったような、皇居の一部を貫通する道路の可否の問題があります。これについては、貫通することの可否は、交通警察だけでは論ぜられません。いろいろな面が幅広く関連して参りますので、今ここで、そうしていただきたいとか、そうすべきだということは申し上げかねますことを御了承いただきたいと思います。
都電廃止までの流れ:
- 車が激増して道路のスペースが足りなくなる
- 法改正で、路面電車の軌道内を車が走っても良い事にする
- 路面電車が渋滞に巻き込まれ定時運行できなくなる
- 地下鉄の開通やバス車体の大型化が進む
- 路面電車は廃止が決定
そう考えると、当時の人々にとっては画期的な乗り物だったのでしょう。
1959年3月25日
歩道を自転車に乗って歩いたり、……
こういうことは外国には絶対にないのです。
——山田 節男(政治家)
ドライジーネ?
1960年5月6日
義理の兄が自転車で右側通行を守っていたのに
トラックにひかれて即死した。
——春野 鶴子(主婦連合会副会長)
当時の「道路交通取締法」でも右側通行は歩行者だけで、車・馬は左側通行でした。自転車も歩行者の類いと考えていたんでしょうか。それとも電子化した時の読み取りミス?
トラックを運転する立場からは自転車が怖い。
歩道の半分は自転車に開放してやる。
——三輪 善雄(株式会社丸見屋副社長)
この人も自転車と歩行者を一括りにしてますね。
1962年2月8日
歩道は三、四人通れるくらいで良い。
広い歩道は切り崩して車道を広げるのも有効。
——木村 行藏 (警察庁保安局長)
1962年2月12日
初めて「交通戦争」というキーワードが登場
1962年2月16日
車は文明人のたしなみ。
歩いている人はほとんどおらず、歩道は使われていない。
歩道を狭めて車道を広くしてはどうか。
——稲葉 知之助(バス運転手)
1963年2月28日
日本は自転車が多いから
歩道だけでなく自転車専用道も必要。
——冨永 誠美(警察庁交通局長)
貴重な良心。しかし同じポストの後任者は……
1964年3月25日
歩車道を区別して歩行者の安全を
——高橋幹夫(警察庁交通局長)
自転車の事を忘れています。
1965年5月7日
もう東京では一万円台で自動車が買える。
何でも自動車買ってきて、さてナンバーをちょうだい、
はいそうですかと認可、許可しているから、
自動車の台数が天文学的数字で伸びていっている。
ことばは悪いが野放し状態なんじゃないのか。
——吉田 忠三郎(政治家)
台数規制の必要性に触れています。ただ、吉田忠三郎氏はこの後、散漫な議論で会議を混乱させ、台数規制については結局うやむやなまま閉会に至ってしまいます。本人の中でも、車を巡る欲望と理性の葛藤が有ったのかもしれません。
人口当たりの保有台数では西欧諸国より少ない。
ヨーロッパ並みの国民生活を実現するために
低所得でも車が持てる社会を作りたいと念願している。
——大久保 武雄(運輸政務次官)
まさに「追い付け追い越せ」の時代ですね。
1966年2月10日
歩道が無い、自転車道が無い、だから事故が多発している。
人命尊重のためにどうか歩道を整備していただきたい。
——川崎 秀二(政治家)
自転車乗りが「人命」に含まれていません。
1966年10月24日
社会の最も大きな課題である交通行政に対して、
教育行政が事実上何らの関心を持っていない。
文部省のこれで見ても、何にも書いてない。
……
今日の道路構造を見てごらんなさい。
この道路構造の上で事故が起こったら、一体だれの責任なのか。
政府の役人は、自分たちのやったことだけが正しいのだ、
あと起こったものはすべて国民の責任だというような
思い上がったものの考え方はやめてもらいたい。
道路構造の欠陥からくる交通事故に対しては、
道路を管理している管理者の責任としてこれを処分する、
始末をしていくという責任体制をぜひ確立してもらいたい。
——門司 亮(政治家)
慧眼ですが、残念ながらどちらの問題も未だに放置されています。
1966年11月11日
いま要求している五カ年計画では、道路構造令を大改正して、
バイパスには車道のほかに、自転車とか歩行者の通れる
2.0〜2.5mくらいの路肩兼歩道を必ず付けたい。
——蓑輪 健二郎(建設省道路局長)
自転車の歩道通行につながる最初の発言です。当時も国民は自転車を歩行者と似た者扱いしていたようですが、歩道通行政策を直接導いたのはこの人物のようです。
1967年6月2日
三カ年計画でとりあえず歩道をつくり、
また防護柵によってなるべく歩道と車道とを分離する。
さらに自転車の多いところには自転車の通行帯をつくる。
国道バイパスの標準断面では
車道の外に2.5〜3.0mぐらいの路肩をつくって、
ここに自転車と歩行者を持ってくる
という構造を考えている。
——蓑輪 健二郎(建設省道路局長)
新設のバイパス道路以外に自転車道を作れる場所が無いからこんな事を言ってるんでしょうが、そもそもバイパスって市街地を避けて建設するもんでしょ? 歩行者・自転車が通るかな。
1968年12月19日
車の通行の激しい道路では
歩道の半分を自転車の区分にして通行を認めてはどうか。
東京都足立区の千住新橋で実際にこれを行なって効果をあげている。
——松本 忠助(政治家)
自転車道については建設省で道路構造令の改正を検討している。
歩道を走らせることについては現行の道交法に裏付けが無い。
今後、これを法的にしっかりしていきたい 。
——鈴木 光一(警察庁交通局長)
原文
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/060/0680/06012190680002a.html
○松本(忠)委員 酒酔い運転のほうは終わりまして、自転車の事故、自転車対自転車の事故、あるいは自動車対自転車の事故、これも相変わらず多いわけでありますが、自転車の通行区分、これをはっきりしてはどうか。たとえていうと、車の通行の激しいところ、こういう道路においては、状況を判断して歩道の中に自転車を特に通れるところを認めてはどうか。これはあくまで状況に応じてでございますが、歩道の中に区分をして自転車を歩らせる、こういうふうにしてはどうかと思いますが、この点はどうでしょう。
○鈴木(光)政府委員 自転車が被害者になるという事故も相当あとを断っておりませんので、御指摘のような自転車の専用道路をつくるとか、あるいは歩道の中にも交通情勢とにらみ合わして自転車を歩らせるといったようなことも考えていかなければならぬと思います。自転車道につきましては、建設省のほうで道路構造令との関係で検討しております。歩道をとりあえず走らせたらどうかという御意見がございますので、現在の道交法では法的な裏づけがいまのところございませんけれども、やむを得ざる措置としてやっておるところも二、三ございます。今後これを法的にしっかりしてまいりたいということで現在検討しております。
○松本(忠)委員 私の承知しておる範囲でも、東京都足立区の千住新橋、ここでは実際にこれを行なって効果をあげております。歩道の半分の車道側を自転車の通行区分にして、そこに自転車を走らせておる。車道の中を自転車が自動車に並行して走ると、いま片側二車線ですが、吸い込まれる、非常に危険が多い。地元の千住警察、西新井警察で協議した結果、あの千住新橋の橋の上に限ってそのようなことを実際上行なっております。効果をあげております。こういう方法はぜひ状況に応じてはやったほうがいいのではなかろうか、こう思うわけであります。
しっかりすべきは自転車道の整備です。
1969年2月26日
元日に重い年賀状を自転車に積んで出かける人々に向かって、
どうか事故を起こさないで帰ってきてくれと郵便局長が口走り、
手を合わせて人々を交通地獄の中へ送り出していた。
——金丸 徳重(政治家)
1969年2月28日
交通安全のために車道と歩道を分離する、
さらに自転車の多いところは自転車のためのスペースを
車道と分けて作っていく事を考えている。
自転車と歩行者が両方通れる
自転車歩行者通行帯という新しい考え方も入れて、
道路構造令の改正を検討している
——蓑輪 健二郎(建設省道路局長)
理想を言うばかりで、実現への道筋が抜け落ちていました。
日本には車とほぼ同じ3千万台の自転車が有る。
自転車を保護するために専用道路——と言っても
歩行者と同じところに入れるのかもしれないが——
これを早くやるべきだ。
——北側 義一(政治家)
何でも良いからとにかく自転車は車道から出て行けという本心が見えますね。
1969年3月20日
現状はまだまだ歩道が足りないと痛切に感じている
今後の三カ年計画でも歩道を一番重点にしてやっていきたい
——蓑輪 健二郎(建設省道路局長)
自転車道が足りないとは感じなかったのでしょうか。
1969年3月25日
北欧の国々では、人道、自転車道、車道ときちっといって、
そこでは交通事故などはほとんど起こっていない。
対して、1万5千人の死亡者と100万人の怪我人という
悲惨な交通戦争のわが国である。
これは文明国家としてまことに残念だ。
——受田 新吉(政治家)
歩道あるいは自転車道については今国会の交通安全対策で、
また自転車道については新しく別途の法案により進めている。
——渡辺 栄一(建設政務次官)
1969年4月11日
この日から7月上旬までの約3ヶ月間、自転車道の整備と法整備を求める請願のラッシュ。合計で300件以上の請願が国会の委員会に届けられる。
1969年6月13日
自転車道の整備についての法律を起草するため「道路及び住宅等に関する小委員会」が設置される。
1969年6月26日
小委員会が草案をまとめる。
一、道路管理者は、車道と分離された
自動車の通行できない自転車だけが通行できる部分、
または、自転車と歩行者だけが通行できる部分を、
自転車道として設けるようにつとめること。
最初から抜け穴を用意してます。
建設大臣は、道路整備五カ年計画に関しては、
自転車道の計画的整備が促進されるよう
配慮しなければならないものとすること。
五カ年計画は既に決まっていて自転車道は後出しの形になるので、予算は工夫して捻り出せという意味です。
二、市町村は、市町村道としての、
自転車だけが通行できる自転車専用道路または、
自転車と歩行者だけが通行できる
自転車歩行者専用道路を設置するようつとめること。
市町村がサイクリングロードや遊歩道を作れという意味です。
この場合においては、河川管理者、または国有林の管理者は、
その管理に支障のない限りその設置に協力するものとし、
国は、これらの自転車道の設置の促進に資するため、
必要な財政上の措置、その他の措置を講ずるよう
つとめなければならないものとすること。
市町村には土地も資金も無いから、河川や山林の管理者が協力してやれという意味。
三、自転車道の構造については、道路構造令を改正して
所要の規定を設けるものとすること。
/* 以下略。*/
なお、会議では質問・異議が一つも出ませんでした。
1969年6月27日
法案が衆議院の建設委員会に報告され、出席者全員が賛成する。
1969年7月1日
法案が衆議院本会議に提出され、何の質問も無く可決される。
衆議院はチェック機能が死んでますね。この後、参議院の建設委員会で散々問題点を追及される事になるのですが……。長くなってきたので今回はここまで。
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シリーズ記事一覧
国会会議録——自転車を歩道に上げるまで (1)
国会会議録——自転車を歩道に上げるまで (2)
国会会議録——自転車を歩道に上げるまで (3)