2013年8月24日土曜日

日本の道路交通法の日本語訳 (2)

前回作った翻訳指針はまだまだ未熟です。
今回は指針の問題点や位置付けを考えてみます。



読み返してみると、こんな問題点が有りました。
  • 例が無くて分かりにくい
  • 専門用語を意味の説明無しで使っている
  • 項目の分類や纏め方の基準が曖昧
  • 項目が多すぎて自分でも全容が把握できない


ただ、面白いのは、こういう問題点を炙り出す時に
その指針自体が判定基準になっているという事です。

現状の法律文を批判する為に発した言葉が
それ自体を批判する言葉になって返ってくる。
どこかの政治家が身を挺して実演したブーメラン効果のようです。

という事は、指針の内容はそれなりに的を射ているのでしょう。



さて、では今後、指針をどういう風に修正していくのか。
まずは出発点に立ち返って考えてみます。



そもそもこの指針を作ったのは、
法律の文章があまりにも読みにくい所為で法律が社会に浸透せず、
さまざまな問題が起こっていると感じるからです。

道路交通法で言えば、
  • 不合理な規定が有っても一般人には気付かれない
  • 法を誤解しているドライバーが傲慢な運転で他者に危害を加える
  • 警察がさりげなく法解釈をねじ曲げて取り締まりをする
  • 交通事故の民事訴訟裁判で、過失認定が不当に偏る(*)

などの問題が有ります。

* 裁判の問題は以前の記事に書きました。
『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (2)
『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (6)
『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (7)

また、法律には複雑怪奇な文章作法が有るので、
書いたものが正しいのかどうかを確認するのも大変です。
だから法制局は威張っていられるのかな?



こうして考えると、指針の目標は

読みやすい法律を普及させる事

ですね。

現状の指針は、私個人が趣味で使う分には良いのですが、
実務で法律に関わる大勢の人にとっては実用的ではないでしょう。
誰でも使えるようにしたいところです。

難解な指針のままでは、文章の読みやすさチェックも
高度な特殊技能になってしまって、新たな特権を生んでしまうからです。



「誰でも」の実現方法は二つ考えられます。

一つは、指針の読みやすさを極めて、
誰でも迷い無く使えるようにする事。

もう一つは、指針の厳密性を極めて
コンピューター・プログラム化しやすくする事。
法律の読みやすさを機械に自動判定させるという方向です。



いずれにせよ、まずは実際の翻訳例が無いと
話になりませんので、指針はひとまず置いといて、
次回からボチボチと道交法の日本語訳を始めてみたいと思います。