2014年10月8日水曜日

自転車のベルを巡る法令の変遷と規制の妥当性

2020年6月10日 リンク切れ修正、一部の文の修正、改行削減

今日、自転車のベルと言えば、
  • 歩道で歩行者に鳴らすのは法律違反
  • 車に鳴らしてもドライバーに聞こえない(*)
と言われ、存在意義のあやふやな装備品と捉えられていますが、最初からそんな無意味なアクセサリーだったわけではありません。過去120年間の関連法令の変遷を辿ってみました。

* こう言っている人が本当に実体験で「鳴らしてもドライバーに気付かれなかった」のか、単に想像で言っているのかは分かりませんが、私自身の体験では(小さい安物のベルでも)割と気付いてもらえます。

自転車のベル(VIVA 真鍮サウンドベル)



法令の変遷

1900年 自転車取締規則(群馬県令)

明治33(西暦1900)年に発行された群馬県報に、自転車に関して県が定めた条例が紹介されています。

群馬県立文書館「平成18年度 史料展示1 明治時代へタイムスリップ 公文書で見る黎明期の群馬県 ー衛生・健康・安全の確立をめざして- Ⅲ 健康・安全な暮らしのために」https://www.archives.pref.gunma.jp/storage/app/media/data/exhibition/moyooshi-18-1/moyooshi-tenji-18-1-naiyou4.htmページ移動前のURL

自転車取締規則(リンク先に掲載されている画像ファイル移動前のURL)をテキスト化)
群馬縣報 第四十一號 明治三十三年九月十四日 群馬縣
// 中略
群馬縣令第七十八號
自轉車取締規則左ノ通相定ム
明治三十三年九月十四日 群馬縣知事 古荘嘉門
自轉車取締規則
第一條 號鈴又ハ號角ノ裝置ナキ自轉車ハ道路ニ於テ使用スルコトヲ得ス
第二條 自轉車ヲ使用スル者ハ左ノ各號ヲ遵守スヘシ
一 道路ニ於テ乗車ノ練習又ハ競争ヲ為スヘカラス
二 夜中燈火ナクシテ行車スヘカラス
三 出火塲又ハ雜沓ノ塲所ヘ濫リニ自轉車ヲ乗入ルヘカラス
四 街角又ハ狹隘ノ塲所若ハ交通頻繁ノ塲所ヲ行車スルトキハ號鈴又ハ號角ヲ鳴ラシ且ツ徐行スヘシ
第三條 十二歳未滿ノ者ハ道路ニ於テ自轉車ニ乗ルコトヲ得ス
第四條 本則第一條第二條ニ違背シタル者ハ三日以下ノ拘留又ハ壹圓貳拾五錢以下ノ科料ニ處ス
1900年と言えば自動車の普及はまだまだ先ですから、「交通頻繁ノ場所」というのは歩行者や荷車で混雑している場所ですね。そこを通る時にベル(号鈴)やホーン(号角)を鳴らせという事ですから、現在の道路交通法の正反対です。

この時代、自転車のベルは衝突回避の為に大音量で鳴らす警音器というよりは、歩行者に自転車の接近を知らせる為に鳴らす、プリウスの車両接近通報装置に近いものだったのかもしれません。

では国レベルの交通法令はベルの使用についてどのような規則を定めてきたんでしょうか。

1933年 自動車取締令

交通法令で警音器の使用について明確な規定を示したのは、こちらのサイト(閉鎖)の情報を順に辿る限りでは、昭和8(1933)年の自動車取締令当初のリンク)が最初です。

第59条
2 警音器ハ交通安全ノ為必要ナル限度ヲ超エテ之ヲ使用スベカラズ
ですがこの法令は自動車を対象としたものなので、自転車には適用されません。

1947年 道路交通取締令

これは昭和22(1947)年の道路交通取締令当初のリンク)でも同じです。
第17条 自動車の運転者は、左の事項を遵守しなければならない。
(1) 運転中喫煙しないこと。
(2) みだりに警音器を鳴らし若しくは著しい騒音を出させ、又は悪臭若しくは有害なガス又は煙を多量に発散させないこと。

1953年 道路交通取締法施行令

ところが、昭和28(1953)年の道路交通取締法施行令当初のリンク)では、
第17条 車馬の操縦者は、左の事項を遵守しなければならない。
(1) 安全な運転のために必要な場合を除き、警音器を鳴らさないこと。
「自動車の運転者」が「車馬の操縦者」に変化します(コマ番号10)。なお、「車馬」はこの施行令の上位の道路交通取締法当初のリンク)第2条で、
車馬とは、牛馬及び諸車をいう。牛馬とは、交通運輸に使役する家畜をいい、諸車とは、人力、畜力その他の動力により運転する軌道車又は小児車以外の車をいう。但し、そりは、これを諸車とみなす。
と定義されています。

ただ、この時点でも「安全な運転に必要な場合」という緩い表現に留まっていますね。「緊急時以外は禁止」というニュアンスではありません。実際、道路交通取締法施行令は、追い越し時の音による予告(警音器を含む)を義務付けています。
第24条 前方にある車馬(以下本条中「前車」という。)を他の車馬又は無軌条電車(以下本条中「後車」という。)が追い越そうとする場合においては、やむを得ない場合の外、後車は、前車の右側を通行しなければならない。

2 前項の場合においては、後車は、警音器、掛声その他の合図をして、前車に警戒させ、交通の安全を確認した上で、追い越さなければならない。

1960年 道路交通法

そして昭和35(1960)年の道路交通法当初のリンク)に至って、警音器の使用場面が「公安委員会が指定した場所/区間」に明確に限定されました。
第54条 車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない。

(1) 左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で公安委員会が指定した場所を通行しようとするとき。

(2) 山地部の道路その他曲折が多い道路について公安委員会が指定した区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。

2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない
「安全な運転のために必要な場合」(1953年)から「危険を防止するためやむを得ないとき」(1960年)に厳格化されました。 追い越しの方法(第28条)からも警音器の記述が削除されています。

ちょうどモータリゼーションの波が押し寄せていた頃ですね。クラクションの濫用が騒音公害になっていたのかもしれません。だとすると、自転車のベルは車のクラクションと一括りにされた事で車に対する規制の厳格化に巻き込まれたという構図でしょうか。

現在の道路交通法

1960年のこの規定は、細かい表現は違うものの、基本的にそのまま現在の道路交通法まで引き継がれています。
第五十四条  車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない。
一  左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で道路標識等により指定された場所を通行しようとするとき。
二  山地部の道路その他曲折が多い道路について道路標識等により指定された区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。
2  車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。

自転車ベルの使用制限は妥当か

さて、法令の変遷は分かりましたが、問題は現在のルールが本当に妥当かどうかです。

音の大きさの圧倒的な違い

まず疑問なのが、音の大きさが全く違う車のクラクションと自転車のベルを一括りにしてしまっている点です。

国土交通省(2003)「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」
別添75 警音器の技術基準
2.4. 警音器の周波数補正回路のA特性による加重音圧レベルの測定は、屋外のできるだけ平らな路面上に自動車を置き、車両前方7mの位置にマイクロフォンを設置して行う。

// 中略

2.8. 警音器の最大音圧レベルは、2.2.から2.7.までの条件で測定した場合において、次のとおりであること。
(a) 動力が7kW以下の二輪自動車の警音器の場合 83dB(A)以上112dB(A)以下
(b) (a)以外の自動車の警音器の場合 93dB(A)以上112dB(A)以下
対して自転車は、JIS D9451規格によれば、
  • ベルからマイクまでの距離を2 mとした場合は75 dB (A) 以上
  • 1 mとした場合は81 dB (A) 以上
です。

測定条件の違いを考慮すると、(クラクション、ベルを点音源と見做した場合)距離による減衰量 (dB) が 20•Log10 (r/r0) なので(参考資料)、自動車と同じ測定条件では自転車のベルは64 dB (A) 以上になりますね。「電車が通っている時のガード下」と「普通の会話」くらい違います。これを同列に語るのはおかしいでしょう。

* dBの後ろに付いている (A) というのは、「A特性による加重音圧レベル」を意味します。人の耳は周波数によって感度が違うので、同じ音圧でも、例えば超低音と中高音では後者の方が大きな音に感じます。周波数ごとに聞こえやすさが違うこの聴覚特性を近似して、人が感じるうるささを機械で再現しようとする時に使うのがA特性(による重み付け)です。騒音計にはこの機能が付いています。

元々の用途の否定

最初に見た法令からは、元々自転車のベルは歩行者に自転車の接近を穏やかに知らせる為のものだったと考えられます。その本来的な用途を封じるのは流石に厳しすぎると感じます。もちろん、驚かせたり不快に感じさせたりしないように、背後から至近距離で鳴らさない、不必要に何度も鳴らさないなどの配慮は必要ですが、そういう人間的な加減を認めない一律の禁止は、穏当なベル使用に対しても過剰反応する心理を人に植え付けないでしょうか。

ベルの代わりに声があるという意見もあるが…

マナー意識の高い人はベルを鳴らす代わりに「自転車が追い越しまーす」とか “On your right!” などと声を掛けていますね。確かにその方が望ましいんでしょうが、私は大きな声が出せないので、至近距離からでも気付いてもらえません(声帯を切除した人も代用発声法では厳しいでしょう)。口笛という手もありますが、嘲笑やナンパのニュアンスに受け取られたら嫌なので私は使っていません。声掛けだけでなくベルも選択肢として残しておいてほしいというのが正直な所です。

ベル濫用の土壌となる環境の見直しは?

幹線道路に話を限定すると、車道が危険で大半の自転車が歩道を選ぶ環境では、追い越し予告の意味でベルを1人1回鳴らすだけでも、歩行者は何台もの自転車から鳴らされることになってしまうので、規制も止む無しです。
しかし、それぞれに専用の通行空間が用意されて両者が交錯しなくなれば、ベルを一律に禁じる必要性は薄れます。

車の警音器も不合理では?

ついでに言えば、車に搭載されているクラクションが大音量で攻撃的な音の1種類だけというのもおかしな話ですね。多様な意味でクラクションを使う人間に機械が寄り添い切れていません。電車のように、単に接近を知らせる柔らかい音色の電子ホーンと、緊急時に鳴らす大音量の警笛の2段構成にした方が、路上でのコミュニケーションが不必要にギスギスしなくなるのではと思います。
(ただし、現行の道路運送車両の保安基準 第43条(警音器)ではそうした装備が認められません。)