久々のロングライドなので、のんびりペースで遡上して行きます。
江戸川はガチな機材で本格的なトレーニングをしている人が多く、
どんどん追い抜かれるので、逆に自分のペースを守りやすいですね。
その代わり、ペダルへの荷重が減って股が痛くなります。
終点の関宿に着きました。
関宿には復元された城が有ります。
瓦が作る曲線が綺麗です。
城の中は博物館になっています。
休憩したらそのまま帰るつもりでしたが、
せっかくなので見学していく事にしました。
平常時の入館料は大人が200円です。
いざ中に入ってみると想像以上に面白い展示で、
じっくり見ている内に3時間弱も過ぎていました。
どんなものだったのか、
展示の概略と感想をつらつら書いてみます。
エントランスホール
入口を入るとすぐ正面に河童のキャラクター
(CV : 渕崎ゆり子さん)が出迎えてくれるのですが、
恥ずかしながらこの時初めて、
「せきやど」
という読みだと知りました。
(ずっと「せきじゅく」だと思ってた。)
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順路が分かりにくいですが、
向かって左奥が入館券売り場と受付です。
第1展示室
明治以降の江戸川・利根川の治水について展示されていました。
まずは堤防を守る技術。大雨が降って川が増水すると、
水はさまざまな形で堤防を破ろうとします。
急な流れで堤防を削り取る事も有りますし、
水圧で堤防に亀裂を入れてしまう事も有ります。
(堤防は一見するとどっしり重くて頼もしいものですが、
水が浸透すると、土が浮力で浮いてしまいます。)
こうした事態に対して、例えば葉の繁った木を、
下流に向かって斜め45度の角度で川の中に入れ、水流を弱めるとか、
亀裂の左右に杭を打ってそれを竹で繋ぎ、亀裂の拡大を防ぐ
といった技術が用いられていた事が紹介されていました。
昔の人は堤防の重要性を身に染みて理解していたんですね。
圧倒的な量の水がどういう力を帯びるかという物理的な知識も、
実体験から熟知していたのでしょう。それに比べると現代人は、
自ら進んで堤防を傷付けている(荒川)
車止め回避の自転車で法面の草が剥げてしまっている例です。
平常時は問題有りませんが、もし記録的な増水で急流が押し寄せると、
この剥げた所が弱点になって土がゴボッと流されてしまうでしょう。
それが端緒になって、次は堤防自体の決壊です。
これはしょうがない面も有りますね。
そもそも洪水被害に遭った事の無い現代の都市住民は、
押し寄せる水で堤防が崩れる可能性など
想像できなくなっているのでしょう。
ですが、今後の異常気象の頻発化を考えれば、
有り得ない未来とは言えません。
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次に、水塚(みづか)と呼ばれる洪水対策の建物の
実物大展示が有りました。
母屋とは別に、数メートルの土台の上に築いた倉庫のような建物で、
中には米や漬け物、衣類、寝具などが収められています。
洪水の際はこの水塚の中に避難して寝泊まりできるようですが、
過去にはこの水塚の1階部分まで浸水した事も有ったそうです。
2階へは梯子のように急な階段を昇り降りしなければならず、
老人には大変だっただろうと想像されます。
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水害予防のために幾つかの村が集まって組合を結成する
という例も有ったようです。具体的な活動内容の説明は
有りませんでしたが、これと似た例として、以前読んだ本に
平方(ひらかた)電報という避難警報の仕組みが書かれていました。
平方電報というのは、埼玉県上尾市平方町にある、
八枝(やえだ)神社の神主さんからの増水を知らせる電報のことである。
その信者たちは浮間・宮城・小台・それに荒川の西側の豊島地区など
荒川の流域に住んでいるので、洪水のときは二四、五キロ上流の平方から、
信者に対するサービスとして避難警報の電報が打たれたのである。
受取人は、北区豊島四丁目の旧家、中村家であった。
中村家は受け取るとすぐに人びとに伝達した。
平方電報が届いてから、およそ一昼夜たったころ、
ようやく浮間・宮城・小台地域で増水を見たということである。
(絹田幸恵 1990 『荒川放水路物語』 新草出版 pp.40-41)
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続いて、明治・大正時代の治水事業について、
模型や文書の資料が展示されていました。
まだ水上交通が盛んだったこの時代、
船を通しやすくする為に利根川を浚渫したり、
洪水を防ぐ為に堤防を改修する事業が行なわれました。
それまで河川の改修工事は全て人力でしたが、
この時代になると外国から輸入した浚渫船や蒸気機関車で
一部の作業が自動化されます。
この浚渫船というものが模型で詳しく説明されていて、
非常に興味深かったです。
博物館の横の江戸川水閘門で待機する浚渫船
基本的には船体の前方から出た象の鼻のような管(ラダー)を
川底に伸ばして土砂を吸い取り、パイプで陸地に送る装置を
備えた船なのですが、その動かし方が面白いです。
上の写真にも写っている通り、船体の後部には
2本の軸(スパット)が有ります。
これらを1本ずつ交互に川底に突き立て、
それを軸に船体自体を首振りさせます。
するとラダーは円軌道を描いて川底の土砂を吸い取ります。
回転しきった所で最初のスパットを抜き、次のスパットを突き立てると、
船体の回転軸は僅かに前に移ります。以下同様に作業を進めると、
船は左右に首を振りながら少しずつ前進する形になります。
単純ですが良く出来てますね。
吸い上げた土砂を運ぶパイプは、フローターの上に
載せられており、水面の上を地上まで伝っています。
上の写真では画面左下に連なって浮かんでいるのがそれですね。
生きた教材が周囲にやたらと点在する博物館です(笑)
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利根川・江戸川の改修に続いて、1927年には関宿水閘門が完成します。
これは利根川から江戸川に流れ込む水の量を調節する水門で、
水位差が有る時でも船が通行できるように閘門(こうもん)も
併せて設置されました。荒川で言う、ロックゲートですね。
江戸川水閘門の閘門部分(下流方向を望む)
ちなみにこの水閘門、Google Maps では通れない事になっていますが、
歩行者と自転車は両岸を行き来できるので、
江戸川サイクリングロードは結局、右岸だけで最後まで到達できます。
私はこれを知らないで、野田橋辺りで左岸に渡ったのですが、
橋の路側帯部分を走っていたらタイヤがガムを踏んでしまい、
小石が猛烈に張り付いてきました。
誰だ、路上にガムを捨てたのは。
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長くなってきたので、続きは次回に。
関宿城博物館の感想 (1)
関宿城博物館の感想 (2)
関宿城博物館の感想 (3)
関宿城博物館の感想 (4)