関宿城博物館
前回からの続きです。
第3展示室
最後の展示室では川沿いの文化や生活について
説明していました。
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まずは何と言っても水運。
鉄道や道路など陸上交通が整備されるまでは、
明治時代に入っても水路が大きな役目を果たしていました。
当時、江戸川に就航していた蒸気船では、
関宿から下流側のターミナルである両国まで
下りが6時間、上りが7〜8時間掛かっていたそうです。
あれ?
ロードバイクの方がぶっちぎりで速いですね(笑)
船は途中で何度も寄港していたんでしょうか。
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水路を使った物流を支えたのが、河岸(かし)という
陸側の拠点です。元々は単に船を係留する場所でしたが、
次第に、商品を取引する市場が生まれ、河岸問屋ができ、
そこで働く人たちの家が建ち、茶屋や旅籠もでき……、
と規模が発展して、遂には一つの町として成り立っていたそうです。
或る河岸では1800人規模の町に成長しており、
市場関係者以外にも医者などもいたとの記録が紹介されていました。
この点では、Amazonの倉庫以上と言えますね。
こうした河岸の中心的存在だったのが河岸問屋です。
主な業務は送り状の発給、貨物の積み降ろし、手数料の徴収、
さらには旅人への船の斡旋までしていたそうです。
展示室には、商品に添えられた送り状の現物も有りました。
当然、和紙に達筆な文字で書かれています。
現在では例えば Wiggle や CRC からパーツを買った時に
味気ないA4の紙に印刷されて来るだけですが、
基本的な形式は変わっていない事に或る種の感動を覚えます。
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元禄以前から有った河岸(旧河岸)は
年貢米や各地の特産品の輸送に使われていましたが、
元禄以後になると、増大する江戸への物流に応える形で、
従来とは別の場所に次々と河岸が新設されていきました(新河岸)。
展示を見て疑問に思ったのですが、新河岸というのは
一体誰が作っていったんでしょうね。
地元の農民が「いっちょ、河岸を始めてみるか」と
腰を上げたのか、それとも物流を熟知した都会の商人が
チェーン展開的にネットワークを充実させていったのか。
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物流網の充実は流域の産業振興にも繋がりました。
野田の醤油、流山の味醂、猿島(さしま)の茶——
中でも特に醤油が有名ですね。
江戸時代の初期には醤油は関西から輸入する「下りもの」が
一般的でしたが、次第に自分たちで作ろうという動きが出て、
関東各地で生産者が「仲間」を結成し、品質改善と、
取引条件の改善に取り組みます。
その内の一つが野田(江戸川)であり、
濡れ煎餅で有名な銚子(利根川)であり、
川越(新河岸川)だったわけで、
いずれも江戸への出荷に有利な川沿いで発展しています。
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と、こんな具合でとても興味深い展示がたくさん有って、
非常に充実した時間を過ごせました。
あまりに時間を掛けすぎると足がパンパンになって、
自転車で来館した場合は帰路が大変になりますが、
それでも一見の価値は有る博物館だと思います。
サイクリングロードの終端の博物館と言えば、
荒川にも寄居に鉢形城歴史館なんてのが有りました。
そっちも今度行ってみようかな。
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関宿城博物館の感想 (1)
関宿城博物館の感想 (2)
関宿城博物館の感想 (3)
関宿城博物館の感想 (4)